第118話 自分は・・・

 今日の授業がすべて終わって帰りのHR《ホームルーム》も終わり、全員が部活やら帰宅やらの放課後の活動に向けて教室の外に出ていった。ちなみに、さっきまでのLHR《ロングホームルーム》の間は一言も発しないで休んでいた小林先生も悪態をつきながら職員室に向かっていった。いやあんたは今の時間休んでたんだからその分頑張りなさいよ。


「悠真、ちょっといいか?」


 俺が帰ろうと席をたったタイミングで小栗に声をかけられた。俺は驚いたがそのまま小栗といっしょに居ることにした。


「どうしたんだ?今日の放課後の予定は特にないけど、特売の鶏肉を買いたいからできる限り早めに切り上げてくれると助かる」

「そこまで長話をするつもりは無いから大丈夫だ」


 小栗はそのまま先に帰った前の席のやつの椅子に座った。


「さっきはごめんな」

「なんのことだ?」

「お前に無理に仕事を押し付けただろ」

「ああ、そのことか」


 さっきまでのLHR《ロングホームルーム》の時間に小栗が俺にメニューを考えてくれっていうお願いをしたことだろう。

 最初こそ戸惑ったものの、今は特にこれといった不満は無い。今のところは。


「正直に言うとああやって逃げ道を塞いでおかないと悠真は逃げようとする気がしたから強引に仕事を振るような形になってしまった」

「そのあたりは小栗の考えがあってのことだと分かってるよ。それに小栗の言う通り逃げ道があったら俺は今回の仕事も断っていただろうからな」


 もし小栗にお願いされたのが放課後二人きりの場面とかだったなら、なんらかの理由を付けて断っていただろう。自分が求められることは誰にでも出来ると考えてしまう。


「それなら良かったのかもな。俺としては悠真はもっと自分のことを評価してやっても良いのかと思う」

「同じことをよく健一からも言われるよ」


 俺からしたらそんな健一からの評価は過大評価に思ってしまうんだけどな。

 俺は自分から逃げた弱虫なんだから。その事実だけはずっと残り続ける。たとえ、俺がどんだけ変わろうとも、どんだけ強くなろうと、どんだけ良い未来が待っていようと過去は変えられない。

 だからその過去をどう捉えるか、それが今の俺に出来る最大の工夫であり大切なんじゃないかと考えるようになった。


「なら今回はその評価を健一だけじゃなくてもっと多くの人にしてもらえ。そうすれば自分のことに対してもう少し自信がもてるようになるんじゃないか?」

「そうかもね。まあ、とりあえず今は精一杯頑張ってみるよ」


 俺が小栗に対して言える言葉はこれが限界だった。絶対成功させるなんて無責任なことを言えないし、任せろなんて言えるほど俺はできるわけじゃない。

 でも、せっかく俺のことを信頼して任せてくれたんだ。その期待に答えるために頑張る、そんなことを伝えるだけで精一杯だった。



 俺は小栗と別れた後、昇降口の近くの待ち合わせをしていた場所に急いで向かった。元々お互いのクラスの人が帰った後という約束をしていたのでそこまで待たせていないはずだが、俺としては一秒も長く待たせたくなかった。

 俺が昇降口についたときにはもうすでに待ち合わせをしていた人はそこに立っていた。


「ごめん、ちょっと急な話があって」

「大丈夫ですよ。私も今来たところなので待っていませんから」


 そこで待っていたのは俺の彼女の美月だ。せっかく付き合ったということで予定がない日は一緒に帰るように話し合って決めていた。


「ほんとにごめんなんだけど、今日買いたい食材ができちゃったから帰りにスーパーによってもいい?」

「大丈夫ですよ。なに買うんですか?」

「鶏肉」


 もともとただ帰るだけだった予定が、俺のわがままによってスーパーでの買い物というイベントが追加された。


「じゃあ行こっか」

「はい」


 そう言って靴を履いて学校を後にする。いつも近くのスーパーに向かうと、モロヘイヤが特売品になっていたので一緒に買った。

 他にも、モロヘイヤに和えるためのツナ缶や毎週この曜日に安くなる卵、食パンにホットケーキミックスなど鶏肉以外にも色々買ってしまったので普段の買い物よりも値段が高くなってしまった。

 会計を済ませてスーパーを出た。買い物をしているときに一緒にいる姿が同棲してるカップルなんじゃないかと感じてドキドキしていたことは内緒なのである。


「そういえば、美月って今度の週末って何か予定ある?」

「いえ、特にはありませんけど」

「じゃあさ、俺の家に来てくれない?できれば少しお腹を空かせた状態で来てくれると助かるんだけど」

「?なにをするのか分かりませんが分かりました」


 それまでにある程度は思考は固めて置かないとな。後は、健一と美由にも、サンプルは多いほうがいいから美咲さんも呼んでもいいんだけど二人に関係性を言えないからなー。

 そんなことを話しているといつの間にか解散する地点までたどり着いていた。


「今日はここまでですね」

「そうだな。明日も同じ時間で大丈夫?」

「はい。ではまた明日」


 そう言って美月と俺は別々の方向に向かって歩き出した。俺はすぐに振り返って美月の後ろ姿を見ていた。その後ろ姿は夕日が綺麗な銀髪を輝かせていた。

 そうして別れたこの地点は、今日の朝に美月と待ち合わせをした場所だ。正直なことを言うと、美月のことを家まで送ってあげるつもりだった。でも、さっきスーパーで買い物をしてしまったため、食材が悪くならないように家に直帰する必要が出てきてしまったから渋々諦めるという結果になってしまった。

 俺が家に帰ると家の鍵が開いていた。おかしい。俺は家の鍵を閉めたはずだ。

 つまりここから導き出される答えは一つ。

 俺は急いで玄関の扉を開けて中に入り、家の中が荒らされていないことを確認する。確認すると、どこの部屋も荒らされてはおらず冷蔵庫の中も確認したが特に減っている様子もない。

 そして俺はソファーに座っている人物に声をかける。


「なあ、なんでお前がここにいるんだ。健一」

「ん?ちょっといろいろあったからだ」


 俺の家の中に入っていたもとい玄関の鍵が開けっ放しになっていた正体は健一だった。


「そのあたりも詳しく聞きたいところだけど、とりあえず家の中に入ったのなら玄関の鍵をかけろ」

「いや、俺が居るよって言う証明だからな」

「普通に連絡よこせばいいだろうが!」


 そんな不用心なことをするんじゃなくて俺に一つ連絡をよこせや。玄関の鍵なんて開けてたらなにがあるかわからないじゃないか。

 そして、なんでお前はこの状況でソファーの上でくつろいでいられるんだよ。お前の家じゃないんだからな。


「で、飯は食っていくのか?」

「回鍋肉がいい」

「そんな用意はしてねえよ」


 無茶ぶりはやめてくれ。回鍋肉は一から味付けする日もあるけど、大体は回鍋肉の素を使って作ってるんだから。そして今家には回鍋肉の素は無い。


「材料はここにある」


 そう言って健一は袋の中から回鍋肉の素を取り出した。いや、それだけじゃ出来ないのよ。味付けだけじゃなにも出来ないの。食材が無いと料理って完成しないんだよ。


「肉は冷蔵庫の中に入れておいたけど、キャベツは無い」

「キャベツは野菜室に常備してるからいいけどよ」


 そういえば冷蔵庫の中の豚肉の量は増えてた気がしなくもない。そこまで用意されてるなら作るしか無いな。よし、これで今日の夕飯代は浮いたぜ。

 俺はなれた手付きで料理を作っていく。回鍋肉は難しい工程がないので急な調理でも困ることはない。


「出来たぞ」


 俺は出来上がった回鍋肉を皿に移してテーブルに出した。いやー、思ったより量が出来たな。まあ、健一が食べるだろうから大丈夫か。


「卵はいるか?」

「いる」


 俺は生卵を二つとおわんを持っていき、それを健一と俺の前に置く。

 俺たちは二人で一緒に夕飯を食べ始めた。うん、回鍋肉は生卵を絡めると味変も出来るし美味しいんだよな。


「で、お前は何しに来たんだ?」


 夕飯を食べ終えて洗い物をしながら健一に今日俺の家に居た理由を聞いていた。

 健一は今宿題をやっている。それは俺に言われたからだが。


「お前さ、陽人から名指しで仕事を任されてたじゃないか」

「そうだな」

「で、放課後も捕まってたじゃないか」

「そうだな」


 そういうことか。健一は俺が小栗といろいろあったから、そのことについて聞きたくてここに来たんだな。


「色々言われたよ。放課後は謝罪から始まったけどな」

「どうせクラス全体の前でお前に頼んだことに対してだろ?なんというか陽人らしいというか」


 健一と小栗は昔からの知り合いらしいのでそこら辺も変わらないのかもしれないな。


「陽人は相手のことを上手く動かして自分の思う通りにするのは上手いんだけど、そのことに罪悪感を持つのかすぐに謝るんだよな。どうせ今回も悠真の逃げ道をなくしたところまでは計画どおりなんだろうけどな。俺も陽人と同じ立場だったらそうするからな」


 健一はそう言った。俺のことを何だと思ってるんだ。まあ、それも二人からの信頼の形なのかもしれない。


「それでお前はどうするんだ?やることにしたのかそれとも断ったのか」

「やることにしたよ」


 俺は今回こそ堂々と自信を持って言い切った。


「せっかく貰った役割だし、それにいつかは変わんないといけないのは感じていたからな」

「そうか。そこまで考えてるなら大丈夫だな。まあ、お前ならだいたいなんでも上手くいくんだろうけどな」


 最近思うけど、俺の周りの人は俺に対する評価が高すぎる気がする。俺にはそんな能力なんてないんだけどなあ。


「で?どんな感じのもの作るかとかって考えてるのか?」

「まだ固まってないけどな。どんな方向性なのかも分かんないからな」


 今日言われたばかりなのでまだこんな感じかなーってくらいしか考えはないけどな。

 スイーツ系が良いのか、それとも軽食系が良いのかも分かんない。さて、どうしたものかな。


「そういえば試食会っていつやるんだ?」

「俺お前に試食会やるなんて一言も言ってないよな?」


 怖ぇよ。俺はお前に試食会やるってこと言ってないだろうが。俺にはお前がどこまで分かってるのか怖ぇよ。


「そんなこと言ってない、って言いたいところだけど、今週末にとりあえず1回やってみるつもりだから来てくれ」

「今週末なら空いてるぜ」

「出来るなら美月も来るし美由のことも呼んでくれ」


 多くの人から意見を貰う分には良いからな。あと、いつもより多くの品数を作って試食してもらうつもりなので、人が多いほうが多くのものを食べてもらえるだろう。


「分かった。悠真の飯が食えるって言ったら飛んできそうだけどな」

「どうだろうな。自分だけ仲間はずれにならないように来るんじゃないか?」

「違いないな」


 これで今度の試食会の準備は整ってきたな。後は俺が作るメニューについて考えるだけだ。まあ、これが一番大変なんだけどな。

 その後、健一の宿題を監視しながらメニューを考えていた。時間も過ぎ、夜遅くなったので健一は自分の家に帰る支度を始めた。


「そういえばよ、お前は聞いたか?」

「ん?何の話だ?」

「いや、聞いてないならいいんだ」


 健一はなんだか含みのある言葉を言った。俺がこれ以上聞いても健一は答えないだろうから聞くことは無いが、気になるものは気になる。


「色々あるからここらでこんなふうに自分をアピールするのは効果があるのかもしれないな。陽人のやつもそこら辺まで考えてるのかもしれないしな」

「だから何の話なんだよ」

「陽人が過保護だって話とお前がもう少し自分のことを信じてやれって話だよ」


 どこをどう取ったら小栗が過保護っていう結論にたどり着けるんだよ。

 健一は少し遠くを見ながらそんなことを話してるし、もしかしたら何か抱えてんのかもな。


「自分だけで抱え込むなよ。お前が俺にしてくれたように頼ってくれていいんだぞ」

「はあ、これはお前のせいでこうなってるんだよ。そう思うならもっと自分に対して興味関心をもてや。それにこれは俺抱えてる問題じゃ無いからな」


 どうやら問題はあるものの、今の俺ではなにも出来ることはないらしい。自分の力不足さが虚しく感じる。もし、俺がもっとちゃんとしてたらなんて想像もしてしまう。

 健一のことを見送った後、俺はさっきの健一の言葉を思い出しながら風呂に入る。


『陽人が過保護だって話とお前がもう少し自分のことを信じてやれって話だよ』


 俺が変わる、か。確かに今の俺は前とは考え方も変わっているがなにも変わってはいない。

 自分が都合がいい方に、自分が楽な方に逃げているだけだ。そんな俺のがすぐに治るはずもない。

 今回のことだって、逃げ出せるなら逃げ出したいものだった。だって俺はそんな立派な人間でもないし自分のことが許せないから。

 あそこで断ったら小栗の株を下げてしまうし、俺と一緒にいる健一まで変な目を向けられるかもしれない。そんな最悪な未来から逃げ出しただけだ。


「ああ、俺ってやっぱり変わんないんだな」


 学校で畏怖の目を向けられて逃げ出したあの中学の頃と、家の中に引きこもって外の世界から逃げ出していた頃と、そして美月からの好意から逃げていたあの頃となにも変わっていない。

 今回もやるだけやってみるが、どうせ直前で逃げ出すんだろう。自分に視線が集まるのは嫌だとか誰も俺のことを求めてなんかいないと理由を付けて。

 俺はシャワーのお湯がいつの間にか水になっていた。そんな水を浴びて自分身体のまで同じように冷え切っていると感じた。


 ああ、俺はなんて愚かなんだろう。

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