4話 惨劇と家族

「ヴァルターは今日も出てこないのか?」


身支度を整える父が、母や使用人のメソットさんと話している。

彼は今日も軍装に着替え、勤務先である所属連隊へ向かう。


「あの子…学校で何かあったのかしら…。理由を聞いても答えてくれないし…。」


あれから三日。俺はあの日から学校はおろか外にも出ていない。

いや、行けるわけがない。

間違いなくマルクスが、俺の体に出た模様について喋っているはずだ。


(あぁ…畜生。――ッ畜生畜生畜生!)


答えの見えない状況からの恐怖心が、俺の過去の性格を呼び覚まそうとする。

また、誰も信じられなくなる。

誰が俺の秘密を知っているのか。仮にそれを知った家族は、俺をどう思うのか。

得体のしれない猜疑心。この世界も、俺に優しくない。


 …なんでこんな血筋に転生してしまったんだろうか。俺は前世でそんなに悪いことをしたか?神様よぉ…?

そう呟きながら、顔を覆い隠す。

前世で、施設にいたころを思い出してしまう。なんという体たらく。


「どうすればいいかなぁ。あんまりこれが続くのも……」


 だんだんと、みんなの声が遠くなっていく。

ドアを開閉する音が聞こえた。父が家を出たのだろうか。

……もう、いいだろう。


「―――ッ⁉」


俺は静かにドアへと近づく。

不登校の学生って、こんな気持ちなんだろうか。

後ろめたさを感じながら、ドアノブに手を掛けた。


 …? ドア越しに誰かがいるのがわかる。なんだ…説得でもするつもりか?


「誰ですか? 今の僕には、何を言っても無駄ですよ?」


「メソットです。坊ちゃん、食事を持ってきました。」


メソットさんか…。

この家の仕様人ということもあって、メソットさんもエンティオ人だ。

この人の家系は、メソットさんのばあちゃん代からこの家に使用人として仕えてきたらしい。

縁の深いことだ。


「坊ちゃん? 私はあなたの母親ではありませんし、教師でもありません。なので、あなたに何があったのかも知らないし、私の知ったことではないです。」


(知ったこっちゃないとは、説得の身でずいぶんとバッサリだな…。何が言いたいんだこの人は…。)


「ですが、あなたのお母さんは、あなたの状況が掴めないままでも、あなたに寄り添おうとしています。そんな人に顔も見せないなんてのは、違うんじゃないですか?」


(――言われなくてもわかってるよ…! でも…あんたたちには言えないんだ! あんたたちに何かあったときのことを考えて、それが怖いという心の内を!)


「…。せめて、食卓くらいには顔を出してください。…それだけです。」


 メソットさんは行ってしまった。

あの人は、何かアドバイスのつもりで俺に語り掛けたのだろうか。

ただメソットさんは、俺に何らかのタイミングをくれたと思う。

…無駄にはできないな。



 俺は猜疑心を押し殺して、母の部屋へ行った。

内職をしていた母は俺に気づくや否や、優しく笑って見せた。


「ッ!あのッ…お母さんッ、」


だが、何かを訴えそうになった俺の言葉を、母は仕草で遮った。


「何があったのかは知らないけど、言いたくないなら言わなくてもいいよ?無理する必要はないわ。だってあなたは、まだ8歳にもならない子供じゃない。大人じゃないんだから、少しずつでいいの。」


 違う…違うんだ! 俺は約束を破った! あんたたちを危険に晒すかもしれないんだ!

すると、母が俺のもとへ来て――、その温かい手で俺の小さな顔を包み込む。


「その顔は何か心配事があるときの顔ね? でも、閉じこもってるだけじゃ心配事は解決しないわよ?それが気のせいで終わってくれることを、神様に…『エミリオ様』に祈りなさい?」


母の優しい、少し青みが入った瞳。この世界に来て初めて知った両親の温もり。


 母の言う通りかもしれない。

人の噂も七十五日。全てが、俺の杞憂で終わればいいと願うんだ。

 しかし、その『エミリオ様』とは何だろうか。

神様? だとしても大丈夫な神であってほしい。

俺は神に感謝も、恨みもできない立場にいるのだから、何も言えないんだ。




 ―次の夜更け―


 俺たちはいつものように食卓を囲む。

いや、いつものようにではない。今夜はなぜか父・アンソンがいない。

帰りが異様に遅いんだ。少しではなくだいぶ遅い。


静かな夜だ。薄気味悪いくらいに。


 皆が口をそろえて「遅い!スープが冷める!」と言っていた頃だ。

―――ドンドンッと、木製のドアを叩く音。玄関のほうからだ。

父が帰ってきたのだろうか。

いや違う。父にしては、ドアを叩く力が強い。

メソットさんが、急いで玄関に向かった。


だが俺は、何かを感じた。

「…ん?」  

なにやら外に人影が見えた気がした。

俺はしばし席を立ち、高い位置の見渡しのいい窓から外を見る。


「なんだ? 玄関の前に人が…。一人、二人、三人…、結構な大人数じゃないか。」


玄関前に十数人ほどの人間が立っているのが見えた。

そして、先頭より一歩下がった位置の男が、何かを抑えて乱暴に扱っている。


 俺には、そいつらの服装に見覚えがあった。

あれは間違いなく、父がいつも着用する軍服と同じだ。

ということは奴らは軍人?


その答えが出た瞬間。俺は身の毛のよだつ思いだった。

自分の悪い予感が的中したかもしれないと。


「まさかッ…!」



―そのころの玄関でのやり取り―

 メソットさんは玄関を開ける。

アンソンだと思ったのだ。なんの警戒もしていない。

玄関を開けたそこには、メソットさんやミア、マルガレーテの思った通り、確かにアンソンがいた。


「こんばんわ、皆さん。ご主人のアンソン伍長をお連れしましたぞ?リンクシュタット領の貴族、ランシュタイン家…。いや…!ヴィクタリアに巣くうエ


一瞬で、家の中に男たちが雪崩れ込む。メソットさんは抵抗する間もなく、拘束された。


「ミア! ヴァルター! 母さん! みんな逃げろッ!逃げるんだ…ッ!」


アンソンの悲痛の叫びは、先頭に立っていた男の怒声に搔き消された。


「ブラジノフ連隊長ッ! 頼む…家族だけは…! 俺は殺されてもいいから! 家族だけは殺さないでくれッ! …頼むッ…家族だけはッ…!」


「アンソン伍長。貴様らはここにいてはならない存在だ。初めからこんな土地など捨てて、北の果てで同じエンティオ人と仲良くしていればよかったものを…。」


アンソンが所属する連隊の長・ブラジノフは言った。


「貴様らは先祖代々に渡って、我らヴィクトル人の土地を汚した。よって全員処分する。それがヴィクタリアの意向であり、偉大なる『ヴィークナス様』の思し召しである。」


アンソンは家族を逃がそうと必死に声を荒げ、メソットと共に最後の時を迎える。


「イグナイテッド ブレスッ」


ブラジノフが放った焼却魔法が、アンソンとメソットの体を覆いつくす。


「ッッッっ⁈ア゛⁈ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ‼‼ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼」


聞くに堪えない叫び。二人の体は、燃え尽きた塵となる。


「この家には!アンソン伍長の母親、そして妻子がいるはずだ!探せ!」


次の標的はマルガレーテとなった。既に就寝していたマルガレーテは、押し寄せてきた男たちから逃げる暇もない。


「デフォーム アイスッ」


マルガレーテはすぐさま飛び起きたが、声を上げる暇もなく氷晶魔法によって、その体を突き刺された。


 これで残るはミアとヴァルターのみ。

狂信的なヴィクトル人の男たちは、汚らわしい血を滅するために、この温かな一家を粛清する。

その行動は非常に淡々としすぎていて、あまりにも異様な光景だった。



―ランシュタイン邸 裏道―

 街灯もないこの暗闇の中、幼い我が子を抱きかかえ、ミアはひたすら走る。

姿は見えずとも確認できた、夫たちの死。

母親としての本能が、彼女の体だけを突き動かす。


一帯どこへ逃げるというのだ。

この広い帝国の内側で、味方などどこにもいない、敵民族の生存圏で。


「アンソン…お義母様…メソット! あぁ…どうして……⁉ この子だけは…ヴァルターだけは逃がさなくちゃ!」


屋敷の裏にある雑木林に駆け込み、足場の悪いくらい道を走り続ける。

北へ。北へ。ひたすら北へ。


「ゲイルッ! ゲイルッ!」


 ミアは〈ゲイル〉と呼ばれる風魔法を発動し、足から小さな突風を出すことで、走る速度を速める。

だがミアは、サンクトス因子の弱いエンティオ人。

悲しくも、その行動にに大した効果はない。


(やっぱりだ…ッ! クソっ! 俺のせいでみんなが…………! ―――俺はどうせ、一度は死んだ身だ。だけど…ミアだけでも!)


だがミアは決して足を止めない。愛する我が子を守るために。


 俺たちの後方数十メートルの距離から、細長く、小さく光るものが曲線を描いて飛んでくるのが見えた。

この距離で、あんな軌道で俺たちに向かってくるものなんて一つしかない!


「お母さん! 弓です…逃げて!」


次の瞬間、俺は地面に投げ出された。

鈍い音を立てて転がった俺の幼い体は、慣れない衝撃で激しい痛みを負う。


「―――母さんッ⁉」


俺が投げ出されたのは、ミアが転倒したからだった。

ミアの足には…矢が貫通していた。


「母さんッ⁉ 母さん…しっかりしてください…‼」


マズい…! 雑木林の入り口から、追手が迫ってきているのが見える。

追手は角の生えた馬に乗っている。

だがミアの足では到底逃げられない…!


「僕に…! 俺にもっと力があれば……」


畜生…どうする! この小さな体で…何ができる!



 ――ミアの雰囲気が変わった。

足を貫かれた痛みで苦しそうにしていた顔が、俺を愛でる時の、温かい時間の笑顔に変わった…。


ミアは俺の体に、その温かく、柔らかい腕を回して、強く抱きしめた。


「私たちは…あなたを愛してる…。あなたがッ…どんな人間であろうと…! 生きてさえいてくれればそれでいいのッ!」


 ミアは必死に言葉を発している。

恐怖と慈愛が極度に達した彼女の声は、嗚咽の混じった、言葉にならない叫びだった。


「母さんッ! ……ミアッ!」


「私たちは…、多くの人たちから虐げられて、存在価値を否定されて、それでも…。その血を隠しながら、懸命に生きてきた…。ヴァルター? あなたには…私たちの為に、死んでいった祖先の為に…、この血を、思いをつないで、懸命に生きてほしいの…!」


ミアの皮膚が、だんだんと変色し、エンティオ人の模様が現れてくる…。

もうすぐそこまで、追手が声を荒げながら迫ってきている…!


(嫌だ…。終わってほしくない! なんで俺の人生は…二度も踏みにじられるんだよ…⁉ あぁ…やめろ! ――ッやめてくれ…!)


「みんな…あなたを愛してるわ…。『エミリオ様』…!どうかこの子を、お守りくださいッ!」


それが、ミアの、やっと感じれた母の、最期の言葉だった。


「見つけたぞ…! デフォーム ストーンッ!」


追手の男が放った魔法によって岩が共鳴し、鋭利に突き出た岩がミアの胸を背後から抉った。


 続々と、ブラジノフ率いる男たちが集まり、呆然と座り込む俺の前に立ちふさがった。


― 体が、内側から猛烈に熱くなり、全身が破裂するほど苦しかった。

  これは感情によるものではない。何かしらの生態反応だ。

  それ以上は、何も覚えていない ―


 

 気づいたら、夜が明けていた。

俺の目の前には、


死体に外傷はない。だが血液が充血しているのが、皮膚の上からわかる。

その血は、黒く焦げたように変色していた。

誰がやったのかは、まるでわからない。



俺は家に戻ることはしなかった。

目の前にあるミアの遺体を見て、それ以上家族の死を、日常の惨劇を見たくなかったから。


 俺は歩き出した。

どこへ向かう?わからない。この先どうすればいいのだ。

俺がこの異世界で、これ以上生きることに価値はあるのか。


だが俺の足は自然と、『北』へと向かっていた。

だが一つ、やるべきことを思いついた。全部あいつのせいだよ。


「―――ッ! マルクス…貴様のせいで俺はッ! 俺の家族はッ⁉」

あいつに、全部吐かせなくては。

そのために俺は歩き続ける。

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