私達の関係を決めたお茶会

 居間から、ヴィオラの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。私とカティアスの会話で、どちらかが声を上げて笑った事なんてあっただろうか。


(記憶にある限り、一度も無いな)


 促すような王子の視線に、私は重い口を開いた。


「私がカティアスと初めて会ったのは5歳の時で、彼は7歳でした」


 私がこの世に生まれ出た時に、彼との婚約が決まったと聞いている。私が男の子だったら、違う家のお嬢さんと婚約するはずだったと兄が言っていた。婚約の時点では既に、この国の美の基準から大きく外れるカティアスの黒い髪と瞳は有名になっていたと言うのだから、彼との婚約で我が家が得る利は大きかったのかもしれない。


 カティアスは両親とも兄弟とも、近い親族の誰とも似ていない。意に沿わない結婚を強いられる代わりに、恋人を持つ事に鷹揚な倫理観の中で、父親に似ない子供が生まれることは、ままあることだ。恐らくカティアスもそういう経緯で生まれたのだろうと噂されている。


 政略結婚ながら仲睦まじい私の両親のような夫婦の方が珍しいようだ。何度も会ったカティアスのご両親は、違う世界で生きているかのように視線すら交わしていなかった。


 婚約の経緯がどうであれ、私の両親は私がカティアスの黒髪と黒い瞳を嫌う事を恐れた。だから、生まれてすぐの私にカティアスを模した人形を持たせ親しませる事で、実際のカティアスとすぐに仲良くなれるよう仕向けた。


 それは、失敗だった。


 お茶会への参加という形でピレス家を訪れた私は、部屋で待つカティアスを見るなり、嬉しくなって駆け寄った。


「カティ!」


 大好きなお人形にそっくりな男の子が目の前に現れたのだ。『婚約者』の意味は今ひとつ分かっていなかったけれど「仲良くしなさい」と厳しく言いつけられていた不安が一気に緩み、私は抱きつかんばかりの愛情を表したのだと思う。


「気持ち悪いな。寄るなよ」


 カティアスは私から顔を背け、完全に拒絶する姿勢を見せた。


 人形の名前の「カティ」は彼が身近な人間から呼ばれる愛称でもあった。婚約者とはいえ、見知らぬ女の子が不躾にも自分の愛称を呼び、親しげに近寄ってきたのだ。成長した今なら彼の困惑も理解出来る。


 でも、幼い私にそれが理解出来るはずもなく深く深く傷ついた。号泣して父の背中に張り付き誰がどんなに宥めても離れなかったと聞いている。周囲にひどく叱られたカティアスが謝りに来ても、ますます泣きわめいて近寄らせなかったそうだ。


 もちろん、そんな事くらいで婚約が破談になったりしない。


 その時の印象が強烈だったのだろう。私からはカティアスが苦手だという気持ちが今でも消えない。そして恐らく、カティアスの方にも同じ思いが根付いているのだろう。


「ふうん。完全に君の両親の失敗だね。どうせななら、ジェルマナ人形をカティアスにも持たせておくべきだったんじゃないのか?」


 揶揄うような王子の言葉に、想像して嫌な気持ちになった。


「気味悪いと思うのは当然でしょうね。カティアスが、私にそっくりの人形に話し掛けている姿を見たら、顔を見るだけで寒気が走る程に嫌いになっていたかもしれません。今は、さすがにそこまで嫌いじゃないです」

「うわあ、想像したくないな!」


 身震いする王子の姿に思わず笑ってしまう。


「でも君が、エゼキアスを好む理由は何となく分かった」

「そうですか?」

「彼の優しさは分かりやすいからね。表面的で、本当に心が伴ってなくても表せる好意」

「何だか、とげがありますね。殿下はエゼキアス様がお嫌いなんですか?」


 王子はそれには答えず少しだけ真面目な顔をした。


「僕とエゼキアス、ヴィオラは同類だよ。完全に騙されることが出来るなら幸せになれるだろう。でも君が本当に望む幸せなのか、よく考えた方がいいだろうな」

「どういう意味ですか? 完全に騙される?」

「だから、ヴィオラとエゼキアスは駄目なんだろう。お互いに分かりすぎていて取り繕う事が難しいんだ。かといって騙し合いを楽しむ程には、お互いに興味を持てない。そう思うと、君とエゼキアス、ヴィオラとカティアスという組み合わせの方がしっくり来るかもな」

「え? 殿下、騙し合いって?」


 それ以上は笑って答えてくれなかった。そのうちに、カチャリとお茶の器が立てる大きめの音が聞こえた。ヴィオラの合図だ。


「さて、あちらはどうだったかな。親密になっていたら嫉妬するんじゃない?」

「嫉妬なんてしませんよ」


 私が笑うと、楽しむような顔をして王子が書斎の扉を開いた。私が目にしたのは、ぎこちなくも笑顔を浮かべるカティアスの姿だった。


(そっか、私に笑顔を見せないだけで、ちゃんと笑えるんだ)


 でもお互い様だろう。私も顔に残っていた笑いの名残を消して席を外した無礼を詫びた。王子とヴィオラが立ち去ると、また硬い空気の中に二人で残される。


(もう用は済んだから、帰ってくれて構わないんだけどな)


 でも私が呼びつけたのだから追い払う訳にはいかない。彼だって来客が去ってすぐには帰りにくいのだろう。また、ぎこちなく会話を始める。


「改めて、君は高貴な方々と身近で接しているんだと思い知った。王子とあんなに親しそうに話せるものなんだな」

「あの方は特別かもしれません」

「君の特別⋯⋯なのか」

「でも逆に、私は政治の世界の偉い方々とは全く話せません。未だに宰相も大臣も顔の区別がつきませんから」

「本気で言っているのか?」


 驚いたような顔をされてしまう。今更カティアスに物知らずだと思われたって恥ずかしくない。むしろ我慢出来なくなるほど愛想を尽かされた方がいいだろう。


「そうです。似たような格好をしていますし、私にはみな同じに見えます。あ、妃殿下のところにしつこく来る数人は覚えていますよ。脂でベタベタした手でやたらと握手を求めてくるミストル卿は皆に本当に嫌われていて、ヴィオラと一緒に背中に綿埃を付ける悪戯をしたことがあります」


 今まではあまり話さなかったような軽い話をすると思いのほか興味を持ったのか、少しだけ表情を緩めた。


(あ、ヴィオラの話題がいいのね! きっと気に入ったんだ!)


 私は他にも、ヴィオラの明るくて魅力的な振る舞いについての話をいくつか披露した。どの話もカティアスは熱心に聞き、時折目元を柔らかく緩めさえした。まるで、楽しんで笑っているかのようだった。


 日が落ちる頃にカティアスが帰ろうとした時には、物心ついてから一番、打ち解けた空気が流れていた気がする。その日は、カティアスと会った日にしては珍しく、嫌な気持ちにならずに眠れた。

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