吸血鬼の鬼塚さんは俺の血を狙ってるだけなのに、なぜか一緒にいるとラブコメ展開になってくる件

天江龍

第1話

 高校入学から一ヶ月が経過したある日の放課後のこと。


 俺はいつものように一番最後に教室を出て施錠をしてから職員室にその鍵を返しに向かっていた。


 別に最後に教室を出ることにさしたる理由はない。

 俺以外の皆は部活動に忙しく、授業が終わるとさっさと教室から去ってしまう。

 かたや何の部活にも所属していない俺はのんびり本まで読んでからゆっくりと教室をあとにする。

 ただ、それだけのこと。


 いつもと変わらない穏やかな日々に何の不満もなく、繰り返す日常に辟易とするわけでもなく。


 窓から差し込む夕陽に目を細めながらのんびりと廊下を歩いていると。


「あっ!」

「え? きゃっ!」


 職員室の手前の角で、女子生徒とぶつかった。

 その反動で、互いに尻餅をついた。


「いてて……だ、大丈夫?」

「ご、ごめんなさい前見てなくて」


 俺より先に起き上がり手を差し伸べてくれる目の前の女子は見覚えがあった。


 クラスメイトの鬼塚弥生さん。

 ポニーテールがよく似合う、猫顔美人。

 スタイルもよく、クラスのマドンナ的存在の彼女とは話したことはないが、席が隣なのでもちろん彼女のことは知ってはいた。


 男子の誰もが憧れる彼女を前に、俺も少し胸がドキドキしていた。

 

「ごめん、俺もぼーっとしてたから」


 差し伸べられた手を握るのは何だか悪い気がして、自力で立ち上がる。

 すると、ツーッと鼻から何か垂れてきた。


「あ、鼻血だ」


 慌てて、ポケットからハンカチを出して鼻を抑えた。 

 

「だ、大丈夫?」

「あー、うん。ただの鼻血だから……ん?」 

「はあ、はあ」


 俺を心配する彼女はしかし、なぜか息が荒い。

 それに目が怖い。

 前のめりというか、例えるなら男子中学生がエロ本を前に興奮しているような、そんな感じ。

 いや、例えが合ってるかどうかの話はどうでもいいけど。


「ど、どうしたの?」

「ごくっ……う、ううんなんでも。ごめんなさい、それじゃ」


 鬼塚さんは、逃げるようにその場を去った。

 ぶつかった気まずさからなのか、俺に鼻血を出させた負目からなのか。


 なんにしても、急にそっけなくされて少し気分が下がったのは言うまでもなく。

 一人ポツンと取り残された廊下に立ちすくんでいると、さっきここで、あの鬼塚さんと言葉を交わしたことも夢だったのかと思わされるけど。


 鼻先の痛みと、鼻から口にかけて残る血の味だけが、その事実を俺に伝えていた。



 そんなことがあった翌日の朝。


 なぜか少し早くに目が覚めた俺は、なんの気まぐれかいつもより早く家を出た。


 そして一人でゆっくりと学校へ向かっていると、後ろからトトトッと足音がした。


「あ、おはよう」

「ん? ああ、おはよう鬼塚さ……鬼塚さん?」

「あれ、名前覚えててくれたんだ。昨日はごめんね。大丈夫だった?」

「う、うん。ただの鼻血だから」


 まるで仲のいい友人のように、鬼塚さんが俺に声をかけてきた。

 まあ、別にクラスメイトだから挨拶くらいはしても普通なのだけど、昨日までは通学路や廊下でばったり見かけても挨拶なんてされたこともなかったので、ちょっと驚いたというか。


 彼女とは、昨日偶然ぶつかっただけだし。

 ていうか逃げられたし。


「そっか。ねえ、橘君って家この辺なの?」

「え、うんまあ。俺の名前知ってたんだ」

「クラスメイトだし、席も隣なんだから当然じゃん。ねえ、いつも一人で登校してるの?」

「ま、まあ。たいして仲のいいやつもいないし」

「へえ。それじゃあ、明日から一緒に学校行かない? 私もいつも一人で退屈だから」

「鬼塚さんと? いや、俺は別にいいけど」

「じゃあ決まりね。ふふっ、断られなくてよかったあ」


 ニカッと笑う彼女の笑顔は、クサい例えだけど朝日の何倍も眩しくて。

 俺は平然を装ってはいたけど、心の中ではガッツポーズしながら雄叫びをあげていた。


 まさか昨日偶然ぶつかっただけのことで、あの鬼塚さんと仲良くなれるなんて。


 こんな幸運が待っていたのなら、鼻血の一つ二つどうということはない。

 早起きは三文の徳とはよく言ったものだ。


「あ、日がさしてきたね」


 朝日が昇り始めたと同時に、鬼塚さんは日傘をさした。

 日傘なんてこれまた上品というか、色白の秘訣はこれかと物珍しそうに見ていると彼女がまた笑う。


「ふふっ、おかしい?」

「い、いやそんなことないよ。ただ、俺は日傘なんて持ったことないからさ」

「だよね。私ってちょっと肌が弱くて。体育もいつも休んでるのはそれなの」

「そうなんだ。大変だねそれも」

「ううん、慣れたから。あの、それより橘君に聞きたいことあるんだけど」

「何?」

「あの……彼女とか、いるの?」

「え?」


 思わず足が止まった。

 そして、恥じらいながら俺に質問してくる鬼塚さんの様子に俺は胸が熱くなる。


 なんだこれは?

 もしかして告白でもされるのか?

 いや、そんなうまい話なんてあるはずもないとわかっている。

 ただの気まぐれというか、鬼塚さんは純粋だからこの手の話題に照れているだけなんだ。

 いやいや、でもそれならどうしてそんな質問を俺に?

 やっぱり、俺のことを……


「橘君?」

「あ、ああごめん。彼女はいないよ」

「そうなの?」

「う、うん。別にモテないし」

「ふーん。そっかそっか」


 なんだか嬉しそうな彼女を見ると、やっぱり俺に気があると考えずにはいられない。

 でも、なんで?

 クラスメイトで席も隣だし、今更一目惚れなんてこともないだろうしそもそも一目惚れされるほどイケメンでもない。


 昨日ぶつかった時の対応が紳士的だと思ってくれたのか?

 いや、別に変わったことはしてない。

 あんなことで学園のマドンナが俺に惚れてくれるのなら、俺はトラックにだって轢かれても構わない。

 

 ……いやいやいや。

 なんで鬼塚さんが俺に惚れてる前提で話を進めてるんだ俺は。

 友達になったからちょっとそういう質問をしてみただけだろきっと。


「橘君、もう一つ質問していい?」

「う、うん? いいけど」

「好きな人とかはいないの?」

「え?」


 また、顔を赤くしながらそんなことを聞いてくる鬼塚さんは手を後ろに組んでもじもじしている。

 おいおい、これはいよいよまじなやつか?

 理由はわからないが、鬼塚さんはどうやら俺に気がある様子だ。

 だとすれば、どう答えるのが正解だ?

 俺の好きな人は君です、とか。

 うーん、知り合ったばかりでそれは気持ち悪いかな。

 それにやっぱり俺の思い違いで鬼塚さんにその気がなければドン引き案件だ。


「……特には」


 まあ、そう答えるしかなかった。

 鬼塚さんは確かに可愛い。

 だから気になっているのは本当だけど、好きかと聞かれればそれはまだわからない。

 どういう人なのかもよく知らないわけだし。


「そっか、いないんだ」


 ちょっとガッカリした様子の鬼塚さんは、拗ねたように小石を蹴った。

 そのリアクションを見て、やっぱり彼女は俺に気があるんだと思わざるを得なかった。


 それ以外説明がつかない。

 どうするべきだ?

 男らしく、俺の方からアプローチするべきか?

 ……うん、チャンスは今しかない。


「あの、鬼塚さん」

「どうしたの?」

「あ、いや、ええと。鬼塚さんは好きな人とか、いるの?」


 牽制を入れてみた。

 この後のリアクションで、いよいよ俺の自信が確信に変わるかもしれない。


 さて、鬼塚さんはどんな反応を……ん?


「ごくっ……」

「鬼塚、さん?」


 俺の言葉など届いていない様子で、何かを必死に我慢するように鬼塚さんは俯いて震えていた。


 体調でも悪いのか?


「……好きじゃない」

「え?」

「全然、好きじゃないから」

「あ、あの?」

「わ、私は好きとかそういうんじゃないから!」

「え、あ、待って!」

「こ、こないで!」


 鬼塚さんは走って逃げてしまった。


 俺は、ただただその場に立ち尽くして傘をさしたまま走り去っていく彼女の後ろ姿を目で追っていた。

 

 早起きは三文の徳とは誰が言った言葉なのだろう。

 そんなうまい話はこの世にないと、現実だけを突きつけられた気分のまま俺はしばらくその場から動けなかった。


 


 


 

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