第90話 セライの覚悟
一方月では、
シュレムは、数多くの名士を輩出してきた名門家の出である。二十年以上月暈院の議員としてのキャリアを持ち、
セライは、弱冠二十二歳で宰相に立候補した中央官吏である。父に前宰相のハクレイを持ち、今や大罪人の息子として、国民から糾弾される声も少なからずある。それでもハクレイと対峙し、ルーアンを第二王女の地位に戻したこと。火の国の襲来で、確かなリーダーシップを図ったことなど、月暈院の有り方を変えようとする、将来有望な青年と見る者も多くいる。
「——ねえ、セライ。セライは宰相になったら、何をしたいのですか?」
庭園で紅茶を飲むスザリノに訊ねられ、「そうだな……」とセライが考える。脳裏に、父ハクレイの言葉が蘇ってきた。
『——セライ君、僕はこの国の皆を豊かにしたいんだ』
「……っ」
父の君付けが、今となっては最大の嫌悪感となって、セライを苦しめる。
「セライ? 大丈夫ですか?」
「……すまない、スウ。俺はまだよく分からないんだ。ただ、これ以上月暈院の奴らの好きにさせたくなくて、宰相に立候補したに過ぎない……」
頭を抱えるセライに、そっとスザリノが寄り添う。
「それでも貴方は立派ですわ。共に、国民の幸せを考えていきましょう」
「……ああ」
セライが席を立ち、仕事が残っているからと、中央管理棟へと戻っていく。一人廊下を歩くセライの脳裏に、幼い頃から見てきたハクレイの笑顔が蘇ってくる。『——セライ君!』と自分を呼ぶ顔は、父のそれにしか見えなかった。ずっと、ずっと、ハクレイが父でなければ良いと思ってきたくせに、突きつけられた現実に、今なお心の整理がつかない。
『——良かったね、セライ君。冷酷非道なハクレイの息子じゃなくて。だとしたら君は一体、誰の息子なんだろうね』
「……っ、そんなこと、俺に聞くなっ……」
セライが物心がついた時にはすでに、母の姿はなかった。一度、母についてハクレイに訊ねたことがあったが、『君が生まれてすぐに、亡くなったよ』とだけ返してきたその背中に、二度と母のことを訊ねることはしなかった。母については、ドベルトにも聞きづらく、だからこそ、ハクレイとの親子関係の有無をはっきりとさせるために、DNA鑑定を望んだのであった。
中央管理棟、王族特務課の自席に戻ったセライの下に、部下らが集まった。
「……課長、これを」
手渡された一枚の紙。官吏向けに公告として発せられたそれには、前宰相ハクレイの裁判が開始されることが記載されていた。動揺が走るも、「……そうか」とセライが受け止める。
「気を遣わせて、すまない。だが、この男は……」
そこまで口にして、自分の父ではない、とは続かなかった。息を呑み、「俺なら、大丈夫だ」と部下らに笑みを見せる。
「我々の仕事は、新国王即位の戴冠式の準備だ。ルクナン王女殿下の見合いが整えば、そこから怒涛の忙しさがやってくる。みな、覚悟しておくように」
そう言って、セライが席を立った。
「覚悟……。俺も、覚悟を決めないとな」
何に対しての覚悟なのか、セライ自身、気持ちがぐちゃぐちゃで分からなかった。喫煙室で煙草を吸うも、気持ちが落ち着くことはなかった。
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