~ end up ~ ㉑


 先生がズカズカといきおいよく紫穂の前に詰め寄るなり、竹刀しないを床に思いっきり叩きつけた。


 ──バッシーーーン……ッ!


 竹刀がへし折れたんじゃなかっていうくらいの、悲鳴の音をあげる。

まわりの女子は飛びのいた。だけど紫穂は梃子てこでも動かない。ずっと上林をにらみ上げている。


 顔を真っ赤にした上林がつばを飛ばしながらわめいた。


「それ全部、俺に向かって云ってるのかっ! どうなんだ! ああっ?」


「きったないわねえっ! 唾が飛んできたじゃない!」


紫穂は顔にかかった唾を手でぬぐうと、それを上林先生の胸ぐらになすりつけた。

上林先生が竹刀を振り上げる。……紫穂が、顔をみでかざった。


まわりみんなが息を飲む。


 張りつめられた空気のなか、振りかざされた竹刀はおろされる事なく、動きをとめている。二秒くらいだったと思う。


その数秒が、紫穂にとっては長く感じたのか、じれったそうに声をあげた。


「殴るなら、さっさと殴りなさいよ! なんのためにその竹刀をわざわざ体育館から持って来たわけえ? ──殴る理由もはっきりしていないその理不尽な暴力を、さっさとわたしに振りおろしなさいよ!」


 飛びのいて逃げるどころか、あおる紫穂に、上林先生はあきらかに動揺を見せた。……きっと、逃げてくれるのを期待して、おどすだけのつもりだったのかもしれない。だけど、紫穂は逃げなかった。それどころか挑発をする。


……先生、どうするつもりなんだろう。もう色々と立場が無いぞ。


 前にげ口をしてきた子が云っていたっけ。〝八鳥は話しをややこしくする〟って。


これがそうなのかもしれない。先生や、いろんな子達の思惑の斜め上をとる行動。

それで事態が思いもよらぬ方向へ行く。……今回は上林先生が警察に御用ごようになるシナリオだけど。


 けれども竹刀は、振りおろされずにほこをおさめる形となった。──上林先生はなにかを察知さっちしたらしい。


くやしそうに舌打ちして、きびすを返した。


「邪魔だ! どけっ!」ほかの女生徒に怒鳴りちらしながら、職員室に引っ込もうとする。もちろん、紫穂がだまっていない。


「──そうやって弱い子にあたりちらすのもそっくり! ほんっと、どうしょもない人種なのね!」


 紫穂の罵声に、上林先生は一度だけ足を止めた。だけど振り返ることなく、腹立たしに職員室へ引っ込んで行く。


例のごとくドアは叩きしめる。

職員室の中から、驚きの声が聞こえてきた。


「どうしたんですか、上林先生! そんなに強くドアをしめるなんて…──その竹刀も、どうしたんですか! なにに使うんですっ?」


 だけど訊かれた肝心の上林先生はなにも応えないのか、声がまるで聞こえてこない。くやしまぎれの負け犬の遠吠えを聞きたかったのに、くっそ~……!


 紫穂も、まわりの女子達も、一斉いっせいに声をあげて騒ぎだしだ。


「なによアレ!」

「けっきょく、いくじ無しなのよ、ああいうのは!」

「形だけつよがっちゃって、ダッサイわねえ!」などなど。ありったけの罵詈雑言ばりぞうごんが飛びかう。


 五十嵐さんが、へなへなと階段に座りこんだ。「……怖かった。私、もう参加したくない」


 ぼくも隣に座りこんだ。「無理しなくていいよ」

五十嵐さんの背中をさすろうとして、自分がだというのに気づいて、やめた。

いくら貧弱だの軟弱だのと云われても、ぼくは男だ。こんな流れの時に、無暗むやみに女の子にさわれるほど、ぼくの神経は鈍感どんかんじゃない。


 植田が切り上げの合図を出した。高台階段から降りて振り返る。

「教室に戻ろう……この昼休みはもう、始業のチャイムが鳴るまでは出てこないよ。ここに居ても空気が悪いだけだし、外で息抜きしよう」


 五十嵐さんが立ちあがった。「そうだね、そうしよう……というか、そうしたい。トリミンも行くでしょう?」


 ぼくも立ち上がって、紫穂を見た。代表となにかを話し合ってる。まだ自分のクラスに戻りそうもないな……。


 成瀬くんと高橋くんも、ふたりしてお喋りしてる。


問題児だらけの学年にとって、この昼休みの一件はべつにどうとでもなかったのか、

ゲームの話しに花を咲かせている。


れているのか、なんなのか、切り替えが早くて羨ましいよ。ぼくはハラハラしっぱなしだったのに。


「ぼく達は自分達のクラスに戻るから」ダンジョンの話しをしている二人に挨拶を残す。ふたりはニカッと笑った。


「ああ、またな」高橋くんが軽い感じに手をあげた。


「今日はたぶん、公園には行かないから」成瀬くんは今日の放課後、遊べないのをほのめかしてきた。「こいつが、ゲームの裏技知ってるらしいんだよ」


「そっか、じゃあ、また明日の昼休みかな?」今度はぼくが予告をにおわせる。


 ふたりは目を合わせると、同時に笑顔をぼくに返してきた。

「うん、また明日! 昼休みに、ここで!」

「だな、また昼休み! じゃあな!」


 軽い挨拶をして、ぼくらはこの場をしりぞいた。なんとも険悪けんあくきわまれないこの場から。


どうしたって、慣れないよ……こんな不健全で暴力にまみれた空気には。


 …*…


 それからも、テスト期間だっていうのに、職員室前でのは毎日繰り返された。


(上林先生は、竹刀を持ち歩いたところで、なんの意味も無いと知ってから、余計な荷物をおろすように、竹刀を手放した)


テストが終わって、短縮授業になっても、毎日繰り返され

毎日、必ず四、五十人は集まる。


 六年生──ぼくの兄さんの卒業式の放課後でさえも。──女子の執念深さを思い知って、だんだんぼくの心に戦慄せんりつが芽生えだしてきた。


 結局、代表と紫穂の宣言どおり、三学期が終わるまで、この〝女子独特のいやがらせ〟は続けられた。


わずかなよろこばしい収穫しゅうかくがあったとするならば、それは、

上林先生の顔にも、さすがに疲れが見え隠れするようになって、髪がボサボサなままのやつれ顔をおがめた事くらい。


あの表情を見れたのは、そこそこの満足感をられた。……日々のねばり強い努力には、到底見合わない満足感だけど、

なにも無いよりは、いくぶんかのなぐさめに感じる。


 これで春休み開けに、自分が担任するクラスでまた猥褻わいせつをしようものなら、彼はきっと宇宙人かナニカだ。人間じゃあない。



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