第12話 大魔導師

 四人は、暗闇に支配された迷いの森を、アステカの方向へと向かって進む。まずはエリナをラウルに会わせるためだ。

 レオは光の魔法を使い、明かりで道を照らして自分の足で歩く。さすがに、エリナの前で父親に抱っこされるのは嫌だろうから、リュカも配慮していた。


 先頭はリュカ。最後尾はアイリスが付き、レオとエリナはその間を歩いていた。

 レオの前を歩いていたエリナは、ふと振り返ってレオに尋ねる。


「あの……ありがとう。ごめんね、お腹空いてるよね」

「全然大丈夫! こんなの、なんでもないよ」


 ギュルル、とまた大きな音が鳴ったが、レオは「こらっ」と言いながらお腹を拳で叩いていた。

 エリナは、ふふ、と微笑む。


「……きっと、アステカに行けば何かにありつけると思う。もしかしたら残飯とかになっちゃうかもだけど」

「へーき。死にゃしないさ。……お腹、壊しちゃうかな?」

「普段から王宮で良いものばっか食べてるから、残飯なんて耐えれないかもね。臭いだってすごいだろうし。その場合は、あたしがどっかで盗人ぬすっとしてくるよ」


 アイリスは、もうそれくらいは仕方がないと思い始めていた。

「どうせゾンビだし」という思いと、「いやいや自我が残ってるんだから人間としてちゃんとしないと」という思いが気分によって入り乱れる。

 でも、愛する息子を守るためなんだから仕方がない、と自分に言い聞かせる。


「あの。レオは、私の体の臭い、気にならないの? もうかなり腐敗が進んじゃって……自分じゃあまりわからないけど、きっと生きてる人には辛いんじゃないかと思って」


 レオは、ツンとした顔で、頭の後ろで手を組んで言う。


「大丈夫だよ。臭いがわからないように自分に魔法をかけてるから」

「そうなんだ! じゃあ、安心だね」


 そんな話は聞いてなかったので、アイリスは驚いた。


「あんた、いつの間にそんな魔法を習得してたんだよ! ほんと、実は親に黙って変な魔法を色々覚えてんじゃないの?」

「ついさっきだよ、習得したのは。呪文自体は見たことあったから、やってみようと思ってさ」

「さっき?」

「ああ。お父さんが、『自分の臭いが気になる』って言ってたから」


 リュカは、顔だけそっと後ろへ振り向き、口元を緩めた。


 ──レオは、やっぱり優しい子だ。

 人が言ったことをちゃんと覚えてて、こうやってさりげなく対処してくれる。

 かっこいいなあ、我が子ながら。

 エリナちゃんも可愛いし、もしこの子が生きてたら、レオの嫁にしても良い、って思ったかも。

 

 妄想にふけるアイリス。

 と、レオは歩くのをいったん止めるようにリュカへ掛け合った。


「どうした?」

「これから、恋人に会うんでしょ。なら、」


 レオは、エリナへと向き直る。

 その目つきは、単なる子供から魔術師のものへと移り変わる。

 魔王死霊軍大将・リルルの魔法力を真正面から押し返した、底知れない力を秘めた瞳だ。


「光と闇の出ずる頃から生命いのちを育む母なる大地ガイアよ、心に秘めたる輝きを天使の如き姿へと変えよ──再び愛をイテラモール!」


 エリナの立つ地面へ、紅に彩られた光が無数に動き回る。

 まるで始めから決まっていたラインを踏襲とうしゅうするかのような、一糸乱れぬ光の動きであっという間に完成した魔法陣。

 

 赤く輝く魔素が魔法陣から空中へと放散され、光一つない迷いの森を照らし出す。


 エリナは、渦巻く赤い気流に包まれる。

 まとわりつくように光がエリナを包みこみ、

 プシュン、という音を立てたかと思うと、魔法陣ごと全消滅した。 

 

 光が消えたあとに残されたエリナ。

 魔法陣が消えて、辺りはまた暗くなってしまった。

 ゾンビの瞳によって、白黒でしか見えないがあたりは暗くても視認できる。

 でも、何か特段の変化があった気はしない。

 今の魔法で何がどうなったのか、アイリスにはよくわからなかった。


 レオは呪文を詠唱し、光の魔法で辺りを照らす。

 その光によって周囲は明るくなり、色合いがよくわかるようになった。

 エリナを見て、アイリスは声をあげそうになった。

 

 ところどころ欠けていた体は、見事に修復されていた。

 美しく、女性のアイリスでさえ思わず触りたくなってしまうほどの健康的で柔らかそうな体。

 濃い灰色だった肌は、血色の良い肌色に。

 瞳は、ゾンビの象徴であるご主人様の魔法力の色になど光っていない。

 ブラウンの瞳に、透き通るように青い髪。

 

 紛れもなく、生きている人間そのものだった。


 エリナは、自分の体を見回して、「えっ」と声をあげる。

 手も、足も、顔も。

 誰が見ても人間としか思わないだろう。

 エリナは、放心したような顔でレオを見つめる。


「レオ。これ……」

「君の臭いも、外に漏れないように消臭魔法を施したうえで良い匂いを追加してみた。触れた感触だって見た目のままだ。これで、ラウルは君がゾンビだとは気づかないよ」


 エリナの瞳に、どんどん涙が溜まっていく。

 すぐにしまい切れなくなり、目尻からポロポロと落ちた。

 ゾンビは涙など流せないはず。

 アイリスとリュカが驚いていると、レオが説明する。


「お父さんたちがさっきしてた話によると、アンデッドは死亡して肉体の機能が停止しているから、精神の作用だけで全ての感情を作り出しているんだったよね。だから、変装魔法を応用すれば、感情を『見える化』する一つの方法として涙を出すこともできると思ってさ。いだいた感情にリンクして、涙が出るようにしてみた。嫌だったら解除するけど、どう──」


 エリナはレオに飛びついた。

 あうう、と声をあげて大泣きする。レオの肩はびしゃびしゃに濡れてしまった。

 レオは頬を赤らめながら、照れくさそうに頭を掻く。


 気持ちが、あったかくなる。

 きっと自分も、今、泣いている。

 アイリスは、そう思った。

 

「すごいね。いつの間に、そんなことまでできるようになっちゃったんだろう。お母さんは鼻が高いよ。でもさ、できるんだったら、あたしたちにもやってくれたらいいのに! このまま腐っていったら、あたしたち、いつかあなたの元を去らなきゃいけない、って思ってたんだよ。臭いも見た目もうまくできるんだったら、そうして欲しいよ。それに、あたしたちだって、生前の美しい姿を取り戻したいし!」


 鼻息荒く言うアイリスに、レオは「いいよ」と答える。


 エリナにしたのと同じように、レオは両手をあげて呪文を詠唱した。

 アイリスとリュカ、二人の足元にそれぞれ赤い魔法陣が同時に・・・出現する。



 ──無限の魔法陣ダブル・サークル



 二つの魔法陣を同時に具現化するこの魔術は、円を隣り合わせて繋げると「無限大∞」の印になることから、こう呼ばれている。

 それは、最高レベルの魔法力を行使する大魔導師の証。

 人智を超えた甚大なる魔法力を母なる大地ガイアから手繰たぐり寄せ、ありとあらゆる願いを叶える正真正銘のトップ・ウィザードだ。


 赤い旋風が消え去って暗闇が周囲を包んだあと、レオは再び光の魔法で明かりをともした。

 アイリスは自分の手を見る。

 灰色ではない。もう遠い昔のようにさえ思える何気なにげない日常で見続けた、肌色の手。

 

 リュカも、その姿はもうゾンビではなかった。

 アイリスが大好きな、いつものリュカ。

 さらさらと風になびく美しい赤毛に相応ふさわしい、健康的な肌。

 瞳は生前と同じ、黄金色になっていた。


「すごっ! やっぱあんたはすごいわ、レオ──」


 言いかけて、アイリスは口をつぐむ。

 アイリスがレオに目をやった時、レオは目を見開いてアイリスとリュカを見ていた。


 眉間にシワが寄る。

 みるみるうちに、目に涙がたまる。

 下唇を噛んで、うつむいてしまった。

 乾いた地面に、涙の跡がつく。


 失ったはずのものが、帰ってきた。

 つい、油断したのだろうか。


 アイリスとリュカは顔を見合わせる。

 かがみ、レオを挟むようにして、そっと抱きしめた。

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