最終話 星空の下

 向かい合って座る葵ちゃんを、順はなかなかまともに直視することができなかった。にやけそうな顔だけは意志の力で抑え込みながら、グラスの中ではじけるコーラの泡ばかりを見ている。

「一つ、聞いてもいい?」

 葵ちゃんにそう言われて、ようやく彼は顔を上げた。まぶしい。もちろん、彼女の背後で輝くネオンのせいではない。

「太川君って、電話とかあんまり苦手な感じ……かな?」

 そう言った葵ちゃんは、少し淋し気な顔をしている。

 しまった、と順はようやく気付いた。電話番号を渡してくれたというのは「すぐ電話してね」というメッセージだったのだ。それを彼は、なんと一週間もほったらかしにしてしまった。こんなことにも気づかないから、振られて空白の一年間を過ごすことになったのだ。このままだとまた振られる。


「いや、その、そんなことないよ。この一週間、ほら、この南高校で大事件があったりして」

 冷汗が噴き出すのを感じながら、彼は必死で言い訳した。

「……だから今日、帰ったら電話していい?」

「うん! 八時くらいなら、晩御飯も終わってるよ」

 葵ちゃんの憂い顔が、一瞬で晴れる。

 これだ、まさにこれがカップルの会話だと、順は幸せで気が遠くなりそうなほどだった。

 その夜の電話の内容は、カラオケの予定について以外は何の中身もないものだったが、それでいい、それがいいのである。たとえ離れていても同じ星空の下、こうして声が聴けるということが大事なのだ。まあ、お互いの家は自転車で10分くらいの距離しかないのではあったが。

 こうしてようやく二人は、まともな恋路を歩きはじめることになった。決してきれいに舗装された道ではなく、砂利や石につまづきながら歩くことにはなるのだったが、それが青春というものである。


 クラスの女子と合流してから帰る、という葵ちゃんに手を振って、順は再び理科室に戻った。

 姿を現した彼に、実紅ちゃんと直子さんは、何か期待するようなキラキラした瞳を向けてくる。ばっちりだったぜ、と言わんばかりに親指を立てて見せた順に、二人は顔を見合わせて嬉し気に笑ってくれた。


 午後になり、文化祭の終了時間が近づいても、客足が途絶えることはなかった。作品の人気としては、

「あ、これ知ってる! 雑誌で見た」

 などと言って遊んでくれる人の多い「ティラトス改」が、やはり別格だった。市販ゲーム化されたことによる知名度は、まさに絶大らしい。

 だが、このお客さんたちは知らない。目の前のパソコンで動いているこのプログラムこそが、市販されたものの「原作」で、そばで見守っている鈴木部長がその作者なのだということを。

 CMで流れたり、雑誌で紹介されるようなゲームを、自分たちで作ることができる。これこそが、パソコン部という部活の秘めた大きな可能性の一つだった。順たちにも、全く同じチャンスが与えられているのだ。

 まずは「マイコン・マガジン」への作品掲載、そしてその先にある「ベスト・プログラマー賞」の受賞。その目標を目指して頑張ろう。

 楽し気にゲームで遊んでいる見学者たちの姿を見ながら、順は改めてそう決意するのだった。


 まだ少し先のことにはなるが、彼の「スペースガール・アオイ/2024」と一関くんの「ファイティング・ヒーロー」は、そろってマイコン・マガジンへの掲載を果たすことになる。

 そして一関くんが、入部時の約束通りに「ベスト・プログラマー賞」を取る。もしかしたら、そんな未来も待ち受けているのかも知れない。

「今年は有力な作品がなくて、ついていましたね、僕は」

 と優雅にほほ笑む彼の姿が、目に浮かぶようではないか。


 こうして二週連続の秋の祭典、南北の文化祭は無事に終了した。

「お世話になりました」

 と頭を下げる順に、

「こちらこそ、みなさんのおかげで本当に助かりました。これからも、良きライバルとして競い合って行きましょう」

 鈴木部長がそう言って、右手を差し出してくれた。

 次々と握手を交わす、南北両校のパソコン部員たち。なぜか廊下の柱の陰からその様子を見守る里佳子先生は、

「これよ、これが青春なのよ」

 と手の甲で豪快に涙をぬぐうのであった。


 全ての作業を終えた彼らが校舎から出てくると、もうすっかり陽も沈んでいた。濃い青に変わった頭上の空に、星が瞬き始めている。

 部員四人とそれぞれの自転車が正門前に並び、里佳子先生は機材を満載した赤いレビンに乗り込む。みんなで帰路につく準備ができた。

「それじゃまた、明日学校でね」

 里佳子先生が運転席から手を振り、レビンは軽快なエンジン音を残して走り出す。田んぼの間を遠ざかる赤いテールランプが、みるみるうちに星空の下を小さくなって行った。


「よし、じゃあ俺らも帰るとするか!」

 西郷が、愛車のサドルにまたがる。ビラ配りのバイトで貯めたお金で、ついに手に入れた自慢のロードバイクだった。

「みんな競争で走ろうぜ、あの街まで」

 暗い地平線の彼方を指さす、西郷副部長。そこには緑町駅前の街の灯が、ささやかな夜景となって輝いていた。みんな大好きニチイ・ショッピングデパートが、その真ん中にそびえている。

「わたしはゆっくり帰りますから、みなさん頑張ってくださいね」

 実紅ちゃんが、即座に拒否した。

「僕も、ゆっくりついていきますよ。すっかり寒くなっちゃいましたしね、もう手が冷たくて」

 一関くんも苦笑している。

「お前、その自転車を自慢したいだけだろう。一人で暴走してろ」

 順が冷たく言い放つ。

「何だよ、つまらんなあ。じゃあさ、みんなでハンバーガー食おうぜ。我らがセントレオで!」

「あ、それは大賛成です!」

「いいですね! ハンバーガー」

「じゃあ西郷、お前のおごりだな」

 たちまち元気を取り戻した三人は、勢いよくペダルを踏み込んで走り始めた。

「おい、待て。おごるなんて俺は一つも言ってないぞ!」

 あわてたように叫ぶ西郷副部長のロードバイクが、彼らを追いかけて走り出す。


 一直線に伸びる農道を、騒がしく去って行く四人の自転車。その向かう先に輝くのは、街の灯りだけではなく、彼らの未来そのものなのかも知れない。そんな風に思えるくらい、今日の星空はどこまでも澄んで、彼らの頭上に気持ちよく広がっていた。

 もちろん、先のことなどわからない。今の彼らにできるのは、おなじみのハンバーガーでお腹を満たしつつ、明日からの部活動について話し合う、ただそれだけだ。

 だけど間違いなく、それは彼らにとって、次なる未来へと進むための第一歩となるはずだった。

 きっと問題だらけで、それでも明るくてハイテックな、そんな未来へと。

(了)


あとがき

 最後までお読みいただいたみなさま、本当にありがとうございました。

 ご好評のうちに(当作者比)連載を終えることができて、大変喜んでおります。


 なお、本作には姉妹作となる長編作品(南高校を舞台にしたもの)もあるので、また機会があればそちらも連載しようと思います。

 その時はまた、よろしくお願いします。

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PC-1987 ~弱小パソコン部のデジタルな青春~ 天野橋立 @hashidateamano

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