38話

 進むにつれて大袈裟になっていくセキュリティを、入館証で次々突破していく。よく見てみれば、今ロレッタの手中にある衛兵が所持していたそれと、表に居た研究者たちが所持していたそれとでは、微妙にデザインが違っている気がした。


 もしかすると、研究者たちの入館証には種類があって、それぞれ通過できるセキュリティシステムが異なっているのかもしれない。一方、棟全体を守るのが仕事である衛兵用の入館証は、ほぼ全てのセキュリティを突破できるらしい。拝借したのは正解だったようだ。行い自体は、決して褒められたものではないが。


 廊下に人の気配はなく、閑散としたものだった。警報が鳴り響いているせいだろう。自分の身と研究資材を守る為、誰もがどこかしらの部屋に身を潜めている。


 やがて何枚目かの扉を通過した時、前方から赤い装束を纏った兵士が三人、こちらへ向かって来るのが見えた。


「居たぞ! 侵入者だ!」


 一人が後ろで無線機を操作し、残りの二人が即座に戦闘の構えをとる。手元の赤い光を見て、フェリクスが小さな悲鳴を上げながらロレッタよりも後ろに下がった。リューズナードが刀に手を掛ける。


 兵士たちの手から、広範囲を包み込む炎が放たれた。廊下の壁際や天井が灼熱で覆われ、逃げ場を失くすようにジリジリと迫り来る。


 行動範囲に制限のある屋内では、リューズナードの機動力も活かしきれない。物理的に回避不能だと悟り、ロレッタは覚悟をきめて叫んだ。


「お下がりください!」


「!」


 一瞬だけ驚いたような表情で振り向いたものの、リューズナードは何も言わずに後退した。ロレッタを信じてくれたのだ。もはや、迷いも躊躇も許されない。自分の行動に仲間の命がかかっている。初めて背負う重さに押し潰されそうになりながら、ロレッタは両手を前方へ突き出し、力いっぱい水魔法を放った。


 以前、父が王宮にある謁見の間を丸ごと水に沈めた時のことを思い出す。広々とした一室を瞬時に埋め尽くすような芸当をするには、魔法の練度が足りない。速度も威力も、何もかも、歴戦の戦士たる父は桁違いなのである。


 けれど、イメージは大切だ。近接用の武器を生成するにも、飛び道具のような技を放つのにも、頭に鮮明なイメージがなければ、具現化することなんてできない。だから、ロレッタは必死に想像する。自分の操る水が敵の炎を押し返し、前方へ道を切り開く光景を。


 ロレッタの手から噴射された青い水は、たちまち激流となって廊下を飲み込んでいった。敵の兵士が二人掛かりで放った炎を、難なく打ち消しながら直進していく。練度では勝負にならないが、魔力の量だけなら一般人に引けは取らない。そう信じて、ひたすら魔力を前に押し出し続けた。


 ただ、ロレッタは前を見てはいなかった。初めての対人戦闘に心のどこかで恐怖を抱き、視界を強く閉ざしてしまっていたのだ。敵がどこに居て、どんな動きをしていて、戦局はどう変わっていて、自分はどうするべきなのか。何も分からないまま、震える両手でとにかく水魔法を放つ。


 そんなロレッタの肩を、リューズナードが強く掴んだ。


「ロレッタ、もういい!」


「っ! は、はい!」


 我に返り、慌てて魔力の放出を止めた。目を開けば、すでに赤い炎は気配すらなく、兵士たちがずいぶん遠くで水浸しになっている。退避が間に合わずに押し流されたのだろう。兵士の一人が手にしていた無線機が、廊下の端に投げ出されていた。魔力の供給過多により煙を上げている。もう使い物になりそうもない。


 リューズナードが止めてくれなければ、あのまま兵士たちを溺死させていたかもしれない。ロレッタの背筋に冷たい汗が伝う。心臓がバクバクと嫌な音を立てた。


 半ば戦意を喪失し、驚愕と畏怖に染まった瞳でロレッタを眺める兵士たち。彼らの元へ、リューズナードが近付いて行った。


「……あの、リューズナードさん……?」


「殺しはしない、気絶させるだけだ。自害されると面倒だからな」


 騎士団の面々には蘇生魔法がかかっており、命を落とすとその場で蘇る、という話だったので、その予防策を施すつもりのようだ。体の疲弊が回復したとしても、彼らに戦う意思が残っているとは思えないが。


 すると、リューズナードへ向けて、兵士の一人が慌てたように声をかけた。リューズナードよりもいくらか歳を重ねた男性に見える。


「ま、待て! ……なあ、お前、ハイジックだろ?」


 兵士たちの前で、リューズナードが立ち止まった。騎士団に長く籍を置いている人間なら、彼と面識があってもおかしくはない。知り合いなのだろうか。


「やっぱりそうだ! 俺のこと、覚えてないか!?」


「知るか」


「昔、一緒に戦場へ出てただろ! な!」


「知らないと言っている。俺は騎士団おまえら覚えなんて、一度たりともない。交戦中に、背後から敵ごと焼き殺されそうになった覚えなら、いくらでもあるがな」


「うっ……」


 とぼけているだけなのか、本当に覚えていないのか。真相は分からないけれど、兵士の言葉にリューズナードの心が微塵も動いていないことだけは、声音で分かる。


「い、いや、だからさ、俺ずっと、その時のことを謝りたかったんだよ! 先輩とか上官とか、周りの奴らが皆やってるから、俺一人じゃ止められなくて……。お前に許してもらえないと、俺も罪悪感が消えないんだ。あの時は、本当に悪かった! 謝るから、一回、武器を置いてしっかり話そうぜ?」


「…………」


 追撃をやめてほしくて、必死に気を逸らそうとしているようにしか見えない。ロレッタにさえそう思わせる薄っぺらい謝罪を、リューズナードは鼻で笑った。


「……消えないのか。それは、ちょうど良いな。非人おれたちだって、お前らから理不尽に植え付けられた劣等感を、この先も一生抱えたまま生きていかなければならないんだ。お前らも、その消えない罪悪感とやらに一生苦しめられながら、非人おれたちの知らないところで勝手に生きて、勝手に死ね。自己満足の為に干渉しようとしてくるな……!」


 途方もない嫌悪感を乗せた声音でそう告げると、リューズナードは兵士たちへ順番に追撃を加え、意識を沈めていったのだった。

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