第四話:私の心(ノエル視点)②

「宿は? 宿はもう少し?」

「もう少しだ」

「なあ、ひとつ確認したい」


 うつろが、影から声をかけてきた。


「なになに?」

「みんな、所持金はいくらだ?」

「あ」

「あ」

「む」


 ルミまで、声をあげた。私たちの所持金は、おばさんたちが持たせてくれた銀貨十枚と銅貨五枚。道中、行商人から銅貨二枚でパンを買ったから銀貨十枚と銅貨三枚。私はルミにそれらが入れられた麻袋を差し出した。


「宿泊費三日分くらいか。飲み食いするとなると二日分か?」

「なるほど、それくらいなんだね」

「ノエルはお金の価値わかってないからなー」

「ルミは?」

「ん、んー……すまん」


 ルミがカバンから財布を取り出した。革細工の上等そうな財布だ。私たちの麻袋とは大違い。だけど、なんで謝るんだろう。


 中身を見てみる。なるほど、どおりで謝ったわけだ。


「空っぽだ……」

「まじで?」

「金のことが頭からすっぽ抜けていてな……」


 まあ、無理もない話だろう。博多で市長と争ってからすぐ、ギルドの転送装置? というのを使って竹下まで来たそうだから、お金の用意をしていなくても仕方がない。私たちも、おじさんおばさんが渡してくれなかったら無一文で旅に出るところだったしね。


「宿についたら、作戦会議よ!」

「まずは稼がないとかあ」

「お前らなあ……」


 私の影で、うつろがため息をついている。うつろも、私が家からお金を持ち出さなかったことに気づいていなかったくせに。なんて言ってたっけ? 食料と着替えと防寒具と気合いだっけ。お金は? ねえうつろ、お金は? 私はうつろにも伝わるように、心の中で強く念じた。


 あ、うつろが拗ねている気がする。伝わったみたいだ。


 話をしているうちに、宿の前についていた。年季が入った建物だ。綺麗な木造の建物で、まわりの建物と比べれば安心感がある。いかにも安宿らしい構えだ、とよくわからないけど思ってしまった。


「ここなら食事付きで二日は泊まれるだろう」

「明日にでも稼がなきゃね」

「とりあえず入ろう。話はそれからよ」


 私たちは、宿の中に入った。入るとすぐ、カウンターに座っている女性と目が合う。人がよさそうな、恰幅のいいおばさんが笑顔で迎えてくれた。


「いらっしゃい。お泊まりかい?」

「はい。三人でお願いします」

「あいよ。何日泊まる?」

「とりあえず二泊でお願いしたい。三日後の朝に延長するかどうか決めたいのだが、いけるだろうか」


 ルミの言葉で私が麻袋をカウンターに置く。中身を改めたおばさんは笑顔で「あいよ」と答えた。延長、そういうのもあるのか。


「代金は三日後でいいよ。そのときに延長するか聞くからね」

「わかりました」

「部屋はいくつにする?」

「どうする? ノエル」

「この資金で二泊だと二部屋までだね」


 部屋の数か。一人一部屋が理想的なんだろうけど、二部屋まで。私はうつろと話がしたいから、一人じゃないほうがいいだろう。一人部屋から話し声が聞こえては、怪しまれそうだ。


「二部屋お願いできますか?」


 言い出したのはアイコだった。

 

「あいよ」

「私ちょっと、技師の仕事もしておきたいから」

「ああ、なるほど」

「では、私とノエルが相部屋だな」

「ありがとう、助かるよ」

「よろしくね、ルミ」


 ちょうどいい、ルミとはもっと話がしたい。お互いについて、まだよくは知らないから。一緒に敵に立ち向かうんだったら、もっと互いを知らなきゃ。アイコも一緒のほうがいいだろうけど、アイコには仕事もある。仕方がない。旅に出るからといって、技師としてやるべきことを放ったらかしにはできないだろう。


 おばさんから二部屋分の鍵を受け取る。


「ご飯はできたら部屋まで持って行くからね」

「はい、楽しみにしてます」

「ああ。腕によりをかけて作るから、楽しみにしててくんな」


 ああ、なんか、いいなあこういうの。なんだか、おばさんを思い出すな。まだ数日しか離れていないけど、既に懐かしく思える。何より、久しぶりのちゃんとしたご飯に胸が躍る。


「じゃ、部屋に行くか」

「作戦会議は夕飯の後ね」

「ノエルって結構食いしん坊よね」


 おばさんに軽く会釈をして、二階に上がる。鍵に書かれた部屋番号は二○四。角部屋だ。アイコは二○三。たまたま空いていたからか、気を利かせて隣同士にしてくれたらしい。私たちは「またあとで」と、それぞれの部屋に入った。


 部屋は結構広い。安宿とは思えないほどに、設備は整っている。お風呂場まである。トイレとお風呂が別だ。ベッドもちゃんと二人分あるし、それぞれが十分な大きさだった。え、これで安宿だったら普通の宿ってどうなっちゃうの? 高級宿は? 想像すると、なんだか怖くなる。


「ベッド、ノエルはどっちがいい?」

「んー。壁際のほうかな」

「じゃあ私は窓際だな。ふっ、特等席だ」

「そうなの? 私は壁と向き合える方が安心するけど」


 私は、いつも壁と向かい合うようにして眠る。そうじゃないと、なんだか寝にくい。野宿しているときに壁を作ったのは防犯の意味もあるけど、壁と向かい合いたいというのが一番の理由だった。私は荷物をベッドのそばに置いて、ベッドに思い切りダイブする。


「ベッドだー!」

「ははは、初の旅で連日野宿はこたえたろ」

「うん。かなりきつかった」

「私もあまり旅慣れしてる方ではないから、気持ちはわかる」


 ルミがベッドに倒れ込んでいる。私のようにダイブしてはいなかったけど、ルミもそういうことをするんだなと、なんだか安心した。旅慣れしていないというのは、まあ、行き倒れていたことから想像できなくはない。


「出張のときは転送装置を使うことが多いからな」

「オーパーツだよね、それ」

「ああ。生産が難しく貴重だが、ギルドや市庁舎では使われているな」

「はー。一瞬で別のところにいけるって、夢みたいだね」

「私もはじめて知ったときは同じことを言ったもんだ」


 ルミがうつぶせのまま喋るから、声がこもって聞こえにくい。そういえば、うつろが出てきていないな。


「うつろ? もう出てきていいんだよ?」


 私が言うと、うつろが影からゆっくりと出てきた。


「子供をあやすみたいに言うな」

「ごめんごめん」


 うつろが私の頬を影の手で優しく叩く。ルミの笑い声が聞こえた。


「仲が良くてうらやましいことだ」

「へへへ、そう見える?」

「ああ、見えるさ」

「だってさ、うつろ」

「なぜそこで私に振る」


 仲が良いと言われると、悪い気はしない。むしろ、なんだか嬉しい。これから苦楽を共にする相棒だからね。苦楽を共にするといえば、ルミだってそうだ。相棒とはまた違うと思うけど、やっぱり仲良くなりたい。


「ルミはさあ」

「うん?」

「好きなことってある?」


 仲良くなるには、まずこれだ。アイコと仲良くなったきっかけも、オーパーツ好きの話を聞いてからだった。それより前はもっとこう、ドライな付き合いだったように思う。


「好きなことか。飲み歩きだな」

「え、お酒?」

「ああ。ノエルはまだ飲んだことはないのか?」

「まあ一応飲める年だけど、飲んだことないね」

「お、じゃあ今日飲むか? 酒を頼むくらいの余裕はあるぞ」


 ちょっとだけ、胸がときめいた。お父さんからはもう少し待て、もう少し待てと何度も言われて止められたお酒。正直、すごく飲みたい。


「飲みたい!」

「よし、じゃあ食事が来たときにでも頼もう」

「ルミが飲みたいだけな気がしてきた」

「ははは、それもある」


 ルミが仰向けになりながら、笑う。二人してベッドから起き上がろうという気は、さらさらないようだった。うつろは私の隣で所在なさげに座っている。ベッドのシーツを影の手の指先で、つっついて遊んでいた。何をやっているんだ、この子は。


「ノエルは、好きなことはないのか?」

「私? そうだなあ」


 考えていなかった。私って、何が好きだっけ。昔から、剣の稽古と魔法の勉強しかしてこなかったからなあ。あとはアイコに付き合って森に入って怒られたり、アイコのオーパーツ講座を聞かされたり……。オーパーツに関しては聞き流していたから、未だに全然詳しくはないけど。


「魔法の勉強とか、剣の稽古とかはしてたけど、好きかって聞かれたら、どうなんだろうね」

「そうなのか?」

「なんか、やらなきゃいけないような気がして、やってたんだよなあ」


 なぜ、そう思ったのかは未だによくわからない。たまにわからなくなっては、「まあいいか」と流してきた。だけど実際に魔法の力を得た今、その疑問を流すべきなのかわからなくなっている。


 あ、でも、好きなこと……あるかもしれない。


「おじさんとおばさん……アイコの両親の店でゆっくりするの、好きだった」

「おお、いいじゃないか」

「二人とも優しくてね。コーヒーもおいしいし、クッキーも」

「それはぜひ行ってみたいものだな」


 目を閉じると、情景が浮かんでくるようだ。いつもの店内に、おじさんとおばさんがいて、客はあまりいなくて。私が来るとアイコがドタドタと上から降りてくる。私がゆっくりお喋りしていると、常連さんが来てまた談笑して……。


 私は、みんなが大好きだったんだな。お店がというのもあるけど、それよりもおじさんとおばさん、村のみんなが大好きだったんだ。離れてようやく、気づくことってあるもんだね。


「全てが片付いたら、来てよ」

「ああ、そうしよう」


 私は思わず笑顔になる。ルミは、すごくいい人だ。やっぱり、力になりたい。何か隠していることがあるとしても、そんなことはどうでもいいんだ。私が力になりたいと思ったんだから。それだけでいい。


「うつろには好きなことはあるのか?」

「え。あ、私か」

「もう、シーツいじりに夢中になってないでさ」

「すまんすまん」


 うつろが影の腕を組んでいる。考え込んでいるんだろうか。そういえば、うつろのこともよくは知らないんだよな。うつろの感じていることはなんとなくだけど、契約を通じて伝わってくる。だけど、好きなことや嫌いなことなんかは全然知らない。私はすごく気になって、黙ってうつろが喋るのを待つ。


「よくわからんな」

「わからない?」

「記憶が、ないんだ」

「え」


 初耳だった。うつろを見ると、またシーツ弄りを再開している。記憶がないと言った声は、どこか寂しそうだった。


「私は元は人間だったらしいんだが、その頃の記憶が無い」

「え、そうなの?」

「ああ。この仮面は私の記憶の復元にと、救世主がつけたものでな」

「あ、それ趣味じゃなかったんだ」


 てっきり、うつろの趣味なのかと思っていた。その仮面にそんな意味があったとは。


「この姿も、仮面の影響で変わっているだけだ。元はもっと人間に近かった」

「へえ、見てみたいなあ」

「記憶が戻れば、見せられるだろうな。私のナイスバディを」

「ん? あっはい」


 急に小ボケを挟むもんだから、何も対応できなかった。うつろがまた私を叩く。しょうがないじゃん。そんなこと言うと思わないんだもん。


「すまんな、答えにくいことを聞いてしまった」

「だから話に入ってこなかったのかあ」

「そういうことだ。別にシーツ弄りが好きなわけじゃないぞ」

「いや、ごめんて」


 うつろがまたまた私を叩く。


 それにしても、人間だったころの記憶がないのか。悪魔になってからの記憶しかないなら、たしかに好きなものや嫌いなものはわかりにくいだろうな。仮にあったとしても、それが本当の自分なのか疑問に思えてしまうんじゃないだろうか。自分のアイデンティティを疑ってしまうというか、それが見えなくなるというか。うつろも、いろいろなものを抱えているんだなと思うと、無性に撫でたくなった。


「ん。くるしゅうない」


 いや、既に無意識で撫でていたらしい。不思議な感触だ。どこかふわふわとしていて、つかみ所が無い感触。その感触を楽しんでいたら、手が空を撫でた。うつろが影に入ったらしい。撫でられるのが嫌だったのかなと思っていたら、扉を叩く音がした。


「はーい」


 ルミがベッドから飛び上がり、扉を開けに行く。扉に近い私が行くべきだったのに、私が起き上がろうとする前に行ってくれた。ルミがおばさんと少しやりとりをして、食事が乗せられたお盆を二つ持ってくる。ベッドとベッドの間にある丸くて小さなテーブルに、二人分の食事を置いてくれた。


「ありがとう」

「ああ。酒も頼んでおいた」

「おお、胸が躍る」

「で、そろそろ起き上がったらどうだ?」

「あ。へへへ」


 私がのっそりと起き上がると、ルミが笑った。


「ははは。ノエルと同部屋でよかった」

「え、どうして?」

「いろいろな一面が知れたからな。意外とぐうたらだ」

「むむむ」


 間違っては、いないと思う。アイコにもよく言われたっけ。毎朝、アイコに起こしてもらっていたもんな。私は体を揺さぶっても、なかなか起きないらしい。アイコがいないときは、起きるのがいつもお昼だった。


 ベッドのふちに腰をかけてテーブルと向かい合う。自然とルミと向き合う形になった。うつろが影から出てきて、私の膝の上に座る。


 お盆に乗せられた食事は、どれもおいしそうだ。お米にお味噌汁に、なんかわからないけどお肉とお野菜を炒めたようなやつ。茶色のおいしそうなおかずだった。


 再び、扉を叩く音がした。今度は私が出る。おばさんがお酒の瓶と二人分のグラスを持って、立っていた。


「はいよ、お酒ね」

「ありがとうございます」

「あんま飲み過ぎるんじゃないよ」

「肝に銘じておきます」


 おばさんが忙しそうに、足早に去って行く。全室、同じようなタイミングでご飯時を迎えるんだろうな。酒瓶とグラスを持って戻ると、ルミが目を輝かせていた。本当にお酒が好きらしい。私から瓶を受け取ると、早速グラスに注いでいる。私の分も、同じように注いでくれた。これは、どういうお酒なんだろう。


「これは炭酸酒というものでな」

「炭酸?」

「飲むとシュワッとするんだ。普通の酒より飲みやすい」

「え、シュワッとするのに?」

「アルコールの度数が低めなんだ」

「へえ、もしかして低いの頼んでくれたの?」

「ああ。ノエルの酒デビューだからな」


 ルミが笑って、私にグラスを渡す。なんていい人なんだろう。私はグラスを受け取って、中に入れられた透明な液体を眺める。たしかに、なんか泡が浮いてきている。これがシュワシュワするお酒……。


「では、いただこう」

「うん、いただきます」


 ルミが酒を一気に煽る。私もそれを真似て、思い切り飲んでみた。お、おお。シュワシュワする! 喉の奥に刺激を感じる。歩き疲れた体に、刺激が染み渡るようだった。おいしい。味も淡泊すぎず、濃厚すぎず、お米の甘い風味がしておいしい。


「おいしいよこれ!」

「それはよかった」


 たまらず、食事にも手をつけた。茶色いやつ。想像通りの、醤油ベースの味がする。だけど少し味が複雑だ。たまねぎのペーストか何かだろうか、少しの刺激と甘みを感じる。これは進んでしまう。ご飯も、お酒も。


 気づけば私はご飯を完食し、お酒も何杯も飲んでしまっていた。あれ、瓶が三本ある。どういうことだろう。なんだか頭がふわふわとしてきた。ルミは、涼しげな顔で飲んでいる。お酒強いんだなあ。すごいなあ。大人の女性だ。


 それにしても、妙な心地だ。おいしくて楽しくて嬉しいのに、どこか寂しい。たまらなく、誰かの隣にいたくなる。これが、酔いというものなんだろうか。


 わからない。わからないけど、とにかく胸のあたりがキュッと痛む。うつろは先に影に入って、寝てしまっている。うつろ、寝るの結構早いんだよなあ。子供みたいだ。


「ルミ」

「お、なんだ?」

「隣行っていい?」

「もちろん」


 ルミの隣に座ると、私の頭はルミの肩に乗っていた。あれ、これ私がしているの? 私そういうキャラだったっけ? ああでも、なんだか心地が良い。


 それなのに、胸の痛みは未だ主張を続けていた。


「結構飲んだな」

「うん。おいしかった」

「炭酸酒の瓶一本分か」

「ん?」

「ノエルの酒の許容量だ」

「あー、それくらいなのかなあ」


 許容量をはかるために、たくさん飲ませてくれたのか。どれだけ飲むと酔っ払うのか、これ以上飲ませてはいけない線引きはどこにあるのかをはかってくれたのか。どこまで気が回るんだ、このお姉さんは。ルミ姉と呼びたい。


「ルミ」

「ん?」

「ありがとう」

「どういたしまして」

「へへへ」


 ふと、気がつくと、ルミの肩が濡れていた。そういえば着替えてなかったなあ。制服が濡れている。なんで? なんの水分だろう。水分が、私の顔のあたりから滴り落ちて、私の手の甲を濡らした。


 あ、私だ。私、泣いているのか。


 どうして泣いているんだろう。お父さんが死んだときも泣かなかったのに。なんだかすごく、嫌な気分だ。胸が締め付けられる。喉の奥がキュッとする。目頭が熱くなって、肺が痛くなる。荒い呼吸音が、私の聴覚を乱すようだった。


「あれ、なんで」


 嫌だな。泣きたいわけじゃないのに。こんなこと思いたいわけじゃないのに。だけど、思ってしまう。止まらなかった。感情が、涙が、嗚咽が。


 なんかもう、死んでしまいたい。


 そう思った瞬間、声が聞こえた。大きな大きな泣き声。これも、私のものだった。私はたまらなくなって、ルミに抱きつく。ルミはグラスを手にしたまま、それを受け入れてくれた。ルミからしたら、わけがわかんないだろうに。


 だって、私にもわからないんだもん。


「ごめんね」

「いいんだ。大変だっただろう」

「うん」

「聞けば、父君の葬式でも泣かなかったそうじゃないか」

「うん」

「泣いておいたほうがいい。思ってること全て吐き出せ」


 その言葉で、私の中の何かが崩れた。さっき考えてしまっていたことが、声に出てしまう。本当は言いたくないのに。思ってもいたくないのに。止められそうもなかった。


「死にたい。昔からそう思ってた」

「ん。そうか」

「なんでかわかんないんだけどね」

「うん」

「あー、なんかなあ、なんか、もう……やだよぉ……」


 ルミがグラスを置く。私の頭を撫でてくれる。出会ったばかりの私の嫌な気持ちを全て、受け止めてくれている。私はそれがたまらなく嬉しくなって、また泣いた。


 しばらく泣き続け、涙が枯れた頃にはすっかり酔いも覚めてしまった。


 私、何をしていたんだ? ええと、甘えて泣いて甘えて泣いて。うわあ……情緒不安定すぎる。顔から火が出そうだ。


 私がルミから離れると、ルミの顔が見えた。優しい顔をしている。い、いたたまれない……。目を逸らしたいのに、私の目はルミの優しげな微笑みを見続けていた。


「あの、ええと、ごめん」

「いいんだ」

「恥ずかしいです」

「いいじゃないか。誰だってそういう面はある」

「……アイコに言わないでね?」

「言わない言わない。私の胸にしまっておくよ」

「ありがとう」


 私はしばらく、お酒は飲まないほうがいいかもしれない。少なくとも、酔っ払うまで飲むのはしばらく控えよう。ああ、今ならおじさんたちのお店で顔を真っ赤にしていたみんなの気持ちがわかる気がする。酔うってこういうことなのか。私はどうやら、酔うとネガティブになるらしい。


 本当に恥ずかしくなって、顔を覆ってしまった。


「ただ、な。ノエル」


 顔を覆う私に、ルミが声をかけてきた。まじめなトーンのように聞こえる。私は手を外し、顔をあげてルミの顔を見る。ルミは私の目をただ見つめて、静かに言葉を続ける。


「いつか、死にたいと思えなくなる日が来るといいな」

「……いや、本当になんでそう思ってるのかわかんないんだけどね」

「それでも、ノエルのことがもっとわかって、私は嬉しい」

「うぅ……ありがとう。ちょっと、横になる」

「ああ。食器は私がさげにいこう。アイコを呼ぶのはしばらく待ったほうがいいな」

「うん、ありがとう」


 私は自分のベッドに戻り、枕に顔を埋めるようにして横になる。恥ずかしい。穴があったら入りたい。影の世界の表層に潜ってしまおうか。いや、そんなことに魔法を使うなってまた怒られちゃうな。うつろが寝ているのが、不幸中の幸いか。いや、でも、あれが私が抱えているものだとしたら、既にうつろは知っているのかもしれない。


 私が私の感情を知るより前に。


「はあ……醜態だあ」


 ひんやりとした枕の感触と、ベッドの沈み込みの心地よさに身をゆだねている内に、私の意識はぼんやりとした虚空に消えていった。

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