第122話 鷲尾院討伐の詔
暖かい日差しの下、御所は
「あと少しで、ようやくこの子に会うことが出来るわ。楽しみね、麒麟」
臨月となり、カーヤが大きくなった腹を優しく
「ああ。この子に会うのが楽しみだ」
「私の悲願も、あと少しで叶うわ。貴方と生まれてくるこの子と一緒に、月へと帰るの」
穏やかに笑う麒麟。しかし、さまざまな問題に直面する今、手放しに喜んでなどいられない。目を瞑った麒麟は、意を決し、瞼を開けた。
「かあや、おれの話を聞いてほしい」
「麒麟? どうしたの?」
「この国は今、かつて帝だった男に乗っ取られかけている。本物の帝様が月におわすことを好機とみて、都に攻め
「えっ……? それじゃあ、私達は……」
「貴方達は、すぐに月へと帰るんだ。じきに本物の帝様——主上も月からお戻りになる。そうなれば、国を二分する
『——そなたは我が
どう生きるか——。その答えを、麒麟はずっと探していた。迷っていた。そして、もう迷わないと、覚悟を決めたのだ。
「かあや、おれは……」
その時、御所の門を打ち砕く音がした。爆発音の後、血気に逸る
「かあや姫は
鷲尾兵の狙いがカーヤとレイベス、フォルダンであると知り、急いで
「
「はいっ……!」
釣殿から、急いで秘密の裏門へと向かう。
「浄照様も一緒に!」
振り返った麒麟が、浄照を促す。
「なあに。クソガキの相手など、わし一人でかたが着く。そなたらは、
後ろ髪を引かれるも、麒麟は身重のカーヤと馬に乗り、三条家へと急いだ。
秘密の裏門の扉を開けたそこに、
「
様子がおかしいことに、麒麟はすぐに気が付いた。ごくりと息を呑む。
「やはり
「……っ、絶対に嫌です!」
「はあ。そうじゃった。
「なぜ貴方が鷲尾院に加担されるのですか、霊亀様! 主上は貴方を信じていらっしゃるのに! 貴方ほど、主上に心酔されていらっしゃる瑞獣はおりませぬでしょう!」
「うるさいのう、麒麟。口で言うて駄目ならば、痛い目に
天地陰陽の構えで札を取り出した満仲に、麒麟が「……あ、主上」と真横を見る。
「え? しゅじょ——」
「すみません、霊亀様! うそです! ほんっと、騙されやすいですねー!」
隙をついて馬で逃げていく麒麟とカーヤに、やれやれと満仲が溜息を吐いた。
「……ああ、逃げられてしもうたのう。
そう言って、麒麟が大袈裟に嘆く。その背後に、“怪僧”が立った。その姿を、満仲が忌ま忌ましく横目で見る。
「……まあ、行き先など、とうに見当がついておるがのう」
鷲尾兵の目を
「始まったか?」
「はい。御所にて、鷲尾兵の急襲を受けました」
「何という大胆な奴らよっ……」
顔を
「……もしもの時は、分かっていますね、フォル」
「誰に言ってんのよ、ベス。何があっても、カーヤ殿下は守りきる。絶対に月へと帰らせるっ……」
馬から降りたカーヤが、同じく地に立った麒麟に身を寄せる。
「絶対に貴方も月へと行くのよ。貴方がいない人生なんて、考えられないんだから」
ぶるぶると震え出したカーヤに、麒麟が、そっと微笑む。
「大丈夫だ、かあや。おれが付いているから。そんなに怖がらなくても大丈夫」
にっこりと笑った麒麟に、「ええ、そうね」と、カーヤも落ち着きを取り戻した。
「やはり絶世の美女の噂を聞きつけ、『美麗狩り』の対象としたか、鷲尾院めっ……」
憤る実泰に、「……霊亀様が、あちらの兵に混ざっておられました」と麒麟が告げた。
「満仲殿が?
それには一層、実泰も悔しがった。
「仲間割れなど、日常茶飯事でしょう? それよりも、今は一刻でも早く、月へと帰らなければなりません。セライ様と交信せねばならないな。モニターは……?」
「あ、しまった。御所だ……」
三条家から御所内にモニターを移したことを、すっかり忘れていた。
「すぐに取ってきます!」
そう言って、再び馬に乗ろうとした麒麟を制止する声——。
「探し物は、
その声の主は、先程まで対峙していた、不動院満仲。その手に、モニターを持っている。
「霊亀さまっ……! それをお返しください!」
「いやじゃ。返してほしくば、かあや姫を渡すのじゃ」
「だから、それは絶対に嫌だと言ったでしょう! 霊亀様の分からず屋!」
「なっ……! 主上の影となるべく指南してやったわしに向かい、どの口が申すか、麒麟!」
「満仲殿、周りをよくご覧あれ。分が悪いのは、
実泰の言葉に、満仲が黙る。見れば、確かに
「確かに、分が悪いのう。じゃが、
そう言って、満仲が式神召喚の札を取り出した。
「式神? どれだけの
「ええ。元処刑人と元暗殺者を舐めないでもらいたいですね、天才殿」
肉弾戦であっても、絶対の自信があるレイベスとフォルダンの二人が、ボキボキッと指を鳴らす。そこに、御所から駆け付けた浄照が姿を現した。満仲の手から、さっとモニターを掠め取る。
「……わしがいるのも、忘れずにな」
「浄照さまっ……!」
喜ぶ麒麟の顔に、ふっと浄照が笑う。
「ご無事で何よりでございます!」
「なに。クソガキとは、会えなかったでな。未だ勝負はついておらぬ」
それでも御所に攻め入った鷲尾兵をなぎ倒し、押し返した武勇は、未だ衰えていない。モニターを取り返されるも、満仲は愉快そうに笑った。
「……成程。此れは確かに、わしの分が悪いのう。真友の親父殿の拳骨は、痛みがなかなか引かぬでなぁ」
在りし日の過去、悪戯をした
「……助かったと思うでないぞ。必ずや院は、貴殿ら月の交換視察団を狩られるであろう」
そう言い残し、満仲が三条家を後にした。
「おやまぁ、何という捨て
戦闘態勢を解いたレイベスに、麒麟が首を振る。
「いや、あれは忠告。霊亀様は、寝返ってなど、いない」
そう確信した麒麟。浄照がモニターをレイベスに手渡した。
「これでセライ様と交信出来ますね。では、さっそく」
すぐに月に周波数を合わせるも、モニターに映る人影なし。
「え? セライ様は……?」
「そういえば、以前あちらと交信した折に、主上がせらい殿は、さいしょうせんとやらで、お忙しいとかなんとか、おっしゃられていましたが……」
「セライ様が宰相戦で忙しい? ああ、まさか……」
レイベスがフォルダンと見つめ合い、深く溜息を吐く。
「ったく。肝心な時に役に立たねー男だな。こりゃ、すぐには月に帰れねーな」
「そのせらい殿でなければ、月へと帰る術は得られぬのか?」
実泰に訊ねられ、レイベスが頷く。
「
「はあ。こりゃー、定期的にモニターに話しかけるしかねーな。頼むぜ、ベス。けど、こっちもこっちで動き出さねーとな」
フォルダンの言葉に、「そうじゃのう」と浄照が頷く。
「麒麟よ、覚悟を決める時が訪れたぞ。そなたが、真の帝となる時ぞ」
「なっ、その話は断ったはずですよ!」
「っふ。そうじゃのう。じゃが、
「挙兵……。おれが帝として……」
「
浄照が、麒麟の前で平伏した。それに続くように、腹を括った実泰が平伏した。レイベス、フォルダンも、同じように続く。
「私もそうすべきだと思うわ」
カーヤもまた、強い意志を持って、麒麟の背中を押す。麒麟が自分の掌に目を落とした。かつて浮浪児だった自分が、帝に対して言ったことを思い出した。
『——あなたのその手は、民を生かしもすれば、殺しもするものです』
あの時の言葉が今、自分の掌に落ちてきた。それを、ぐっと握る。
「……浄照様は、いつかこうなると、分かっていらっしゃったのですね」
「あの鷲尾院が、このまま大人しくしておるとは、思わなんだでな。じゃが、主上の我儘にも付き合いきれんかったでな。わしにとって都合の良い帝は、そなたよ、麒麟。共に、鷲尾院を討つ。『美麗狩り』などという胸糞を、
「私も三条家の家長として、父、
実泰が恭しく進言する。
「おれらも一緒に戦うぜ。武器一式なら、月から持ってきてるしな」
「あら、そうだったの?」
目を丸くさせたカーヤに、「異境の地では、どんな危険が待っているか、分からなかったもので」と、レイベスが紳士的に答える。
「地球より、ずっと進んだ月の技術があるんだ。絶対に負けねーよ! なんなら、秒でかたが着く。だから、帝サマは、カーヤ殿下と幸せになる道を選びなよ。とっとと戦を終わらせてさ、おれらと一緒に月に行こうぜ」
純粋な笑顔を向けたフォルダン。レイベスもうんと頷く。カーヤが麒麟の手を握り、自分の腹に、そっと押し当てた。
「私たちで、この子を守りましょう」
「かあや……」
腹の中の我が子から、胎動が伝わってきた。野垂れ死ぬだけの人生だと思っていたのに、いつの間にか、たくさんの愛する者達に囲まれていたことに、麒麟は改めて気づかされた。
大きく深呼吸し、そして、決意を固めた——。
急襲を受けた御所内にて、群臣らを前に、鷲尾院討伐の
「国家転覆を謀ろうとする鷲尾院及び
帝の宣戦布告に、『美麗狩り』にて大切な者らを失った群臣らは、一層血気に逸り、自らを鼓舞する雄たけびを上げた。
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