第80話 隠岐の島

 御所ごしょの釣殿から月を見上げるカーヤの隣に、麒麟きりんが腰を落とす。

「近頃、元気がないようにお見受け致しますが、如何いかがされたのか?」

 麒麟が、そっとカーヤの顔を覗く。

「私のせいで、月と地球の交換視察が終わってしまうかもしれないと思うと、みんなに申し訳なくて……。それに、貴方の立場も危険にさらしてしまうかもしれないわ」

 十二単姿のカーヤが、釣殿から池の魚に目を落とす。その沈鬱とした横顔に、麒麟の手がカーヤの手にそっと触れた。帝としてではなく、麒麟として話す。

「かあや姫には、目的があったはず。ちきうの帝の子をその手に抱いて、月へと帰るんじゃなかったのか?」

 カーヤが麒麟に目を向ける。真摯に向き合うその表情に、思わず泣きそうになるのを堪える。

「おれは帝の影。だけど、本当の帝が帰って来られるまでは、公卿衆の策に落ちたりするものか。おれが死ねば、それ即ち、主上が世の終わりだからな」

 ずんと重たい責任を持つ麒麟。それでも強い信念を持って、自分の役目に邁進するその姿に、カーヤも勇気づけられる。沈鬱な表情はなくなり、麒麟の手を強く握った。その顔を月に向け、「もう少しだけ、地球にいてもいいかしら?」と訊ねる。

「勿論にございます、かあや姫。たとえ月より迎えが来ようが、ことごとく帝であるこの私が、追い払ってくれよう」

 帝として麒麟が言うのがおかしくて、カーヤが声を出して笑った。麒麟もまた笑い、カーヤの涙をそっと拭った。

 そんな仲睦まじい二人の様子を、浄照じょうしょうが遠くから見守る。近くには実泰さねやすにレイベス、フォルダンの姿もあって、カーヤの気持ちが穏やかなものへと戻っていくことに、三人とも喜んだ。 

 レイベスが月を見上げながら、故郷から持ってきた煙草を吸う。

「ほう? 煙を吸うのか。れは美味いのか?」

 興味を示した浄照に、「貴方様も吸ってみますか?」と、レイベスが煙草を一本差し出す。

「浄照様! 体に合わぬものなら、如何いかがなされます!」

 実泰が忠告するも、「頂くとしよう」と、浄照が煙草をもらい受ける。思いっきり煙を吸った浄照が、ゴホゴホと咳き込んだ。

「浄照様! 言わんこっちゃない」

「ううむ、老体には、合わぬのう」

 しょっぱい顔を浮かべる浄照に、「ふふ。結構サマになっていましたよ、浄照殿」と、平気な顔でレイベスが励ます。

「オレもタバコ嫌い。ほんっと、なんでこんなモンを美味しく思えんのか、訳わかんねーし」

 フォルダンが首を横に振って、苦々しい顔を浮かべた。

「実泰殿も吸われます?」

「いや、私はやめておこう」

 弟——水影みなかげがやせ我慢をしてでも煙草を吸ったことは、ここにいる全員知らない。浄照が見事な望月を見上げた。

の月に今、安孫あそんがおるのじゃな」

「我が弟、水影もおりまする」

 二人がしみじみと言う。

「月が世は、安穏たるものか?」

 浄照に訊ねられ、レイベスとフォルダンが顔を見合わせた。互いに笑い、穏やかな表情を浮かべる。

「きっと毎日毎晩、面白おかしく生きておられると思いますよ」

「地球に帰りたいと言ってこねー内は、伸び伸びと生きているさ」

 月出身の二人が言うのだから、きっとそうなのだろう――。だが実際、月は火の国の襲来を受け、地球からの交換視察団が死にかけていたことなど、知る由もない。

「ならば良い。……安孫、御前おまえがどこで生きていようが、我が自慢の嫡男であることに変わりない。存分に、主上が瑞獣ずいじゅうの務めを果たせ」

 目に涙を浮かべたように見えた浄照に、「泣きたい気分なのですか?」と意地悪くレイベスが訊く。

「いやなに。そなたの煙が目に染みただけじゃ」

 そこは太政大臣。決して他人に弱みなど見せないのだ。


 月の世に平穏な日々が戻った。王宮の庭園では、ルクナンとスザリノが安孫とセライと共に、ティータイムを楽しんでいる。水影は王立図書館で書物を読み漁り、朱鷺ときは相も変わらず、酒池肉林の地へと誘う天女の尻を追って、嫉妬したルーアンからビンタを食らった。

「なっ! 天女中てんじょちゅう、俺はやんごとなき公達きんだちぞ! 我が顔に傷をつけようならば、あちらが世では八逆が罪! 罰を受ける覚悟があるのだろうなぁ?」

「アンタの罰なんて、どうせくすぐりでしょ?」

 さっと身構え、脇腹を隠すルーアンに、朱鷺が「覚悟があるようだな」と、その唇がルーアンのそれに重なった。ぼっとルーアンの頬が紅潮する。

「あらあら」

 スザリノが「うふふ」とセライを見上げて、笑う。「ううん!」と咳払いするセライ。

「なっ、るくなん王女の前ですぞ!」

 さっとルクナンの目を覆う安孫。

「ルーナも立派なレディですわよ、ソンソン」と、ルクナンが安孫の頬に口づけした。

「へえええ? るくなんおうじょ、でんか……?」

「ほーう、ほうほう?」

 図書館からそのシーンを見た水影が、月のまじない本をババッと読み漁る。

「貴殿には、次なる呪いが必要にございまするなぁ?」

 沸々と怒りが湧き上がる水影。安孫に新たなる脅威が迫っていた。

「……我が罰、如何どうであった?」

 秀麗な顔で訊ねられ、うっとルーアンが言葉に詰まる。

「……ま、まあ、よかった、わよ……」 

 ごにょごにょと感想を述べるルーアンに、「なら、もう一度ぞ」と、朱鷺が再びルーアンの唇を盗む。二人のイチャイチャモードに、スザリノも物欲しそうな顔で、セライを見上げる。

「ねえ、セライ」

「だめです、殿下」

「んー! 課長の意地悪!」

「今は就業中ですから。ですが……仕事が終わったら、いくらでも付き合ってやる」

 耳元で囁かれ、スザリノもまた、真っ赤な顔で、「は、はい」と返事をした。

 

 平和な月で、安穏たる日々を過ごす、朱鷺、水影、安孫の交換視察団。遠く離れた地球のヘイアン――隠岐おきでは、海のさざ波が島に届く。そこに、一機の小型船舶が流れ着いた。ちょうど海岸を散歩していた一人の少年が、それを見つけ、中に乗っていた褐色肌の男の胸に、耳を寄せた。微かな心音を聞いた少年が、監視の男らを呼び、自分の屋敷にて介抱する。

 微かに意識を取り戻した褐色肌の男——火の国の指揮官。命からがら月から脱出し、秘密裏に地球に降り立っていた。

「……オ、マエ、ハ……?」

 枕元に座る一人の少年。左目が繃帯ほうたいで巻かれているも、その口元は、微かに微笑んでいるように見える。

「……ちんか? 朕は……この国が神。名は、わしの院じゃ」

「カ、ミ……」 

 今なお、火の国の神に恨みを抱く指揮官の男。救われた命に、鷲の院へと手が伸びる。縋るように伸びた手を、鷲の院が握った。

「カミ、ヨ……」

 男の目に涙が浮かぶ。

「そなた、の国の民ではないな? 何処いずこから参った? 名は何と申す?」

「……ナ、マエ……アル、テノ……」

「あるての? 成程、蝦夷えみしゆかりの者じゃな。道理で摩訶不思議な器に乗っておった訳じゃのう。どうじゃ、あるての。……朕と共に、の国をひっくり返さぬか?」

 鷲の院が監視の目を搔い潜り、アルテノの耳元で囁く。

「……カミ ガ ソレ ヲ ノゾム ノ デ アレバ」

 アルテノの目から涙が一筋、流れ落ちた。屋敷にも、波の音が届く。

 

 ザブーン、ザブーン——。

 

 波の音と共に、馬のひづめの音も遠くから聞こえ始めた。満仲みつなか率いる北面ほくめんの武士団——烏丸衆からすましゅうが、すぐ傍まで迫っていた。

   

 第二章「火の国の襲来」 終   第三章「月の王の戴冠」へと続く。


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