第107話 悪夢

 ミモザが目を覚ますと、そこは見慣れた部屋の中だった。

 レオンハルト邸のミモザにあてがわれた部屋だ。

「……いっ」

 いつも通り起きあがろうとして、痛みにうめく。なんだかありとあらゆる場所が引きつれるように痛い。

 傷の具合を確認しようと特に痛む腹部を触ろうとして、

「…………ん?」

 手首の違和感と引っ張られる感覚にミモザは動きを止める。恐る恐る手元を見下ろす。

「…………は?」

 寝起きの頭でうまく状況が処理できない。いや、状況を理解することを拒否しているのかも知れない。

 ミモザは両手を目元まで上げた。

「………なんで拘束されてんの?」

 そこには縄で厳重に拘束された自分の両手があった。

 ミモザは別に確認したくなかったが現実逃避してもどうしようもないため渋々状況を確認する。

 両手はひとまとめに縄でくくられていた。足にも縄がついているがそれは右足にだけで、その先はベッドサイドに繋がっている。縄は非常に分厚く丈夫で引っ張ったくらいではびくともしない。

「……チロ」

「チー」

 返事が返ってきたことにほっとしてそちらを見ると、

「…………」

 チロは金属で出来た籠に閉じ込められて机の上に置かれていた。

「あー……」

 ミモザは遠い目をしてつぶやく。

「ふて寝してぇ……」

「チチチ、チー、チチッ」

 てめぇ、ふざけるな、真面目にやれ、とチロからの檄が飛んだ。


 その時、かちゃりと音を立てて扉が開いた。ミモザとチロの間に緊張が走る。

「ああ、起きたか」

 状況から薄々そうではないかと思ってはいたが、今一番見たくない顔がそこにはあった。

「………レオン様」

 黄金の瞳が喜ぶようにほころぶ。

「調子はどうだ?」

 ミモザの心境など知ったことではないと言わんばかりの平常運転である。手に持ったトレイには粥と水が乗せられていた。

 彼はミモザに歩み寄るとベッドサイドに置かれた椅子に座り「水は飲めそうか」とかいがいしくグラスを差し出してくる。

「ええーと……」

 それをありがたく受け取るが、口に運ぶのに少し躊躇する。別に怪しいものが入っているとは思わないが、状況があまりにも不気味すぎた。

「あの、子どもは……?」

 とりあえず知りたいことを確認する。彼は心得たように頷いた。

「ああ、無事だよ。君のおかげでかすり傷程度ですんだ。鳥もちゃんと殺したから安心しなさい」

 そこでちょっとレオンハルトはミモザの体調を伺うように手を取った。そのまま軽く脈を測る。

「君はなかなかの重症だったんだが、医者が頑張ってくれてね。内臓の損傷が酷かったんだが、今はもう安静にして負荷をかけないようにすれば大丈夫とのことだ。とりあえず食事を取って痛み止めを飲みなさい」

 トレイの上にはなるほど、確かに薬も置かれていた。

(これ、飲まないと話が進まないやつかな……)

 ミモザは覚悟を決めるとまずは水を飲む。気づかなかっただけで相当喉が渇いていたのだろう。体が蘇るように水が染み渡った。

 レオンハルトはそれを無言で見守ると、そのままお粥を差し出した。

「…………」

「……………」

 しばし、無言で見つめ合う。

 レオンハルトはミモザの食事介助をするつもりなのか、なんと粥をすくったスプーンを口元へと持ってきていた。

(えーと……)

 ミモザは脂汗をだらだらと流す。ただでさえ風呂にも入らず失神していたのだろうに、体がべたべたして気持ちが悪い。

 確かに今のミモザは両手を縛られている。これでは自分で食べるのは至難の業だろう。

「あの、これを外していただければ自分で食べますよ」

 一応言ってみた。

「それは外せないから手伝おう」

 真顔で返された。

(なんで外せないのかって聞いた方がいいよなぁ)

 聞きたくないし知りたくない。このまま現実逃避で寝てしまいたい。

 状況は明らかに異常なのに、レオンハルトの態度が常と変わらないのがとにかく恐ろしい。

「あの、なんで外せないんですか?」

 恐る恐るミモザは尋ねる。レオンハルトは説明しないとミモザが食べなさそうだと思ったのか一度匙を置いた。肩をすくめて見せる。

「外すと君は外に出るだろう」

「はぁ……」

 ちょっとよくわからない。ミモザは首をひねる。

「そりゃまぁ、そのうち外に出るでしょうね」

「それはダメだ」

 レオンハルトはミモザを真っ直ぐに見下ろして言った。

「君は今後一生、ここで過ごすと良い」

「……えっと」

 言いたいことは色々あったが、言葉がうまくまとまらない。

「とりあえず、どうしてそのような結論に至ったのかの経緯を伺ってもよろしいでしょうか……?」

 今のレオンハルトはどうにも危うい。ぎりぎりの均衡を保って綱渡りをしているような雰囲気がある。ミモザは極力彼を刺激しないように気をつけながら、質問をした。

「君は、死にかけた」

「はぁ……」

「俺はそれに耐えられない。でも君はきっとこれからも危険に自ら飛び込んでいくんだろう?」

「そのようなことは……」

 ない、と言おうとして、鋭くぎろりと睨まれてミモザは押し黙る。ミモザが黙ったことを確認して、レオンハルトは告げた。

「だから外に出さないことにした」

「えっと、」

「大切なものはきちんとしまい込んでおくべきだったんだ。そうだろう?」

 レオンハルトの黄金の瞳が歪んで見えた。瞳だけではない。彼から立ち昇る白いオーラ。その本当の姿は幻術で見えない。

 しかし察することはできる。ミモザも狂化している身だ。

 一度、目をつぶる。

 そこには見えないはずなのに、重苦しく世界を塗り潰すように広がる真っ黒な彼のオーラが充満していた。

 ミモザは目を開く。見えるのは常と変わらない彼の姿だ。

「……生ものは腐りますよ」

 結局ミモザに言えたのはそんなことくらいだった。

「なるほど、腐らないように環境整備が必要だな」

 ふふ、と愉快そうにレオンハルトは笑う。

「さあ、もういいだろう。少しでもいいから食べなさい」

 目の前にずい、とスプーンが差し出される。逆らうこともできず、ミモザはそれを口にした。



 一体何時間経っただろう。レオンハルトが立ち去った後、ミモザはじっと天井を見上げていた。

 考えているのはレオンハルトのことだ。

「僕のせいかな」

 ぼんやりとつぶやく。

(何かを間違ったんだろうか)

 ふと、フレイヤの言葉を思い出す。自分が彼女に言って返した言葉も。

「彼と自分では釣り合いがとれない」

(本当に?)

 この考えは合っているだろうか

 オルタンシアの言葉を思い出す。彼はレオンハルトがミモザを愛していると言った。もしそれが本当ならば。

 その考えはミモザ自身の自己保身であり、レオンハルトをどこか遠い位置に置くような、そんな傷つける行為ではないのか。

「……難しいな」

 自分の考えが、一番わからない。

 都合のいい嘘や誤魔化しばっかりだ。

(こんなことまでさせてしまった)

 縛られた手を見る。

 どうしたらよいのだろう。

 彼の危うげな雰囲気を思い出す。

 こんな事をさせたいわけじゃない。彼には楽しそうにしていて欲しいのに。

「恋ってなんだろう……」

 大切にしたい、仲良くしたい、それだけとは違うのだろうか。

 ミモザは縛られた自分の手を見る。

 ここまでさせてしまうようなものが恋情なのだろうか?

「チチチッ」

 ミモザの思考を引き裂くようにチロが叱咤の声を上げた。見ると彼女はいらいらと籠を叩いていた。

 早くここから出せ、考えるのはそれからだ、とその目が訴えている。

「……そうだね」

 ミモザは勢いをつけて起き上がる。痛み止めが効いているのか、目覚めた時ほどの痛みはなかった。

 そのままチロの元へと近づく。

「レオン様にしては詰めが甘い」

 それだけ正気ではないということだろうか。

 チロは心得たように針伸ばして籠の隙間から出した。ミモザはそこに縄を引っ掛けるようにして何度も擦る。

「………よし」

 かなり時間はかかったが、針で削られて縄は切れた。ミモザは足の縄を解いて外すとチロの入っている籠を確認する。

「うーん……」

 籠の扉部分には鍵がかかっており、魔導石が埋まっている。ミモザはチロをメイスに変えようとしたが変わらなかった。おそらくこの籠自体が中にあるものを武器に変えられないようにする魔道具なのだろう。

「………諦めるか」

 鍵屋にでも依頼して開けてもらおう。

 早々に諦めてミモザは籠を持って立ち上がると窓へと向かう。

 ここは二階である。目の前にはちょっと距離はあるが木の枝が伸びていた。

「ごめんなさい」

 その木を丹念に世話している庭師に謝って、ミモザはその木の枝へと飛び乗った。

 逃亡開始である。


 数十分後、もぬけの殻となった部屋で、レオンハルトは腕を組んで立っていた。

「も、申し訳ありません、旦那様。どうやら庭木を伝って行ったようでして……、切っておくべきでした」

「いや……」

 ジェイドの言葉にレオンハルトは静かに首を振る。

「木がなかったところでこの高さだ。飛び降りることは容易だろう」

「はぁ……」

 レオンハルトはミモザが寝ていたベッドに触る。もう布団は冷たかった。だいぶ前に逃げ出したのだろう。

「……俺のミスだ。情けをかけ過ぎたな」

 ミモザが怪我人だったということもある。しかしそれ以上に、彼女ならばこちらの意を汲んで逃げ出さないのではないかという淡い期待がレオンハルトにあったことは否めない。

(結局、彼女も同じか……?)

 彼女が死にかけた時、彼女がいなくなることをレオンハルトは恐れた。それは死ぬことだけではなく、生きていたとしてもレオンハルトの側からいなくなるのが怖かったのだ。

 失うかも知れないと実感して、レオンハルトはそのことに気がついた。

 実の父と母もレオンハルトを愛さなかった。義母であるカーラも都合が悪くなるとレオンハルトを切り捨てた。

 レオンハルトに愛情を向ける者達は皆、レオンハルト自身ではなく、レオンハルトの『騎士としての優秀さ』を見ているだけだった。きっとこのレオンハルトのどうしようもない性格を知ったら離れていくことだろう。

(ミモザならば……)

 受け入れてくれると思っていた。

 けれど彼女もやはり、都合が悪くなったら切り捨てるのだろうか?

 レオンハルトがただのどうしようもない男に成り下がった時、そばにいてはくれないのだろうか?

「探しますか?」

「………いや」

 ジェイドの言葉に首を横に振る。

「どうせ御前試合には姿を現す。彼女は騎士になりたがっていた」

 触れていたベッドから手を離し、レオンハルトは立ち上がる。

 けれどそうだったとして、それでもレオンハルトは彼女を手放す気にはなれないのだ。

 レオンハルトを助けると言った彼女、レオンハルトの幸いを祈るおまじないをしてくれた彼女、レオンハルトの失態を許してくれた彼女、レオンハルトが楽しいならば月など手が届かなくてもいいと言った彼女。

 彼女はレオンハルトが人の不幸を望むことすら許してくれていた。

 義母の時にはレオンハルトはまだ幼く、何の力も持たなかった。

(だが今ならば……)

 レオンハルトは何も諦める必要はない。

(最初は嫌がるかも知れないが、そのうち彼女も諦めるだろう)

 レオンハルトから逃れることを。

 だがその前に、一つだけ彼女の夢を叶えさせてやろう。

「閉じ込めるのは、その願いが叶ってからでもいいさ」

 そう言うと彼はその部屋から立ち去った。

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