#35 実紅ちゃんのつぶやき
ついに北高校に新機材が入った、ということで、アドバイスをくれた直子さんと横山くんがさっそく見にきてくれることになった。横山くんはあの地獄の部室掃除以来、二回目だ。
ライバル校の先輩と会うことになった一年生二人は普段よりもかしこまった様子で、特に噂の直子先輩と初対面することになった実紅ちゃんは緊張しているようだった。
「きれいな部室じゃない。うちよりもよっぽどさっぱりしてるよ」
室内を見回して、直子さんはそう言ってくれたが、謎の機材類であふれかえっている南高校パソコン部に比べれば、確かにこちらはさっぱりしているかもしれない。
「そやけど直子さん、ここまで片付けるの大変やったんですよ。ほんまにえらい目にあいました」
横山くんはまだ根に持っているようだ。
「でも、面白かったって言ってたじゃない。城崎さんが蜘蛛の巣まみれで絶叫しながら床にぶっ倒れた、って」
「それはまあ……おもろかったですけどね」
にやにやと横山くんは笑う。微妙な表情の新入部員二人は、自分たちの入部前に、悲惨だったらしい部室の片づけが終わっていて本当に良かった、と思っているらしかった。もちろん、大事な新人をどうでもいい城崎副部長のような目にあわせることなどあり得ないのだが。
「これがヤマハのCXか、なるほどスロットが独特やなあ」
と横山くんは、入ったばかりの新鋭機に興味津々の様子だった。富士通のFMシリーズというパソコンが好きなはずの彼だが、どこのメーカー製であっても、新しいパソコンというのはやはりテンションが上がるようだ。
「で、これを新入部員に使ってもらうんやって? うちでは考えられへんわ、上級生がめちゃめちゃ優遇されてるもんなあ」
「……まあ、この二人が入ってくれてなかったら、そもそも買えなかったからね」
横山くんのどこか不満そうな様子に、順は苦笑した。
「そう言えば山岡さん、三年になってどのパソコンも好きに使えるようにならはって、なんかまたすごいゲーム作ってはるみたいやわ」
順の師匠に当たる「美少女職人」山岡先輩、ますます活発に活動をしているようだった。北高校のほうものぞきに来て下さい、と声をかけてはあったが、なかなか忙しそうだ。
「ただ、すごいと言うても、あかんほうにものすごいんやけどね。学校にばれたら、ちょっとあかんわ、あれは」
それを聞いて、順は察した。美少女職人としての情熱が、どうも社会の良識に反する方向へと突っ走っているのではないか。去年の文化祭で展示した「美少女危機一髪・
「その、『あかんほう』というのは……」
一関くんが、おずおずと訊ねたが、横山くんはただ「あかんほうは、そらあかんよね」ととぼけるばかりだった。
順としても、もう少し詳しいところを聞いてみたいところではあったが、この場には女子もいることなので、それ以上は追及しなかった。
「うん、いいね! ちゃんとヤマハシンセの音だ。DXと、あんまり変わんないかも」
CX7に接続したキーボードで、今日の天気にぴったりな「Rainy Blue」という曲をさらっとワンコーラスだけ演奏した直子さんは、納得した様子でうなずいた。前年にデビューしたアーティストの曲で、この時点では有名とは言えなかったが、イントロなどのシンセピアノが印象的な曲だ。
その傍らで、実紅ちゃんが目をキラキラさせている。知らない曲を短く弾いてみただけでも、直子さんの才能はすぐに伝わったようだった。
シンセのことはさっぱりの順でも、ピアノ、ギター、ストリングスと様々な音色で直子さんたちが奏でるメロディーを聴けば、このパソコンがシンセとして相当に高度な能力を持っていることはすぐに分かった。もしゲームを作れば、大迫力のBGMが演奏できるだろう。実際、当時のゲームセンターの人気ゲームには、このパソコンと同じ
音色を作るための専用のソフトを起動して、画面上の設定を色々変えたりしながら楽しそうに話している二人の様子は、まるで姉妹のようだった。直子さんが来てくれて良かった、と順も喜んだ。
ところが、それがよほど楽しかったのだろうか。実紅ちゃんが、
「南高校のパソコン部に入れたら、直子さんとずっと一緒にいられるのに……」
とつぶやくのを、順は耳にしてしまった。
これは、彼にとってはちょっとしたショックだった。まだ入ったばかりの一年生部員が、他校の部活をうらやましがっているのだ。
うーん、これはまずいぞと考え込みながら彼は、シンセの前に並んだ実紅ちゃんと直子さんの後ろ姿を見つめていた。
(#36「新たなる大目標」に続く)
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