第141話 便宜の意味

 ドベルトが王宮に帰還した。長らく封鎖されていた科学実験棟に呼び出されたセライと、地球よりの交換視察団。ずっと昔に行ったDNA鑑定で使用した、ハクレイの髪の毛が入れられた試験管を取り出したドベルトが、セライの前で言った。

「昔、お前さんに頼まれたDNA鑑定だが、あの時お前さんに伝えた結果——。あれは紛れもなく、事実だ」

「は? ハクレイが博士に頼んで、結果を差し替えたんじゃないのか? 便宜を図ったと、あの男が言ったんだぞ?」

「便宜ねえ。その言葉に、あいつ自身、囚われちまっていたからな」

 ドベルトが、その昔、シュレムを糾弾した際に、ユージンが便宜を図った時のことを思い返した。シュレムが窮地に陥った際、ユージンが便宜を図り、その罪をすべて被ったのである。

「あいつもまた、いつか訪れるであろうお前さんの窮地を救うため、然るべき時に、偽りの結果を公表するよう、便宜を図ったんだ——」

 そう言ってドベルトが、DNA鑑定の結果が出た時のことを、セライに伝えた——。


「——おい、DNA鑑定の結果が出たぞ」

 唐突に現実を突きつけられそうになり、ハクレイは気が動転した。何も言わず立ち去ろうとするハクレイに、「待てこら、宰相こら」と、ドベルトがその首根っこを掴み、離さない。

「い、いやだよ、ドベルト! 僕は結果なんか聞きたくない!」

「宰相のくせに駄々をこねるな! いい加減、現実を受け止めろ!」

「やだよぉ! セライ君が僕の子じゃない現実なんて、受け止められないよぉ! そんな残酷なことを突き付けられたら、僕は死んじゃう……」

 しゅんと落ち込むハクレイに、「はあ」とドベルトが大きく溜息を吐く。

「あのなぁ、俺がそんな現実をお前に知らせに来るとでも思ってんのか? 何年相棒やってると思ってんだよ。ほら、ちゃんと見ろ。お前らは99パーセント、親子関係にあるとDNA鑑定によって証明されたんだ。まったく、何怖がってんだよ、宰相。セライは正真正銘、お前の子なんだよ、ハクレイ!」

「うっ! ううっ……、ほんとうかい?」

「ああ。お前達夫婦の愛を疑うんじゃねーよ。本当なら、もっと早くに行うべきだった。生まれてすぐやれば、ロゼッタだって……」

 そこまで言って、ドベルトが口を閉じた。ボロボロ泣き続けるハクレイに、ドベルトも感極まる。

「な、なくなよなっ!」

「うん。ごめんっ……。でも、ほんとうによかったっ……。ありがとう、ドベルト」

「感謝なら俺じゃなく、息子にしろよ。お前が君付けなんて余所余所しくするから、あいつも不安になるんだろう? ちゃんと、息子を守ってやれよ。お前がセライの父親なんだからな」

「うん……。でもね、ドベルト。今回のこの結果は、いつかセライを、本当の意味で苦しめると思うんだ。今は親子関係が真実であって良くても、いつの日か、僕と彼が親子ではない方が、彼の幸せになる日が訪れる。そうなった時、君には、便宜を図ってもらいたいんだよ」

「便宜?」

「ああ。僕がシュレムのように糾弾されることとなった際に、このDNA鑑定の結果によって、僕達に親子関係はないことを証明してほしいんだ。だから今回の結果は、僕とセライの親子関係は0パーセントと、書き換えて欲しい。ただ、セライには、本当のことを告げてくれないかい?」

「分かった。けど、その便宜についても、伝えるぞ?」

「それはダメ。本人が便宜を知らない方が、彼の幸せになるんだから」

「ったく。それで恨まれても、知らねえからな」

「いいよ。その時は、君が父親変わりになってよ。僕よりも、尊敬する君が父親の方が、幾分もマシだろう。だから、その時は、お願いね。セライを正しい方向へと導いてあげてほしい」

 どこまでも真っ直ぐに息子の幸せを願うハクレイに、ドベルトが頭を掻く。

「なら、今の内、セライに甘えとくんだな。セライがお前をウザがれば、その時が訪れても、悲しみは少なくて済むだろ?」

「うん。めいいっぱい甘えるよ。いつか僕に銃口を向ける日が訪れるまで、僕はセライを手放したりはしない。僕が父さんから愛情を受けられなかった分、セライには、僕の愛をたくさん与えてあげるんだ。そしてその愛を、今度はたくさんの人達に与えて欲しい。そんな子に育てば、ロゼッタもきっと、喜んでくれるよね?」

「ああ。そうなりゃ、お前も立派な親だ。きっとキーレ国王も褒めてくださるよ——」

 

 ドベルトの回想に、セライは胸を突かれた。俄かには声が出ず、涙が溢れてくる。

「やはり、御二人は親子関係にあられたのですな。良うございましたな、セライ殿」

「便宜と言う言葉ほど、便利なものはない。されどその便宜は、貴殿を愛しておるからこそのものでしたな」

「その愛が真で、良うございました」

 安孫あそんもまた、涙ぐむ。

「どれだけ周りから似てないだなんだと言われようが、俺から見たら、お前達二人は、そっくりだけどな」

「え? どこが……?」

 セライが目を丸めて、ドベルトに訊ねる。  

「どこって、まず瞳の色だろ? 爪の形なんかもそっくりだぞ? それから、好きな子に一途なとこ。イラっとした時に見せる偽りの笑顔とか。上げたらキリがねえけどな」

 ドベルトが乾いた瞳で言う。急に気恥ずかしくなったセライが顔を隠し、「も、もういいから……!」と制止した。

「……真、良うございましたな、セライ殿」

 改めて水影みなかげに言われ、セライも安堵したように頷く。

「貴方には、感謝しなければなりませんね。裁判の中継もそうですが、父の最期に、感謝の気持ちを伝えることが出来て良かったです。それがないまま、本当の父であったことを伝えられていたら、後悔どころの話ではありませんでしたから」

 しおらしく話すセライに、水影もどこかで父、晴政はるまさの姿を思い浮かべる。

「貴殿ら親子の別れが、正しくあれたのであらば、私の想いも報われまする」

(……父上、父上が亡くなられてから、“視えざる者”の脅威は無くなりました。ずっとそれは、私の力が強くなったせいだと思うておりましたが、違うのやもしれませぬな。父上が愛情のおかげで、今の私の平穏は守られておるのやもしれませぬ。まあ、たとえそうであっても、父上は何も言うては下さらぬのでありましょうが)

 それでも、水影はハクレイが見せた父の愛と同じものを、晴政にも感じずにはいられなかった。

『——そなたには、純然たる親の愛が分からぬのだ』

 かつて、父から言われた言葉が蘇った。

「……今なら、分かるような気もしまする」

「何が分かるのだ? 水影」

 主に訊ねられるも、「さあて。何の話でありましょうや」と、とぼけて笑う、水影の姿があった。

 

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