第8話 初めての仲間
口づけを続けるうちに、なんだか妙な気分になる。
体がフワフワするのだ。
そのうち、心地よい痺れがうねるように体中へと広がって、脈動を伴って強くなり、どんどん止めようがなくなって……。
──この感覚。
これ、間違いなく何度も味わったことがある──
「あっ」
短く漏らした喘ぎとともに、アイリスは、ヘナヘナとその場に座り込んだ。
放心しながらリュカを見上げる。
仁王立ちするリュカも、なんだか見たことのある顔だ。たぶん賢者モードに入っている。
「……ねえ、これって」
「ああ。間違いないな……」
十歳の子供の前では言わなかったが、キスをしていただけの二人は、二人して絶頂に達していた。
──意味がわからないことだらけだ。
ゾンビなのに。
しかも、キスしかしてないのに。
何これ?
この不可思議な現象を解析できる聡明な人物なんて、レオしか思い当たらない。
でも、詳細を説明する訳にもいかないし。いや、してはいけない訳じゃないけど、したくないなぁ……。
だって、レオはこんなにポケッとした顔をしてる。
なんて純粋極まりない顔──。
うん。やっぱ自分で考えよう。
キスしていた時、どうなってた?
リュカのことが好きで、好きで好きで好きで、どうにも仕方がなくなって……。
気持ちの高まり方と同じ感じで、快感も盛り上がっていった気がする!
えっと。
つまり……
「相手のことを好きな気持ちが高まったら、それに見合った感覚が得られるのかもしれないな」
アイリスが思い至った結論と同じだ。
しかし人から先に言われると否定したくなるのが人の常。
アイリスはそうだった。
「でもさ。そんなことおかしくない? ゾンビなんだから、体の神経なんて働いてないでしょ?」
リュカは顎に手を当てて唸る。
「それはそうなんだが。そもそも、多くのゾンビは自我など持たない。それなのに、俺たちは生前の記憶を持ち、こうして思考している。リルルと同じだ。つまり……」
「……
「リッチとは本来、自らを魔術でアンデッド化して生前の人格や能力を保持している魔術師モンスターのことを言うから厳密には少し違う。だが、生前の人格や能力を有しているところは共通しているから、俺たちはどうやらそれに
「へええ……あんなのと、同じかぁ……」
「ねえ、なんの話をしているの?」
レオが怪訝そうに言う。
──思えば、レオに性教育などしてこなかった。
なのに、いきなりエクスタシーの話をするわけにも。
いや待て。もしかして、既にこいつ知ってたりして。
あたしたちが二人して寝室にシケ込むのをわかってる風だったし!
それに、「女の子に気持ちを持って行かれたりしない」なんて言ってたけど、蔵書室から逃げる時、あんなにも綺麗な青髪の女の子に化けていた。
変装魔法はイマジネーション。きっと、あの子のモデルになった子がいるはず──
……えっ、マジで!?
レオに彼女!? 十歳で!?
いや、片思いかも。う〜ん、どっちだろう。
問い正したい……。
そうだ! まだ子供ができたりしないように、気をつけさせないと!
早い男の子なら、もう
「アイリス?」
「ハッ」
リュカのおかげで正気を取り戻す。
いずれにしても、聞きづらいことに違いはなかった。
もう仕方がないので、大人たちで続きを考えることにした。
「えっと。仮にそうだったとして、どうして感情が高まるだけでイッ……あの、その。
チラチラと我が子を見ながら、どもりつつ言うアイリス。
腕を組んで目を細めるレオ。
「確証はないが……体は間違いなく死亡しているから、本来なら触ろうが攻撃を受けようが何の感覚も得られないはずだ。なのに、俺はアイリスと抱き合った時、君の体温がわかった。キスをした時に唇が触れる感触も、肌に触れ合った時の感触も、全てがリアルに感じられる。これは、レオが俺たちの死体に吹き込んだ生命──つまり『精神体』とでも言うべきものが全ての作用を成しているんだろう……と、思う」
語尾に「まあ知らんけど」と付きそうなくらい、適当に言ってる感が漂ったが。
二人は、なんとなくその結論がしっくりきていた。
──つまり、ゾンビって、頭の中だけでセックスできちゃうってこと?
互いに強く想い合うだけで?
すご。
なんかちょっと楽しくなってきた。
瞳を赤く光らせ、ニヘニヘと不気味に笑う濃い灰色の母親を、レオはひたすら
◾️ ◾️ ◾️
三人は、とりあえず森の中へと入った。
見通しの良い草原や、隣国へと続く主要道路などを通れば、すぐに人間に発見されてしまうからだ。そうなると、間違いなくややこしいことになってしまう。
リュカは、しきりに周りを警戒しながら暗い森を進む。
月の明かりが届かない暗黒の森の中では、レオは全く足元が見えなかった。
反面、ゾンビとなったアイリスとリュカの紅蓮に輝く瞳は、まるで赤外線スコープのように暗い森を視認できる。
視界は色合いがよくわからず、白黒な感じではあったが、何がどうなっているかくらいはしっかり把握できた。
だから、リュカはレオを抱っこして歩こうとした。
「あのね。光の魔法くらい使えるよ、
相変わらず父への尊敬の念が見られないレオ。
二十人以上いる熟練の聖騎士を一瞬で蹴散らした圧倒的な父の強さ。
多少はすごいと思ったようだが、しかし尊敬するには至らなかったらしい。
そんなレオを前にしても、リュカは、別に不機嫌になる様子もなかった。
「はいはい。わかってるよ、お前のことを『いくつになっても赤ん坊と同じだ』とか思ってるわけじゃない。俺が、久しぶりに抱っこしたかっただけだよ」
「……やだ」
「だめ」
「あっ、そんな」
中ば強制的に
いくら子供とはいえ、十歳はかなり重い。
アイリスほどではないが、重量的には間違いなくアイリスの半分などとうに超えているだろう。
剣術より魔術をこよなく愛するインドア派だから平均より多少は軽いかもしれないが。
それをスッと持ち上げるリュカ。まあ、アイリスでさえ軽々と持ち上げるのだからこのくらいは当然か。
抱かれたレオは、顔を赤くしていた。
「腐乱臭はしないか? 自分ではわからん」
「まだ死んだところだから大丈夫だよ。気になる?」
「……ああ」
アイリスは、リュカの気持ちがよくわかった。
死体の放つ腐乱臭は、戦場の跡地を訪れた際にアイリスも嗅いだことがある。
ツンと鼻をつく強烈な刺激臭は、短い時間であっても耐えるのは難しい。
それに、いくら死して生命を得たと言っても、
肉は融解して溶け落ち、目は腐って無くなり、骸骨のようになっていく。骨と髪だけが残り、生前の様子などあっという間に無くなってしまうだろう。
日に日に変わっていく親の姿を見て、レオはどんな気持ちになるだろうか。
手に入れた命は、やはり
もちろん、国を奪還するための時間を与えられたのだから、リルルに殺されたあの時に死ぬよりは比較にならないぐらい良いが……
これから、自分たちの体はどんどん腐乱が進んでいくだろう。
それも、そう遠くないうちに。
一ヶ月とかではなく、二、三日とかそういう単位で。
リルルをうまく倒せたら、もしかしたら三人での生活が続けられるかもしれないと期待した。
現実は、そう甘くはないのかもしれない。
リュカに抱かれたレオのお腹がグウウ、と鳴る。
「レオ、夕ご飯まだ食べてなかったね」
「……蔵書室から帰る前に、あいつらが来ちゃったから」
「そっか。そういや、あんな奴らが来たのに、いったいどうやって
「……魔術で、隠れてたんだよ」
──えっ。マジで?
そんな魔術、あたしも使えないけど。
ってか、いくらあたしが火炎系以外からっきしだって言っても、仮にも王宮魔術師だよ? こいつ、補助系魔術のレベル高過ぎだろ。
このままじゃ冗談抜きでやばい。レオに置いていかれる。偉そうに言えなくなっちゃう。本気で勉強しよう。
ああ、子供の頃、もっと真面目に勉強しとけばよかったぁ……。
使える魔術のバランスが悪い、尖った王宮魔術師のアイリスは、十歳の息子からケツを叩かれるプレッシャーをひしひしと感じていた。
それはそれとして、ゾンビと化したアイリスとリュカはお腹など空かないが、まだ生きているレオは空腹を満たす必要があった。
アイリスは手を顎に当てて考え込む。
──どうしよう?
今の自分たちの
仮に街へ行っても聖騎士に追われてしまうだろう。
だからといって、そこら辺にいる魔物が人間用の食物など持っているとは思えないし。
死んだばかりのあたしたちの肉なら食べられるかもしれないけど、レオの空腹はさすがにまだそれほどの極限的状況じゃないし……。
グウウ、とまた大きな音が鳴る。
レオは、「お腹が減った」とは一言も言わなかった。
いくらしっかりしているとはいえ、まだ十歳の子供なのだ。
──手段を選んでる場合じゃないかもしれない。
こうなったら、畑でも荒らすか?
道を通り過ぎる人間を襲って、食べ物を略奪しようか?
それとも、やはり街へと下りて、お店から強奪するか?
アルテリアの民を助けるという大義名分を半分忘れ、アイリスが山賊の思考に沈みかけていたその時、
「誰かあっ」
森の中から、叫び声が聞こえた。
闇をも見通すアンデッドの瞳は、アイリスたちから二〇メートルほど先の地点を、右から左へと駆けていく人物の姿を捉えていた。
その人物の後ろから、体格の良い何かが追いすがる。
見た感じ、おそらく亜人種モンスター「オーク」だ。手に持つ斧と豚のような鼻がチラチラ見える。
「何っ!? 何っ!? どうしたのっっっ!?」
「灯りはつけるな」
レオに警告するリュカ。
何も見えないレオは、ガザガサと鳴る
こうやって取り乱しているところを見ると「やはり子供だな」と思えてアイリスは少しホッとした。まあ、アイリスとリュカは闇の中でもよく見えているから落ち着いていられるだけかもしれないが。
「アイリス。レオを頼むぞ」
リュカはそう言い残し、オークを目指して疾走する。
自分の作り出す
その瞬間、リュカは既に上空。
ジャンプしたリュカは、オークの筋肉質な肩口へと真っ直ぐに剣を振り下ろす。
オークは走るのをやめ、低い悲鳴をあげて血液を撒き散らし、突如として現れた妨害者を慎重に睨んでいた。
追いかけられていたのは、黒いローブを纏った人物。
ありがとう、と小さな声で呟くようにリュカへお礼を言う。
「まだ助かったとは決まってないけどな」と小さな声で意地悪なことを
リュカは黒ローブへ、後ろへ下がるように指示した。
オークは勇敢だった。
いや、それとも無謀だったのか。自然体で剣を構えるゾンビに、
リュカの後ろに隠れた黒ローブが頭を抱えてうずくまり、「ひっ」と悲鳴をあげた。
オークの持つ斧が振りかぶられる。
普通の人間なら逃げ
そのまま回転速度を上げ、振り下ろされる斧を紙一重で回避しつつ、オークの肩口へ向かってほとんど残像しか見えないほどの剣速で斬り上げる。
くるくると回転しながら宙に舞う自らの腕を、まるで時が止まったかのように眺めるオーク。
飛んでいく腕の向こう側に見える、異常なほどの殺気を撒き散らす剣士ゾンビの紅蓮の瞳。
ここで初めて恐怖を感じたのだろう、オークは後ずさりしながら退散していった。
「灯りをつけていいぞ」
合流したアイリスとレオへ、リュカは頼もしい声で合図する。
断じて殺し合いを見るのが好きなわけじゃないが、リュカのこういう頼もしいところにアイリスは弱かった。
あたりが明るければ、デレデレした母の様子など当然の如く気付いて呆れた視線を突き刺しているところだろうが、レオは何も見えていないのでそれには反応せずに呪文を唱える。
「闇を祓いあたりを照らせ──
光の魔法でカンテラのような灯りを空中に作り出した。
それを、黒ローブの人物へと近づける。
その人物は、おずおずとフードを外した。
「あの……ありがとうございます。……あ゛〜〜〜」
「「「え?」」」
三人同時に、すっとんきょうな声を出す。
フードを外した人物は、濃いめの灰色をした肌、セミロングで鮮やかな青色の髪、煌々と輝くバイオレットの瞳。
推定年齢で一五歳程度の、少女のゾンビだった。
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