第85話 13歳のセライとDNA鑑定結果

 十三歳のセライが、思い詰めた顔で、科学実験棟へと向かう。その手には一本の試験管が握られ、科学実験棟で主任研究員を務める、一人の赤髪の青年に手渡した。

「……これで、俺とあいつが本当に親子なのか、立証してほしい」

 ぐっと険阻けんそな表情で、セライが黒縁眼鏡に白衣姿の青年に依頼する。

「またかよ、坊ちゃん。お前さん達親子のDNA鑑定は、あいつから固く禁じられているのよ。だから何度来られようとも、ダメなものはダメ。抗議するなら、おとーさんに直接抗議しなさい」

「なっ……! そんなの、あんたが黙っていれば、あいつには分からないだろう! この髪の毛一本取ってくるのに、どれだけ手間がかかったと思ってるんだ!」

「ハイハイ、ごくろーさんです。じゃ、これは、俺から持ち主である、おとーさんに返しておくから」

「ふざけんなっ」

 青年から試験管を奪い返したセライが、「なんだよ、天才科学者のくせして、子供のお願いも聞いてくれないのかよっ! ドベルトのバーカ!」と、子供らしく暴れる。

「ハイハイ、何とでも言ってくれ。天才科学者は、子供の遊びに付き合っていられるほど、ヒマじゃないのよ。わかったら、さっさと出て行っておくれな」

 顕微鏡を覗き、自分の研究に戻ったドベルトに、セライがふてくされる。

「じゃあ分かったよ。DNA鑑定はしなくてもいいから、これだけ教えてくれ。あんたとあいつは昔からの相棒なんだろ? だったら、俺があいつの本当の子どもなのか、あんたなら分かるだろ?」

「……」

 セライの問いに沈黙したドベルトが、覗いていた顕微鏡から目を離した。その首には、ゴーグルが掛けられている。

「そんなことを知ってどうする? あいつと親子関係がないと分かれば、お前さんはそれで満足なのか?」

「え……」

 声色が変わったドベルトに、セライが言葉に詰まる。

「あいつはお前さんのことを、本当の息子だと言っている。それが真実ではないのか? 仮にDNA鑑定をして、親子関係にないと分かれば、その日から、お前さんはあいつの息子でなくなるのか? たとえそれが白昼の下に晒されようが、あいつはお前さんとの縁を切るつもりなど、微塵もないぞ」

「それはっ……」

「それに、お前さんは本当にいい身なりをしている。今日食うものに喘いだこともないだろう? その有難みを、もう少し胸に刻みなさい」

 しわ一つない、小綺麗な服装の自分を見ながら説教するドベルトに、「俺だって、自分が恵まれていることくらい、ちゃんと分かっているさ」と、セライが目を反らし、反論する。

「お前さんのおとーさん――ハクレイは、お前さんを一番愛している。どれだけその手を汚そうが、自分が守るべきものが何か、ちゃんと分かっている男だよ。そうじゃなきゃ、この天才科学者であるドベルトさんが、何十年と相棒を務めたりするものかね。もっと自分の父親を信じなさい。たとえあいつが今日誰かの命を奪ったとしても、そこには、必ず理由があるはずだ。まあ、お前さんからすれば、人でなしの息子と罵られるのが嫌なのだろうがな」

「……っ」

「誰かにまた、そう罵られたのか?」

「……っ、おまえの父親のせいで、愛する人を失ったと……。あいつが何を考えているかなんて、俺には分からない! けど、目の前で、あいつに殺された家族が泣くのを見るのは、もういやだっ……」

「セライ……」

 涙が堰を切って溢れたセライの頭を、立ち上がったドベルトがなでる。

「それは、お前さんにとって、とてもつらいことだな。だがきっと、ハクレイも、お前さんと同じように、辛い気持ちでいると思うぞ。俺にはあいつの気持ちが良く分かる。俺も自分が開発した銃で、多くの命を奪ってしまった、悪の科学者だからな……」

「ドベルト……」

 セライが涙を拭った。

「……ごめん。あなたの気持ちも考えないで、勝手なことを言ってしまった。DNA鑑定はもういいよ。あいつ……あの人との親子関係の有無を立証したところで、父さんの甘え癖が直るはずもないだろうし……」

「まだお前さんに甘えてくるのか? あの男は」

「うん。とくに月暈院つきがさいんの政治家を粛清した日に……」

「ああまあ、仕方ないだろうね。それは、仕方ない……」

 ドベルトが、自分に言い聞かせるように言う。その視線が、セライが持つ試験管に向けられた。

「……やっぱり、DNA鑑定、してやろうか?」

「え……?」

「ハクレイには内緒でな。いつかお前さんにも、真実を知る日が訪れるだろう。ならその前に、お前さんも、覚悟をしておかねばならないだろうからな」

「ドベルト?」

 先程とは真逆な態度に、セライは困惑するも、固唾を呑んだ。

「どんな結果になろうとも、しっかりと現実を受け止めろ。それが条件だ」

「……分かった。お願いします、ドベルト博士」

「っふ。急にしおらしくなって、可愛いやつだよ、お前さんは」

 セライから受け取った試験管を、ドベルトが、ぎゅっと握り締めた。

 それから十日後、ドベルトに呼び出されたセライに、DNA鑑定の結果が告げられた。

「——99%、お前さんとハクレイは、親子関係にある」

「……そうか。ありがとう、ドベルト博士」

 結果を真摯に受け止めた、十三歳のセライ。

「大丈夫か? セライ」

「うん。問題ない」

 ドベルトの前で目を瞑ったセライが、いくつもの時を過ぎ去り、投獄された父の前で、瞼を開けた――。

「わたくし達は、99%、親子関係にあるとの結果でした」

「ドベルトが行ったDNA鑑定の結果だね。でもごめんね、セライ君。あれは、虚偽の結果だよ」

「はい……? どういうことです?」

「君がドベルトにDNA鑑定を依頼したことを、僕は知っていたからね。だから当時、ドベルトに言ったんだ。『便宜を図るように』とね」

「便宜? 何の便宜を図ったと言うのです? ドベルト博士は——」

「僕と君に、親子関係はない。僕は君の父親じゃない。君は、冷酷非道な元宰相——ハクレイの息子じゃない、ということさ」

 はっきりとハクレイから伝えられ、セライが言葉に詰まる。

「……あなたはあの時、DNA鑑定の結果を、捻じ曲げたのですか?」

「そうだよ。あの当時は、君が離れて行ってしまうのが怖かったからね。結果を捻じ曲げ、ドベルトに便宜を図ってくれと、僕がお願いしたんだ。ごめんね、セライ君。そのせいで、君を長年苦しませてしまったね」

 ぐっと奥歯を噛み締め、セライが鉄格子を掴む。震える拳を、ハクレイが見つめる。

「僕の息子じゃないから、ずっと君付けしていたの、気付かなかったでしょ。良かったね、セライ君。冷酷非道なハクレイの息子じゃなくて。だとしたら君は一体、誰の息子なんだろうね」

「うるさいっ、黙れっ……」

 鉄格子に拳をぶつけたセライに、ハクレイが続ける。

「宰相戦、健闘を祈っているよ。君が大嫌いな僕を超える宰相になれたら良いね」

 どこまでもおちょくるようなハクレイを、セライが憎悪の目で見降ろす。

「どこまでも、どこまでも月暈院の政治家達は腐っている。お前も、シュレムも、他の奴らもっ……」

「そうだよ。政治家とは、そういうものさ」

 ふっとハクレイが笑う。そのまま、自分の手首をきつく締め上げる鎖に、そっと目を落とした。


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