第144話 約束の証

 ついに都造みやこのつくりこ朱鷺とき三条さんじょう水影みなかげ春日かすが安孫あそんの三人が、交換視察の任を終え、ヘイアンへと帰還する日が訪れた。

 安孫は部屋で飼っていた兎を庭園に放ち、その小さな背中を見送った。傍らにはルクナンがいて、その前で、かしずいた。

「ヘイアンは今、戦の最中。ぷろぽーずをした身てはありますが、の春日安孫、るくなん王女殿下を、必ずやお迎えに上がりまする。それまで、安全な月が世で、それがしが帰ってくるのをお待ちくだされ」

 安孫人形を、ぎゅっと握り締めるルクナン。その手を、安孫が握り締める。

「ええ。貴方の帰還を心待ちにしておりますわ。でもよろしいこと、ソンソン。ルーナは、そんなに気が長くはなくてよ? あまりにも遅いようでしたら、他の王族のお妃になっていても知りませんことよ?」

 冗談であると分かっていても、安孫は「はは」と笑った。

「心得ましてございまする。さっと戦を終わらせ、さっと月へと舞い戻って参りましょうぞ。……必ず、必ずや勝利を。そうして安穏たるヘイアンの世に、るくなん王女殿下をお連れ致しまする」

 固く誓う安孫に、ルクナンも満足気に笑った。


 水影は身支度を済ませると、王立図書館で最後の読み物を終えた。

此処ここに在る文献が内、幾つかはヘイアンの物であったが、結局、出所が分からぬままであったのう。此処にある文献を読めば、大昔の月とちきうの戦の真実が分かると思うておったが、とても読み切れなんだ……」

 膨大な量の文献を前に、水影が無念を語る。

「——あら、水影殿。こんなところにいらしたのね」

 後ろから上がった声に、ぞわっと水影の背筋に寒気が走った。恐る恐る振り返ると、そこには、「うふふ」と笑うスザリノの姿があった。その背中には、小さな箱を隠し持っている。

「す、すざりのおうじょでんかっ……! もう出立しゅったつの刻限です。私はれにて——」

「これ。この前のリベンジで、クッキーを焼いてみたのです」

 そう言って、スザリノが小さな箱を差し出した。綺麗に包装されていても、その隙間から、ダークマターの様相がにじみ出ている。

「地球へと帰る道中に、みなさんでお食べになってくださいな」

 純粋に笑うスザリノに、「は、はあ……」と、受け取らざるを得ない。スザリノが寂しそうな表情を浮かべて、言った。

「これでさよならではありませんよね。必ず、月と地球の交流が再会する日が訪れますわ。その時はまた、この図書館でたくさん文献をお読みになってくださいね。セライもきっと、喜びますわ」

 スザリノの言葉に水影は面喰うも、そっと笑った。

「ええ。必ずや、またお会い出来ましょうぞ。我らは再び、此の地に戻って参ります。その時は必ずや、私が大昔の謎を解き明かしてみせまする」

 誓うように宣言して、水影は王立図書館を後にした。


 朱鷺もまた身支度を済ませると、どうしたものかと考えを巡らせていた。愛する天女——ルーアンをヘイアンへと連れて帰りたいが、戦況を思うと、それに反対する自分がいた。

「——なぁに悩んでいるのよ」

 耳元でしたルーアンの声に、さっと朱鷺が振り返る。

「て、てんじょちゅう! そなた、その荷は……?」

「もちろん、一緒に地球に行くに決まっているでしょう?」

 背中に荷物を抱え、更にはエルヴァにも荷物を持たせて現れたルーアンに、朱鷺が心を突かれた。

「天女中……。されど、今あちらが世は、戦の最中。我が過去にも出てきた鷲尾わしお院は、冷酷無慈悲な男。万一、『美麗狩り』にて、そなたが狙われでもしたら——」

「大丈夫よ! だってアンタは、最強の帝でしょう? アンタが戦に敗けるはずないわ。だってこの月でも、アンタ達はいつだって、勝ってきたでしょう?」

 ハクレイと対峙した時も、火の国の襲来を受けた時も、黒兎と戦った時も、他所から来た兎——朱鷺、水影、安孫は勝利を収めてきた。

「王女様は一回言い出すと、何があっても曲げないお方。それは、あんたもよく分かっているはずだぜ?」

 エルヴァに言われ、観念したように朱鷺が吐息を漏らす。

「仕方ないのう。……と言うても、初めから、そうするつもりであったがな」

 覚悟を決めた朱鷺が、ルーアンに手を差し伸べる。

「共に、ちきうへと参ろうぞ。今度は帝である俺が、るうあん王女殿下の見聞を広めてしんぜよう」

 帝宜しく笑う朱鷺の手を、ルーアンが握り締める。

「どこまでも一緒に行くわ、帝サマ?」

 愛する恋人同士の様子に、エルヴァはさみしく思うも、二人の門出を祝うため、共に謁見の間へと向かった。


 謁見の間では、すでにセライとドベルトが、地球へのゲートを繋げるため、大昔の技術を作動させていた。

「——よし。あとはヘイアンの真上に月が昇れば、準備OKだ」

 残り僅かとなった時間で、月と地球の交換視察を終えた両者が、別れの挨拶を済ませる。

「この機に、月と地球の国交を再開させるため、今後とも両星の交流を続けて参りましょう」

 エトリアが三人に向けて言った。

「ええ。必ずや、れを実現させまする」

 代表して、朱鷺が言う。

「悲しくとも何ともありませんわ。だってまたすぐに会えますもの」

 ルクナンが安孫を見上げ、微笑む。二人とも笑顔だ。

「戦が終わりましたら、私も地球に遊びに行きますわ。その時は、ヘイアンの料理を教えてくださいね」

 躍起を見せるスザリノに、水影は、さっと目を反らした。

「あちらは本当に危険よ、ルーアン。危機が迫るようだったら、必ず月に帰ってきなさい」

 カーヤに忠告され、ルーアンが「ええ」と頷く。

「それから、麒麟きりんに早く迎えに来るよう、お伝えしてくださいね、お兄さま」

「ああ。心得ておる」

「向こうに帰っても、モニターで繋がれているのでしょう? なら、いつでも連絡が取れるわね」

 ミーナがエマを抱っこしながら、四人の安全を祈った。誰一人涙を見せることなく、笑って見送ろうとする様子に、朱鷺が代表して礼を述べる。

「真、月が世では、皆々様方に、大変お世話になりました。初めは、我が悲願を達成させんと躍起になっておりましたが、日を重ねるごとに、命を張るような目に遭いまして……」

 自虐的に言うも、すぐに朱鷺は笑った。

「されど、月が世は、楽しゅうございました! 我ら一同、厚く御礼申し上げまする。れは、今生の別れにはございませぬ。ゆえに、泣かれるでない、せらい殿」

 三人に背を向け、最後の調整をしていたセライの肩が震えていることに、朱鷺は気が付いていた。

「な、ないてなんかいませんよ!」

 それでも、その声は震えていた。

「ちゃんと貴方方がヘイアンに帰れるよう、こっちは微調整しているんです! はなしかけないでくださいっ……」

「セライ……」

 その気持ちを汲み取り、スザリノが言う。

「またすぐに会えますわよ、セライ。だから、貴方も笑顔で見送って差し上げて? それが宰相としての、地球の友人への敬意でしょう?」

「ほら、お前さんの王女様に言われてるぞ。ちゃんと話して来いよ」

 ドベルトに促され、セライが鼻を啜りながら、朱鷺らの前に立った。

「……初めは、地球との交換視察など、どうでも良かったのですが、貴方方のおかげで、わたくしも……俺も楽しかった。またすぐに会えるから、もうこれ以上は言わない」

「せらい殿……」

「春日さん、絶対に戦に勝って、ルクナン王女をお迎えに上がってくださいね。まあ貴方ならきっと、勝利を収めるのでしょうが」

「御意。此の春日安孫、すぐに帰って参りますぞ」

「ええ」

 セライが微笑む。

「三条さん、貴方におちょくられる日々が懐かしく思いますが、また一緒にダンスしましょう」

「今度はあちらが世で、雅楽を前に踊りましょうぞ」

 水影が扇を開き、優雅に言った。

「都造さん、貴方がヘイアンの帝とは知らず、色々と不躾なことを言ったりしましたが、謝るつもりなど、これっぽちもありません」

「そうでなければ、月友つきともの意味があらぬでな」

 穏やかな表情で、朱鷺も笑う。

「我らまた、一同に集いましょうぞ。決して今生の別れではありませぬ! 皆々様のご多幸と再会を祈り、一本締めと参りましょうぞ。よーお」

 パン——。

 手を叩いたことが、約束の証。


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