第三話 「月に叢雲花に風」
店主の老人はしばらくの間イズミに店をまかせ、青年を二階の客間へ案内した。
「すまねえな。急に厄介になっちまって」
「いえ、お気になさらず。イズミが是非にと頼んだことですので。それにお客さんはうちの甘味を食べにわざわざ都までおいでになったのでしょう。そんな方を無下にするわけにはいきませんから」
「この店の評判は皇都まで届いていたからな。もっとも、聞いたのは先代のほうだったが、あんたの甘味も相当なもんだ。また新しく評判を広めとかねえとな」
「ありがとうございます。物心ついた時から父に仕込まれていましたから、ご期待に応えられたようで何よりですよ」
そんな話をしているうちに、二人は二階の客間に着く。
客間の窓からは人々でにぎわう大通りが見え、通りのずっと奥のほうには美奈木大橋が見えた。
さらにそのはるか彼方には、この都の社の巨大な門の姿が見えた。
朝焼けの空の輝きをそのまま結晶化したかのような朱色に輝く門は、その壮麗にして荘厳な姿をもって都に生きるすべての命を治め、威圧しているかのような、神々しくもおそれを感じさせる神聖な雰囲気を見る者すべてにかんじさせた。
青年は社の門を眺めながら、小さくため息をつく。
「ところで、あのイズミって娘は何者なんだ? まだ十代そこらだろうに、薬の調合までできるっていうじゃねえか。どこでみつけてきたんだい」
「たしか、去年のことでしたな。夜の美奈木大橋のそばで一人ぽつんとたたずんでいたもんですから、気になって声をかけたんです。すると、この都のどこかにいるという父親をさがしに来たと言いましてね。放っておくわけにもいきませんから、父親が見つかるまでうちで面倒を見ることにしたんですよ」
「父親さがし、か。都に来るまではどうしてたんだ? まさか、一人で旅してきたのか?」
「本人が言うには、故郷の里を出てからしばらくの間、行商人組合の一団に入れてもらったそうです。イズミのつくる薬はよく効きますから、それを売って路銀を稼いでいたとか」
「たしかによく効くな。あんだけ食ったのに、まったく眠くならねえ」
「私もイズミがつくった薬を使っています。都のどの薬師がつくった薬より、ずっと効き目がいいんですよ」
「いい拾いもんをしたじゃないか。それで、父親は見つかりそうなのか?」
「残念ですが、今のところ何も手がかりはないそうです。イズミは薬を届けるためによく街へ出かけまして、その時にいろいろと探しているそうですが、それらしい人は見つからないようでして」
なるほど、と青年は腕を枕にして横になる。
「人探しなら、憲兵隊に依頼を出すのが一番手っ取り早いと思うぞ」
「おっしゃる通りです。しかし、今はひかえたほうが良いでしょう。この頃は都も物騒になりましたから。下手をすれば、イズミが太陽の使徒とかいう輩の一員であると疑いをかけられるかもしれません」
「ありえる話だ。しかし、イズミは薬を売ってるんだろ。役場に商売の届け出は出したんだよな。なら、情報は憲兵隊にも入ってるはずだ」
「届け出は出していません。薬を出してもお代は受け取っていませんので」
「なんでまた、そんな妙なことをしてるんだ?」
「おそらく、自分の薬の評判を広めれば、父親さがしの役に立つと思ったんでしょう。彼女の故郷は、薬師の里として知られていたそうですから」
「なるほど。それにしても、タダで薬をやるってのはもったいねえな。そうまでして会いたいもんなのかねえ」
「きっとそれが、家族というものなのでしょうな」
店主は窓の外へ目を向ける。
「私にも子供はいますが、ずいぶんと長い間会っていません。会いたいとは思いますが、もう会うことはないでしょう」
「何か事情があるのかい」
ええ、と店主はうなずいた。
「それでは私は店にもどります。そうそう、隣の部屋ですが、イズミが使っていまして、薬の原料や調合に使う器具やらが置いてありますから入らないようお願いします。扱い方によっては危険なものもあるそうですから」
「わかった。ここで一眠りさせてもらうよ」
「それと、夜の美奈木大橋にはくれぐれも近づかないようお願いします」
「聞いた話だと、狙われるのはいい年したおっさんばかりなんだろ? おれはそんな年じゃねえぞ」
「今のところは、というだけです。これから先のことは誰にもわかりませんから」
「それもそうだな。ところでひとつ、聞きたいことがあるんだが」
「なんでしょうか」
「ずいぶん昔に美奈木大橋のそばで鬼人の死体がさらされたって話を聞いたんだが、それは本当のことなのか?」
「ええ。私が生まれる前のことですが、父がそれを見たそうです」
「イズミはその話を知っているのか」
「そうですね。お客さんたちが話しているのを聞いたようで、以前そのことを私に聞いてきたことがありましたから。なにか、気になさることでもありましたか」
「大橋の怪物の話と結びつけたらちょっとした怪談話になるだろ。だからちょいと怖がらせてみようかって思っただけさ。ああいうがんばり屋でまっすぐな娘を見ると、ついついちょっかいをかけたくなっちまうもんでね」
「ははは、なんとなくわかりますよ」
店主が部屋から出て行った後、青年は目を閉じて、大通りから聞こえてくるにぎやかなざわめきに耳を傾けた。イズミの草団子のおかげなのか、青年は眠気をまったく感じていない。
青年は横になったまま、店主の言葉を注意深く思い出す。
春の昼下がりならではの暖かく優しい空気に包まれた彼の姿は、平穏を象徴しているかのようだった。
◆ ◇ ◆
かすかな物音が聞こえた。
青年は体を起こし、頭をかきながらあくびをする。
窓の外には夜空が広がっており、流れゆく叢雲が月の光をさえぎっていた。
下の階からとの開く音が聞こえる。少しの間を置いて、小さな足音が聞こえた。
青年は目を閉じて、耳を澄ませる。足音はゆっくりと遠ざかっていく。
足音は、美奈木大橋の方向へ進んでいた。
青年は何事もなかったかのように目を閉じる。
足音が聞こえなくなった時、青年はあきらめたようにため息をつき、目を開けた。
そして、足音を追うように、美奈木大橋へ向かって歩きだした。
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