第55話 うっかり、新しい新聞部をつくってしまった

 ミリアム・ピュリッツアーは学生食堂のカフェにいる。テーブルにはブルーベル新聞を退部する退部届が広げられている。まだ記入されていない真っ白な状態だ。

 つい5分前にミリアムは、ブルーベル新聞の編集長ラスカル・アドラーに新聞の編集方針に異議を唱えたのだ。激しい口論の末、ラスカルはミリアムにこの退部届を差し出した。


「僕の方針に従えないのなら辞めてもらおう」


 ラスカルはそう冷たくミリアムに言い放った。ブルーベル新聞に入部したい学生はたくさんいる。ミリアムが辞めても、すぐに補充は見つかるからこその態度である。


「辞めたくないのなら、頭を下げて許しを請うがいい」


 そうラスカルに言われたがそれはミリアムのプライドが許さなかった。

 ミリアムは黙って退部届を受け取り、その場でサインをして提出した。今はこのカフェでクールダウンしている。


(……ブルーベル新聞を辞めると就職時に困る)


 ミリアムは大学卒業後に新聞社に勤めたいと思っている。ボニファティウス王立大学のブルーベル新聞部に入っていたという実績は、就職の際に大きく貢献する。ブルーベル新聞部出身のOBOGは王国内のマスコミ関係の会社に多くおり、そのコネクションは絶大なのだ。

 せっかく入部競争を勝ち抜き、ブルーベル新聞部の一員になったのに、辞めてしまうのはもったないない。


(だけど……)

「あんな嘘記事を書くジャーナリストにはなりたくない!」


 カップに入ったシナモンティーを一気に飲み干す。いくら就職に有利だからといって、人として許されるような行為に加担したくはない。


「ミリアムちゃん、荒れているじゃないか?」


 不意に声をかけられてミリアムは顔を上げた。そこにいたのは同じブルーベル新聞部で1つ上の先輩であるパウエル・グラントである。


「パウエル先輩……」

「編集長に噛みついたって、やるなミリアムちゃん」


 そうパウエルは茶化した。茶色の髪をスポーティに刈り上げた精悍なスタイルである。体育会系なイメージであるが、れっきとした文学部在籍の文学青年である。


「私は将来、真実を告げるジャーナリスト志望として、あんなフェイク記事を書きたくないのです。ブルーベル新聞は伝統ある学内新聞なのに、いつからあのような大衆迎合の売り上げ主義が横行するようになったのですか?」

「厳しいことを言うね。まあ、ここ10年そういう傾向はあったそうだけど、ここまで酷いのはあのラスカルが編集長になってからだよ」

「やっぱり……。他の部員たちはどう考えているのでしょう。先輩方の中には不快に思っている人がたくさんいると思います」


 そうミリアムは言った。志を高くして入部した学生には、ミリアムと同じ考えの人間はいるはずだ。


「ラスカルは儲けた金で接待漬けにしているからな。大半の部員は疑問に思っても、彼と付き合うことで得られる利にあがなえない」

「それじゃあ、公正な新聞を作れない……。先輩も接待漬けにされている人ですよね」


 ミリアムはパウエルをにらみつけた。よくよく考えれば、この男はラスカルの取り巻きの一人で、誘われるとほいほいと情報収集と称するパーティーへ参加している。


「手厳しいな。ミリアムちゃんはジャーナリスト志望だろ?」

「はい。だからこそ、ブルーベル新聞の腐敗を糾弾したいのです」

「僕がラスカル編集長と行動をしているのは情報収集のためさ。批判をしても証拠がなければただのわがままさ」


 ミリアムはパウエルの真意を知った。この男、編集長に媚を売っていたのは、ブルーベル新聞の腐敗の証拠集めのためだったのだ。


「先輩はクーデターでも起こすのですか?」


 そうミリアムは聞いた。ブルーベル新聞内で編集長のやり方に不満を持っている者が多ければ、執行部を追放し、部を刷新することもできる。


「それは無理だね。残念ながら、ブルーベル新聞内の同志は10分の1もいない。ほとんどラスカルの接待の旨味に凋落されて彼のいいなりさ」

「じゃあ、どうやって?」

「同志と共に新しい新聞部を作る」

「新しい新聞部……冗談でしょ?」


 ミリアムはパウエルが言っていることは夢物語だと思った。新聞を作るには設備や人手がいる。最初は1ページ表裏の紙面でもだ。それを整えるには相当な資金が必要だ。


「援助してくれる人がいるんだよ」


 そうパウエルは言った。ミリアムは警戒した。新聞には公正性が求められる。スポンサーの顔色を伺うような記事しか書けなかったり、下手したらスポンサーのいいようにされてしまったりするのでは本末転倒だ。


「ミリアムちゃんの心配は大丈夫」


 パウエルはミリアムの顔を見てそう付け加えた。スポンサーはボニファティウス王立大学のOB会の1つ。未来研究会という貴族、学者、商人たちからなる有志作る団体である。


「……OBですか?」

「OBの中にも今のブルーベル新聞の体たらくを嘆く先輩たちがいるんだよ。どうだ、ミリアムちゃん。真実を伝えるというジャーナリスト魂を形にしてみないか」


 パウエルはそう言った。新しい編集長はパウエルが務める。ミリアムにも記事を任せると約束した。今のブルーベル新聞では記事を書かせてもらえず、校正作業しか、させてもらっていない。すぐに記者として活躍できるのは魅力的なオファーである。


「分かりました」


 ミリアムはそう決断した。このままブルーベル新聞にいても自分が思ったような活動はできない。


「よし。そうと決まったら、ブルーベル新聞の不透明な活動を取材して、それを記事にする。センセーショナルなデビューで僕らの新聞を船出させよう」

「不透明?」


 ミリアムは、これは戦いだと高揚した。確かにブルーベル新聞幹部学生の生活態度は乱れている。また個人のスキャンダルを捏造する不正を暴露するのは、ジャーナリストとしてやりがいがある。


「それならば、クローディア嬢の捏造記事を検証して、あれがフェイクだと証明しましょう」

「ミリアムちゃん。それだけじゃ、センセーショナルにはならないよ」

「……といいますと?」

「そもそもクローディア様を貶める記事はどうしてあると思う?」

「それはこの学校の有名人ですから、誰もが関心があり売り上げが上がりますので……」

「それだけじゃない。これは根深い悪が絡んでいると僕はにらんでいる」


 パウエルはそう言った。ミリアムは確かにと思った。そもそも今のブルーベル新聞幹部の豪遊ぶりを見ていると、資金が別ルートから入っているとしか思えない。


(何か大きなスポンサーが資金を出している……。そのスポンサーが現王太子妃候補のクローディア様を貶めるということは……)


 これは単なる女学生の中傷といった小さな問題ではなくなる。王国の政変にも関わりかねない問題である。


「クローディア嬢のバーゼル家は王国宰相も務める家柄。この力を凌駕するとなれば、相手は敵対する貴族か……まさか王族」

「王太子であられるエルトリンゲン王子は平民の女学生を侍らせている。そう考えれば容易いこと」


 ミリアムはなるほどと思った。しかしそんなことがあるのだろうかという思いもある。いくら愚かでも王太子である。王国の秩序を思えば、大貴族出身で秀才の誉れが高い令嬢を振って、なんの後ろ盾もなく、そして能力も低い平民出身の娘を嫁にするであろうか。

 最初は民衆も自分たち出身の王太子妃を喜ぶだろうが、それが王太子妃、ひいては王妃に相応しくなかったら手のひらは返される。庶民とはそういうものだ。王太子はそう言う意味では、庶民のことを知らない。


「王太子自身が自分の婚約者を貶めているということですか……。その道具として伝統あるブルーベル新聞を使っていると……」

「恐らくな……」


 ミリアムは言葉を失った。権力者に買収されるなどとは、ジャーナリズムが己の存在意義を金で売ってしまったと同じである。


「許せない!」


 ミリアムはパウエルがつくる新しい新聞部で自分のやりたいことをすることに決めた。

 彼らが設立した『真実の声』と言う名の新聞は、ブルーベル新聞とそのスポンサーによるフェイク記事検証というテーマで第1号が発行された。

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