第四章

第106話 野良精霊の暴走

 ミモザはしばし呆然とその光景を見守った。

(え? この鳥、だってボスが出てくるのは開会式で……)

 野良精霊が大きく息を吸い込む。

「ミモザっ!」

 レオンハルトの声に我に帰る。彼はもう立ち上がり、レーヴェを剣へと変えていた。

「行くぞ、援護しろ」

「はい!」

 ミモザも慌てて立ち上がりチロをメイスへと変える。

「みなさん! 落ち着いてこちらへ避難してください!! 建物の中に入れる人は入って!!」

 巨鳥に向かって駆けながら聞き覚えのある声に視線をやるとそこにいたのはマシューだ。たまたま居合わせたのであろう彼は、騎士や警官などに混じって避難誘導をしている。

 鳥が吸い込んだ息を吐き出そうとした、瞬間にレオンハルトが炎の斬撃を放つ。それは鳥のくちばしへと当たり、その軌道を明後日の方向へと逸らした。

 鳥の放ったブレスが鈍い轟音を響かせて空へと放たれ、雲にぽっかりと穴を開けた。

 その光景にぞっとする。あれが街に放たれていたら一体どれだけの被害が出ることか。

 レオンハルトが再び斬撃を放った。鳥はそれを受けてたたらを踏む。周囲に人がいては満足に戦えないからだろう、その攻撃は鳥を倒すためというよりも避難する時間を稼いでいるようだ。

 ミモザは鳥がレオンハルトに気を取られている隙に毒の霧の塊を生み出すとそれを鳥の顔面へと向けて放った。黒い霧が鳥の目元を覆う。目眩しだ。

 やがて鳥の周囲から人はいなくなり、正面にはレオンハルトとミモザだけが立つ空間が出来上がった。

 鳥は頭を大きく振ってミモザの生み出した霧を払いのける。ぎょろりとした紅色の目がレオンハルトのことを捉えた。

「下がっていなさい」

「……はい」

 嫌な予感がした。

(本当に下がっていていいのか?)

 わからない。すでに事態はゲームの展開を外れているように思う。この場にはレオンハルトがかばわなければいけないような人間は存在しない。ならばレオンハルトが狂化しているとはいえこの程度の野良精霊に負けるとは思えない。

(けど本当に……?)

 嫌な予感がおさまらない。

 レオンハルトは剣を構えた。鳥がレオンハルト目掛けてそのくちばしを向けようとして、その視線が唐突に外れる。

「……は?」

 外れた鳥の視線の先を見る。

「ママ、ママァ、どこぉー」

 そこには泣きじゃくる子どもがいた。

 鳥がそちらへと標的を変えたのがわかった。

「……ちっ」

 レオンハルトが再び斬撃を放って鳥の動きを抑制し、その子ども目掛けて駆け出す。

 ミモザもその後を追いながら毒の霧を鳥に向かって放ったが、

(あ、これダメだ)

 悟ってしまった。

(間に合わない)

 子どもと鳥の距離が近すぎるのだ。レオンハルトは子どもの元に辿り着くだろう。けどそれで精一杯だ。

 ミモザはすぐ目の前を走るレオンハルトの服を掴んだ。驚きに見開かれた金の瞳がミモザのことを振り返る。それを無視してその服を引っ張る勢いを利用して前へと出る。

「ミモ……っ」

 ミモザは子どもへと手を伸ばす、そしてそのまま突き飛ばした。

 体が地面に転がる。視界に入ったのは鳥の開いたくちばしだ。

(防御形態……)

 展開すると同時に、どっと全身を圧力が襲った。

「ぐうぅぅ……っ」

 ものすごい風圧と衝撃が体を襲う。風圧だけではない、振動のようなものが防御形態を貫通して鋭くミモザの体を打ちつけた。

 地面に寝そべった姿勢のため踏ん張りも効かず、ミモザの体は大きく後方に押し除けられる。そのまま壁へと激突してミモザは一瞬息が止まった。

「ミモザ! 大丈夫か!」

「だ、」

 大丈夫です、と答えようとして声が出なかった。

「かふっ」

 代わりに大量の血が口から溢れでる。

「ミモザ!!」

 横たわるその体をレオンハルトが抱き上げた。

「ミモザ! ミモザ……っ!」

 必死な黄金色の瞳がこちらを覗き込む。

(あれ? これ、どういうことだ?)

 いまだに状況が整理できず、ミモザはぼんやりとそれを見上げた。

「れ、おんさ……」

「喋るな!!」

 大きな声のはずなのに、随分とその声は遠く聞こえる。

 ミモザはゆっくりと手をあげて、レオンハルトの頬に触れた。

 濡れている。そのことに少し驚く。

 ミモザの頬に何かがぽとぽとと落ちてきている。

(これ、なんだ?)

 わからない。ミモザの思考はいやにゆっくりとしていて緩慢だった。脳の処理が追いつかずただ思ったことを口にする。

「よ、かった」

 良かった、貴方が無事で。そんな簡単な言葉も形にならない。

 レオンハルトの顔ももう、真っ黒に塗りつぶされたようになって見えなかった。


「何がいいものか!!」

 レオンハルトが吠える。

「何がいいんだっ! ふざけるなっ! ふざけるな……っ!」

 そこまで叫んで、レオンハルトは静かに口をつぐんだ。真っ赤に染まっていた思考がコントロールを取り戻し、今尽くすべき最善を導き出す。

 ミモザの息を確認する。呼吸をしている。彼女はまだ死んでいない。しかしそれも時間の問題だ。おそらく内臓を損傷したのだろう。ぐったりと目を瞑ったミモザをそっと地面へと下ろす。

「マシュー君!」

 どこかにいるはずの人を呼ぶ。彼は確か回復魔法の使い手だった。慌てて駆け寄るその姿に「手当を」と簡潔に告げた。

「動かせるようならすぐに医師の元へ、子どもも頼む」

 見ると突き飛ばされた子どもはすり傷程度で済んでいるようだ。目の前で起きたことがショックだったのか、今は涙も引っ込んで茫然と座り込んでいる。

「は、はい」

 手放すのは口惜しいが今はそんな場合ではない。マシューがミモザの負傷を確認する横で、レオンハルトはミモザの髪をそっと一度だけなぜた。

「後は俺に任せなさい」

 そうしてゆっくりと立ち上がる。

 野良精霊はその場にとどまり蠢いていた。

 レオンハルトの金色の瞳が獰猛に輝く。

「俺の弟子を傷つけたことを、後悔させてやろう」


 先に動いたのは鳥だった。鳥はその大きな翼を広げ、空へと舞い上がった。その羽ばたきが巻き起こした旋風が嵐のように周囲の物を巻き上げ、それが窓などにぶつかってガラスの破片が飛び散った。

(逃亡? いや……)

 おそらくこの鳥にはある程度の知能があるのだ。思えばこの鳥は標的を選んでいた。弱い者から狙っていたのだ。これもレオンハルトのことを警戒して距離を取ったに過ぎないのだろう。空中でレオンハルトの方を向きながらホバリングしている。

「小賢しいな。届かない場所から攻撃を仕掛ける気か」

 レオンハルトは後方へと剣を引く。構えを取った。

 そのまま全力で鳥のいる方向へと駆け出す。

 通常、属性攻撃は一人一種類持っていることが多い。二種類あるだけで天才と称されることすらある。

 そしてレオンハルトは紛れもない天才である。

 当然、普段は不要なため使わないだけで炎の他にも属性を持っている。

 彼はその駆けた勢いのまま地を蹴った。体が空中に浮かぶ。そして落下する直前で、その足は空中を捉えた。

 空気の圧が彼のその足元へと集まる。大砲が発射されるように、彼は空気の圧力に弾き出され、一気に大空へと撃ち上げられた。

 彼のもう一つの属性は風である。

 空中に飛んだレオンハルトと鳥の目が合う。レオンハルトは大きく剣を振りかぶった。

「死ね」

 黄金の瞳が殺意に輝く。振り下ろされた刃はまるでギロチンのように鳥の首を一刀両断した。

 その傷口からはわずかに焦げた臭いと煙が立ち上っている。熱で焼き切ったのだ。

 鳥の目玉が一瞬で白く濁る。そのまま力無くその巨体は落下した。

 レオンハルトも風で減速しながらその後を追うように落下した。やがて鳥の遺体が派手な音を立てて地面へと打ち付けられる。

 レオンハルトはその遺体の上へと着地した。

 黄金の鋭い瞳が周囲を確認するように睥睨し、藍色の豊かな髪が風に流れる。

 その姿は紛れもなく、英雄だった。

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