第137話 円満たる王子
ハクレイが死に、シュレムが無言のまま立ち上がった。イーガー王太子ら王族がまだ着席しているにも関わらず、何の挨拶もないまま、闘技場を去った。
「……次はドベルト、お前の番だ」
御産室にて無事出産を終えたカーヤに、出産に立ち会ったルーアンとルクナンは、生命誕生の感動に浸っていた。
「すごい……本当に産まれてきたのね」
「ええ。感動ですわ。それに、この出産は、歴史的瞬間ですわね」
ルーアンとルクナンの二人が、目に波を浮かべながら、カーヤの隣で泣き続ける、産まれたばかりの赤ん坊に微笑んだ。そこに、ケガの治療を済ませた
「おおっ、無事に産まれたのだな。良かった、良かった。それで、産まれた子は王子かな? それとも王女かな?」
頭や腕に
「産まれた子は、とっても元気な男の子よ!」
ベッドで横になるカーヤの代わりに、ルーアンが答えた。
「なっ……! 王子殿下なのですかっ?」
泣き腫らしたセライが、驚いた様子で、産まれたばかりの王子を食い気味に見る。
「ええ。ほら」
カーヤに男の子である証を見せられ、「本当だ……」と感極まって、微笑む。
「せらい殿?」
首をかしげる安孫。
「良かったですね、春日さん。ルクナン王女殿下も」
「え?」
訳が分かっていない安孫を他所に、ルクナンは安堵の表情を見せた。そこに、王子誕生の知らせを聞いたイーガー王太子が、見舞に訪れた。
「グレイスヒル王家の皆様方におかれましては、王子殿下のご誕生、誠におめでとうございます」
恭しく立礼するイーガー王太子の態度に、安孫が眉を
「本当、歴史的瞬間ですわね? セライ」
「グレイスヒル王家に王子が生まれるのは、何百年振りかしら?」
落ち着いた口ぶりで話すルクナンと、喜ばしいことこの上ないように話すスザリノが、セライに訊ねる。
「女系であるグレイスヒル王家は、他の王族と結婚することで、正統王家を守ってきました。王子誕生は、およそ三百年振りの快挙。ルクナン王女殿下が仰る通り、正しく、歴史的瞬間です。そして……」
セライの表情が明るみ、安孫に向く。
「グレイスヒル王家に王子が誕生した際、その王子が国王となり、月を統治する——。そう国王規範に条文として定められていることから、次期国王となるのは、カーヤ王女殿下の御子である、こちらの王子殿下です。よって、イーガー王太子とルクナン王女殿下のご成婚は白紙に戻り、ルクナン王女殿下が王妃となられることはなくなりました。つまり、そういうことですよ、春日さん」
セライの言葉を俄かには信じられない安孫。それでもゆっくりと、その視線がルクナンに向けられた。
「うっ……ううっ……」
ずっとずっと我慢していたルクナンが、ようやく安孫の胸に飛び込んだ。
「ソンソーン!!」
「るくなん王女~~!!」
二人ともに泣きじゃくるも、「ようございましたっ……!」と安孫が、しっかりとルクナンを抱き締める。
「貴方に辛い思いをさせてしまって、ごめんなさい」
「否。るくなん王女の幸せを願うが、
「ソンソン! ソンソン! ルーナは、ソンソンを一番愛していますわ! もう二度と、貴方以外の男性の妻になるなんて言いませんことよ!」
「はは。某も、るくなん王女以外の御姫様を、妻に迎えることなど致しませぬぞ!」
完全に二人の世界に浸る安孫とルクナンの、ハートが飛び交う光景に、「はいはい。ようございました、ようございました」と、冷めた様子で水影が締めくくる。
「おれらが地球に行っている間に、月でも色々あったみて~だな」
「どういう恋模様でしょうか?」
フォルダンとレイベスには、王女らの恋模様が分かっていない。
「——されど、王太子殿は、それで良いのですかな?」
イーガー王太子の気持ちを汲む朱鷺が訊ね、セライもその内心を探る。
「私はもとより、国王になれる器ではない。だが、国王と同じく、国民の幸せを願いたい。地球の帝である、貴殿のように」
イーガー王太子が、穏やかに朱鷺を見つめる。闘技場で見せた彼らの勇士と心意気に触れ、イーガー王太子は、自分の人生を悲観することをやめたのだ。
「許されるならば、私は王子の——国王の、後見人の役に就きたい。国王が立派に政治をなさるまで、私が
イーガー王太子がセライに目を向けた。宰相戦の決着が着くまで、残り僅か——。ハクレイの跡を継ぎ、イーガー王太子の期待に応えるため、最後の最後まで諦める訳にはいかなかった。
「——して、王子の名は決めておるのか?」
朱鷺に訊ねられ、カーヤがポケットから、一枚の紙きれを取り出した。そこに、麒麟と共に決めた名前が記されている。その名前をカーヤが見つめ、そこに込められている意味に、そっと微笑んだ。
「この子の名前は、エマ。円満と書いて、エマよ」
王子の名前が書かれている紙きれを、カーヤが皆に見せる。
「エマ! エマ王子ね!」
その名前に、ルーアンが飛び跳ねて喜ぶ。
「ほう! 円満と書いて、えま王子か。あちらが世に
「産まれてくる子が男の子でも女の子でも、どちらでも良いようにと。そして、月と地球の両方を円満に導く存在になれるようにと、私と麒麟の二人で決めたの」
その時のことを、カーヤは振り返った——。
『——誰もが円満となることを望んでいても、いつ命潰えるか分からぬ世の中だ。せめて己が身とした者の幸せくらい、願いたくもなろう。……そう、
『円満……。ヘイアンでは良いかもしれないけれど、月ではねえ……。えんまん、えんまん……えま! ねえ、円満と書いて、エマと読ませるのはどうかしら!』
『円満と書いて、えまか! えまであれば、月でもおかしくはないだろうし、男女どちらでもしっくりとくる。それに、なんだかすべて丸く収まりそうな名だろう? きっと月とちきう、どちらの世界も、円満に導いてくれると思うんだ。平和で穏やかで皆が笑っていて、この子が生きる二つの世界が、そんな風になることを願って、おれ達二人でそう名付けよう』
『ええ! 素敵な名前ね、エマ。エマ王子』
『男の子なのかい?』
『ええ。そう予感がするの。この子は男の子で、グレイスヒル王家にとって、第二の希望になるはずだわ』
『そうか。ならきっと、みんなから愛される子に育つね』
『ええ。きっと、きっとそうなるわ』
あの時の麒麟の笑顔が脳裏に浮かび、カーヤが恋しく思う。
「
「我ら、満宮様の御多幸を、心より祈願しておりまする」
水影と安孫が、産まれたばかりのエマに平伏し、口上した。
「おお! ヘイアン式の挨拶。なつかしいな~、ベス」
「そうですね。ああ、まだ日も経っていないというのに、もうヘイアンが恋しいなんて。私達、結構あちらの世界に馴染んでいたのですね」
フォルダンとレイベスが、冗談宜しく笑う。
「はあ~。ゆうちゃんに会いたいな~」
「なっ! ゆうは私のものです! 誰が貴殿に渡すものか!」
何気ないフォルダンの言葉に、水影らしくない独占欲が爆発した。それを、その場にいる全員が笑った。
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