第39話 うっかり、秘策を授けてしまった

「なんだと、クローディア姫がリック陣営の支援に?」


 バティス・ロジャースはリック陣営に潜ませていたスパイの学生から、クローディアが支援者に回ったことを聞いて驚いた。まさか公爵令嬢がコテコテの平民候補の支援に回るとは思っていなかった。


「バーデン家の財力が加われば、奴も盛り返すだろうなあ」


 バティスはそう懸念を口にした。彼もリックの人柄と能力はよく知っていた。能力だけならば、十分に会長職を務められるだけの男だ。残念なのは資金力が弱いこと。今、自分が圧倒しているのはこの面が決定的だからだ。


「いえ、クローディア様は金銭的な支援はしないとのことです。一般学生と同じ程度だと聞いています」

「うむ……」


 バティスは考えた。てっきり、クローディアの経済支援で宣伝力を強化すること思ったがそうではないようだ。そしてそれが正しい判断だとも考えた。


(さすがリックだな。ここで大貴族の支援を受けたら、彼の支持者である平民学生の支持を失うからな。彼は苦学生の代表ということで支持されている。安易に貴族の支援は受けられまい)


 バティスはここで重要なことを忘れていた。スパイをしている学生はクローディアを連れて来た男子学生についても話したが、クローディアの方にインパクトがあったので気にも留めなかったのだ。


「そのクローディア姫が代表でカール陣営に交渉に向かったそうです」

「……なるほど。バーデン家はカールの病院の大口出資者。裏の経営者と言ってもいい。彼女に頼まれてはカールも表向きは同盟を組むしかないだろうなあ」


 あまり困ったような感じを見せずにバティスは自分の選挙参謀と目を合わせた。選挙参謀の学生はにやりと笑った。もう手は打ってある。

 そもそも対抗馬であるリックやカールが勝つには、こちらを過半数未満にして決選投票に持ち込むしかない。

 それは想定済みだ。そうさせないように有利な選挙もちろん、最初の1回で決めるつもりだが決選投票でも勝つ算段をしている。


「こちらには畏れ多くもエルトリンゲン王太子殿下が支持を表明してくださっている。貴族票はこれで固めた。あとは平民票を抑えるのみ。だが、これは心配はいらない。平民というものは勝つ方に乗るものだ。わざわざ負け馬に乗る愚かなものはいまい」


 バティスはそう平民を見ている。貴族は忠誠心という高貴な志をもっているので、負け戦でも堂々と戦うが、平民はそうではないとしているのだ。これは彼が伯爵家の出身であることが影響していた。


「カール陣営に潜り込ませている者にも、奴の動きを注視するよう監視を強化すよう伝えろ。明日の演説会で決定的な差をつけてやる」


 バティスはそう選挙参謀に命じた。公開の演説会は全部で2回行われる。明日は大学の中央広場でのオープンな演説会だ。支援する学生が聞きに来るから、現在の支持率が参加者に反映されるのだ。

 カール・クラウスの選挙事務所である医学部等の演習室を訪れたクローディアは、中に通されると勧められた椅子に座った。その後ろに付き人のごとくハンス、アラン、ボリスの3人衆が立っている。ハンスは眼鏡をかけた痩せ男。アランはいかつい筋肉質の大男。ボリスは縮れ髪の小男なので、並んでみるとなんだかちぐはぐな感じがする。


「いきなりですが、カールさん。リックさんと組みましょう。バティスさんが勝てば、理系の研究棟の改装工事は後回しになりますよ」


 クローディアは単刀直入にそう切り込んだ。しかもわざとカールの選挙事務所で働く学生ボランティアに聞こえるようにだ。


「クローディア姫様、お声が大きいです。この中にバティス陣営の内通者がいるかもしれないのですから……」


 カールはそう声を潜めてクローディアを注意する。この頭がお花畑のお姫様は、陰謀やら策略やらを知らないと決めつけているようだ。


「あら、カールさん。そんなことは周知の事実でしょう。リックさんの陣営にもそういう方は潜り込んでいるでしょう。もちろん、カールさんも送り込んでいるはず……」


 クローディアはそう言ってにやりとした。それを見たカールは、クローディアの頭の中がお花畑でないことは分かった。最初の提案を大きな声で言ったのもあえてスパイに聞かせたということだ。そして当然ながら、リックの陣営のスパイもバティスやカールの選挙事務所に入り込ませている。


「しかし、バティスもバカじゃない。研究棟の改修工事の前倒しを条件に僕らを引き込むかもしれませんよ」


 当然、バティスも2位3位連合を組まれないように手を打つ。理系学部の学生の願いは、長らく放置されていた理系学部が使う研究棟の改修工事。これを率先してやってくれるのなら、会長はバティスでもよいとカールは思っている。


「これを見てください」


 クローディアはそう言ってある計画書を広げた。これはポリスが作った来年度の予算計画書である。今のキャビネットが来年度の予算をつくるのはおかしいのではあるが、予算要求は半年前から行われるため、今のキャビネットが素案をつくることになる。

 これを基に選挙で選ばれた会長が来年度の政策を行うのだ。もちろん、ある程度の修正はできるが、大きく変えることは不可能なのだ。

 クローディアが指さしたのは、来年度の理系学部の研究棟の改修計画である。保留と記載されて予算が計上されていない。


「この予算をつくったのは現キャビネットですが、その副会長はバティスさんです。理系学部軽視は、彼の出身の法学部学生の方針ですから、このような予算編成になるのです」


「……なるほど。だから、君たちと組めと言うことか?」

「そうです。もし、リックさんが会長になれば、早急に補正予算を組んで研究棟の改修工事を行います。これは支持に対する交換条件です」

「僕がバティスと組むと言えば、彼も補正予算を組んで対応するだろう」

「ふふふ……。カールさんがそう思うのならバティスさんと組めばいい。ここはリックさんとバティスさんの信頼度で決めるのだと我は思うが……」

(うっ……)


 カールはそう指摘されて思わず黙った。バティスは実績もあり、やり手の政治家気質の男である。駆け引きがうまく、そして利用できるものは利用する。己の利益にかなわないなら平然と切り捨てるところがありそうだ。

 それに比べてリックは温厚な人柄。陰謀とは無縁だ。約束は絶対に守るであろう。


「……いいだろう。君たちと組もう」


 カールはそう言って右手を出したが、慌てて引っ込めた。握手する相手の身分が高く、そして姫であることに気付いたのだ。


「いえ、どうぞよろしく」


 クローディアはそんなことは気にしないと手を握った。その手の軟らかさにカールは思わず赤面する。


「それでは協定書を作成します。ハンス、用意しなさい」

「はい、姉(あね)さん」


 ハンスはカバンから作成してきた協定書を机に広げた。2つの陣営が協力することを文書化したものだ。

 リックのサインは既にしてある。カールは内容を1つ1つ確かめ、また、時折、選挙参謀の学生と相談した上でサインをした。


「これで両陣営の協定が結ばれた。あとは協力してバティスさんの票を上回ることに専念しよう」


 協定を結んでもバティスが単独で過半数を上回れば、意味がないのだ。カールは理系票を取りまとめ、リックはバティスの票を切り崩すしかない。

 カールの事務所から帰る途中、クローディアはハンスとアラン、ボリスにそれぞれ手紙を託した。


「姉さん、これは何ですか?」

「まさか恋文?」

「僕たちにですか?」

「そんなわけがないでしょう。あなたたちは、それぞれ薬学部、看護学部、獣医学部の室長さんにその手紙を届けてください」

「???」


 3人の頭に「?」の文字が3つほど浮かぶ。


「姉さん、どういうことですか?」

「これはテディの進言で行うこと。カールさんに会って、我は決断したのだ。これは切り札にするための事前工作」

「まさか理系票を切り崩す?」

「それは裏切りでしょう。そのような汚い手を使うことでは勝てないとテディは言った。我もそう思う」


 そうなるとハンスもアランもボリスも手紙の中身が想像できない。てっきり、3学部の室長に条件を提示してこちらに票を入れるように命じたのだと思ったのだが、どうやら違うらしい。


「裏切りをした方が負けるということだ」


 クローディアは3人を見送ると、カフェで優雅にお茶を飲む姿を15分ほど披露して、そのまま裏口からそっと抜け出した。クローディアを監視している学生の目から逃れるためだ。そして密かに、工学部の室長のゼニンスキーに面会を求めた。

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