第7話 撤退

 レオの発案に、アイリスは揺れていた。


 みんなが殺されてしまう前に、なんとしてもリルルの凶行を食い止めなければならない。

 だが、勝算もなく敵の根城に突っ込めば、今度こそレオが命を落とすことになる……。


 それを想像すると、アイリスは到底耐えられそうになかった。


 どちらかを選ばなければならない。

 どちらが正しいのか。


 アイリスには判断ができなかった。さっきまで、溢れんばかりの怒りをにじませ拳を握りしめていたリュカも、今はレオの意見に反対していない。 


 アイリスは、レオへ尋ねた。


「一つだけ教えて。レオ、あなたはこのまま撤退して、みんなの命を助けることができると思う?」


 たくさんの人たちを放って、自分たちの命惜しさに、自分たちだけ助かろうとするなど、断じてできないと思った。

 それは、たとえレオが死ぬことになったとしてもだ……。


 大切な人たちのために、大義を背負ったような気持ちになる。

 だが、すぐさま自分の心の奥底から湧き上がってくる想いにそれは突き崩される。


 死ぬ? レオが?

 まだ、たった十歳の、何より大切なはずのレオが……? と。


 意思を固めようとすると、砂上の楼閣のように崩れ落ちる。

 心は揺れ、また迷い、思考は振り出しに戻る。


 当のレオは、母とは対照的に、何だったら笑顔さえ浮かべて言った。


「僕は、お母さんとお父さんが望むなら、その通りにするよ」


 戻れば死ぬかもしれない。

 わかっているはずだ。さっき自分で言ったのだ。


 なのに、レオはこう言った。

 レオの透き通った水色の瞳には、自分の命を惜しむ色も、無謀に敵地へ突入しようと考える色も無いとアイリスは思った。

 いや、そもそもたった十歳に息子に、こんな決断を強要する親など……。


 リュカと、目線を通わせる。

 リュカは微笑み、小さくうなずいてアイリスを優しく抱きしめる。


 アイリスは、撤退することにした。

 


◾️ ◾️ ◾️



 三人は、風一つない夜の城下町の大通りを歩く。


 目的地は、この大通りの先にある城壁の門だ。

 左右に目を向けると、遠くにある高い城壁上の歩廊を、月明かりをバックにして騎士たちが見回っているのが見える。


「城壁はかなり高くて登るのは骨だ。城壁の門を突破することになるよね」

「登れないことはないが、敵の攻撃を受けながら生者であるレオを無傷で城壁の外へ下ろすのはある程度リスクを伴う。敵から受ける攻撃のことだけじゃなく、城壁上から落下する際の衝撃過重にレオの体が耐えられるかわからない。だから、現実的にはお前の案がいいだろう」


 具体的行動案を調整しようとするレオに、リュカはこう答えた。

 だが、さっきの騎士たちが向かったのも、今からアイリスたちが向かう門の方向だ。

 当然ながら、アイリスたちを逃すまいと門を固めているに違いない。

 アイリスの考えていた通り、レオもこう言った。


「でも、わかってると思うけど、当然のことながら門は固められている。だから、もちろんこれもわかってると思うけど……お父さんの出番だよ」


 リュカはフッと笑みを浮かべて、レオの視線の高さに合わせてかがんだ。


「お父さんを、尊敬させてやるぞ」

「頑張ってね」


 頭の後ろで両手を組んで、尊敬のカケラも見られない態度のレオ。

 とうとう我慢の限界を超えたアイリスは、


「こらぁ! お父さんに向かって、なんて態度なの!」

「だぁって、今は僕が二人の術者だしぃ」

「この! そんなこと言うなら、すぐに『術者変更の盟約』で術者を変えてやるからな! 見てろよっ」

「お、そんなことまで知ってるんだ。なんだかんだ言って、お母さんも死霊秘術に興味あるんじゃない?」

「無い! ……ねえレオ、ゾンビになったって、お父さんはお父さんなんだよ」


 レオの両肩を掴み、目を見て真剣に言ってやると、レオは目を逸らして気まずそうにした。


「……わかってるよ、そんなこと。でもさ。強いって言ったって、所詮は人間だろ? いや、もうゾンビか。まあ、並の騎士より強いのはわかるけど……騎士の戦闘になんてあんま興味ないよ」

「あんた、リルルとお父さんの戦いを見てなかったの? あの場に隠れてたんでしょ」

「見えないよ。僕は奥のほうに隠れてたんだから。恐る恐る出てきた時に、偶然、お母さんたちをアンデッドにしようとするリルルに気づいて止めたんだ。だから──」


 言葉の途中で、ヒュン、と風を切る音が聞こえた。

 ふと見ると、足元に何やら枝のようなものがカランと音を立てて落ちたところだった。


「?? 何これ………………矢?」


 ヒュン、と再び耳元で鳴る風切り音。

 城壁から放たれて自分たちの命を奪おうとする、騎士たちの矢の奏でた凶音であると気付く。

 同時に、「なぜその矢が自分たちに当たることなく地面に落ちたのか」も、アイリスは理解した。


 リュカは、次々と飛んでくる矢を、片手で持った剣で撃ち落としていた。

 風を切る音は連続で鳴り続け、気付けば、矢はアイリスたちを挟むように両サイドからアイリスたちへと降りかかっていた。

 

「アイリス! レオ! 走るんだ!!」


 リュカの号令で、二人は弾かれたように走った。

 リュカは、護るべき二人から離れることなく並走する。

 

 月光と、弱い光を放つ魔力街灯しか存在しない暗い城下町で、ヒュンヒュンと飛び交う矢の音。


 左右の城壁上から撃たれるいくつもの矢を、アイリスとレオへ一本たりとも到達させることなくリュカは撃墜する。

 併せて、アイリスとリュカは、レオの盾になるよう、レオを挟んで位置取っていた。


 息を切らせて走るレオと、周囲を警戒しながら息子を護る二匹のゾンビの前方に、城門が見えてくる。


 素早く駆ける三人を、この暗闇の中で正確に狙い撃つのは騎士たちも骨が折れたようだ。

 多くの矢はリュカが撃ち落とすまでもなく狙いを外すようになってきた。

 が、ただ一つ、白魔法の光を纏った矢だけが、正確にアイリスたちを追撃していた。


「……一人だけ腕のいい奴がいる。ふふっ。オリバーだな。さすがだ、奴は。八時の方向──アイリス、気を付けておけ。あれだけは、ゾンビでも喰らえば致命傷になるかもしれない」

「うん!」

「そして、おそらくこの先の城門にいるのは──」


 城門へと近づくにつれ、立派な石造りの城門と、それを頑丈に閉じる木製の両開き扉が見えてくる。


 だんだんと、その前に陣取る騎士たちの姿が目に入る。

 最初は五人くらいかと思った。


 近づくと、暗闇に紛れていた三、四人が追加で認識できた。

 さらに近づくと、同じく夜の闇で見えていなかった五、六人が。


 結局、そこには二〇人を超える騎士が配置されていた。


 騎士たちの最前列中央には、アイリスにもわかるくらいに一人だけ体格の良い騎士がいる。

 人数が把握できるほど近づくと、アイリスにもそれが誰かわかった。リュカから紹介されて何度か会ったことがあるのだ。

 

 ──確か……彼は、聖騎士・アーロン。

 ガタイがよく、腕力が強く、リュカが頼りにしていた聖騎士の一人だったはずだ。

 確か戦いでは、何人ものアンデッドをまとめて吹き飛ばしたとリュカが──


「お父さんっ! どっ、どうするのっ!?」


 さすがに怖かったのか、焦ったように叫ぶレオ。

 それはアイリスも同じだった。

 歩みを止めるべきか、そのまま突っ込むのか、それとも走る方向を変えるのか。

 アイリスには判断がつかなかった。


「……ぅわっ!!」


 リュカは、そんなアイリスとレオを、事前通告することなくいきなり担ぐ。

 走る方向を九〇度変えたかと思うと素早く建物の影に隠れた。

 二人を下ろすと、静かに一言だけ、


「待ってろ。すぐ戻る」


 動きを止めたターゲットに対しては、さすがに騎士たちの矢はある程度の正確性を保っていた。

 つまり、連射される矢はそのほとんどが、建物の影から出たリュカの体を見事に捉えていたのだ。


 リュカはくるりと剣を回して正面から来る矢を全て弾く。

 直後、アーロンのいる方向へと駆けた。

 あまりの速さに、幾つもの矢はリュカがすでに通った後の軌跡を順になぞる。


 アーロンは、おそらく白魔法であろう白い光を纏った槍を、リュカを迎え撃つように構えた。

 今のリュカはアンデッド。

 アーロンの使う白魔法はリュカの体を溶かし、たとえレオの死霊秘術があろうと滅殺することができるはずだ。


「聖騎士団長リュカぁあああ! これまで忠誠を誓ってきた我らをよくも騙したな! 魔物に魂を売るとは聖騎士の風上にも置けん奴よ、この場で俺が成敗してくれる!!!」


 口上を述べたアーロンから目を逸らし、顔を真横へ向けるリュカ。

 つられてそちらを見たアイリスは、あっ、と声を出しそうになった。

 黒魔道士だ。黒いローブに身を包んだ魔導士が、建物の影に隠れている。


 猛烈な速度で駆けるリュカの進行予定経路上に、白い光で描かれる魔法陣が現れた。

 同じくして、別の建物の影にも隠れていたらしい黒魔道士から、アンデッドの弱点である火炎系魔法──轟々と燃え盛る炎の塊が投げつけられた。


 リュカはまたもや突如として進行方向を変え、黒魔道士が描き出す白い魔法陣の領域を、すんでのところで回避する。

 と同時にジャンプして体をひねり、追撃してくる火炎魔法をもすり抜けた。

 

 リュカは落ちていた矢を拾い、二人の黒魔道士へと投げつける。

「グエッ」という声が重なって聞こえた時には、リュカの剣は下から斬り上げられアーロンの槍を上空高くに弾き上げていた。


「このっっ……」


 呻き声を絞り出すアーロンが槍をリュカへと戻すまでの僅かな時間──。

 相変わらず城壁上から放たれる矢を剣で撃ち落とし、中距離ミドルレンジを得意とする槍の懐──リュカの持つ剣が活きる至近距離クロスレンジへと流れるように潜り込む。


「がっ……」


 アイリスが気付いた時には、リュカはアーロンの鎧の隙間──脇腹の鎖帷子くさりかたびらへ、剣の柄で一撃を見舞っていた。


 しつこく追撃してくる矢群を引き続き弾き返したリュカ。


 圧倒的な動きを見せつけられて驚き、動けずにいる騎士の群れへ、もはや太刀筋が見えない程に走った剣先を次々と飛び込ませる。


 その動きはまるで踊るようで、何人いようが問題にしなかった。

 しかも、おそらくだが、リュカは一人も殺さずに倒した。

 アイリスとレオはただ口を半開きにして見惚みとれるしかなかった。


 全ての騎士が倒れたあと、片手で持った剣で難なく矢を弾きながら、城門の影に隠れて矢をやり過ごしつつ、リュカは重そうな格子状の門を開ける。


 アイリスとレオは、異常な速度でこちらへと駆けてきたリュカに二人まとめて抱き上げられる。

 何が何やらわからぬうちに、気が付けば城門を突破していた。


 抱えられて搬送されながら、遠くに見える城門を眺める。

 もう、矢は飛んでこなかった。結局、三人は一発たりとも被弾しなかった。

 レオは、間近にある父の顔をじっと見つめて呟く。


「……すご」

「どうだ。少しは尊敬したか、息子よ」

「え? ……ん。まあ、ほんのちょっとだけね」

「ったく」


「かっこいい」


 めちゃくちゃカッコいいと思っていたアイリス。

 剣士としての強さもさることながら、本気で殺しにかかってくるかつての部下を誰一人殺さず、後遺症すら残さないような愛のある攻撃で制圧したことに、ハートがズキュンと射抜かれる。


 ホカホカした体が軽く痺れ、体のどこかがキュンキュンし。

 ドキドキ感でボーッとしてしまう意識を何とかしようともせず、リュカの顔を見つめ、ノロけた声で口走った。


 それを聞いた途端に、リュカは走るのをやめる。


 二人を下ろしたかと思うと、アイリスの顎に指を当て、少し上にあげてキスしやすい位置に唇を向けさせる。


 二人のゾンビは、月明かりを背に、そこそこ長い間、影を重ね合わせた。

 こんな時にまでいつも通りの親二人に、レオは心底呆れて叫ぶ。


「だーかーらー、それ何? ほんといつまでやるわけ? ってか、宿営地が決まるまでくらい、我慢できないかな」

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