第79話 呪い返し

 夜も更け、『遣月けんげつ日記』をしたためていた水影みなかげが、不意に己の手に目を落とした。今はもう、そこにけがれなど見えない。“視えざる者”の身代わりとして生きてきた過去は消えない。それでも、今はこうして、前を向いて生きていくと決めている。朱鷺ときの言葉が蘇った。

『——我が瑞獣ずいじゅうがそなたらで良かったと思うてな。真、地獄の底より見つけし、最高の仲間ぞ。そなたらと月に来られて良かった』

「最高の仲間……。私の方こそ、最高の主、最高の友と出会えて幸せにございます。我らを仲間と呼んでくださるのですな、主上しゅじょう

 そっと主や友に想いを寄せ、『火の国の襲来』という題目の日記を書き終えた。

「さて、残るはの呪いのみ。初めこそ、安孫あそん殿への嫌がらせではあったが……」

 さかのぼること、冒頭——。王立図書館でクシャミをした、水影。

『——何方どなたかが私の噂でもしておられるのか?』

 硝子がらす張りの窓の外を見ると、楽しそうに笑う安孫が、第四王女のルクナンと紅茶を嗜んでいる。

『よもやあの巨漢が私の噂を……? 許すまじ、春日安孫。末代まで呪い続けてしんぜよう』

 完全なるとばっちりで、安孫は、水影が満仲みつなかから受けた呪いの犠牲者となったである。

『——その余裕、何時いつまで持つか見物じゃのう、三条の。いつの日か、貴殿が一等愛する者が、その意に反する言葉を紡ぐよう、今しがた呪いを掛けた。月が世でも、貴殿の思惑通りに事が進まぬことを、異郷の地より願うておるでな』

「安孫殿を強く我が一等愛する者として想うてみたは良いが、肝心な折に彼奴きゃつの本音を聞けぬのは、つまらぬでな。我が呪い、貴殿にお返ししよう、満仲殿」

 そう言うと、水影は両手にてつつを作り、その空洞に向け、ふっと一度息を吐いた。簡単ではあるが、これが呪い返しであると知っているのは、陰陽寮に盗み入り、書物を読み漁った文官だからこそである。すべては天才陰陽師・不動院満仲に対抗するため——。それが、三条水影という公達きんだちなのだ。

「貴殿は何故なにゆえ、主上に月への随従を許されなんだか、その理由を分かっておられぬ。貴殿こそが、主上の留守居るすいにふさわしい瑞獣ずいじゅうであろう?」

 水影がしたり顔を浮かべている満仲が、ずらりと並ぶ公卿衆らの前で、口元を扇で隠し、うっすらと笑った。

「して、都に戻られし、天才陰陽師——不動院満仲殿は、何故なにゆえ我らと共にすることを望まれるのか? 貴殿は主上が瑞獣——霊亀れいき殿であろう?」

 公卿衆の筆頭——九条是枝が、黒と白の狩衣姿の満仲の腹を探る。

「左様。わしは主上が瑞獣——霊亀。未来が吉兆が占えてこそ、我が能力は発揮されると言うに、主上ときたら、あろうことか、わしに諸国全般の妖退治を命じられた。真、我が主ながら、先見のめいのなさに、ほとほと嫌気がさしたのでありますよ」

 大袈裟に満仲が悲観ぶる。その時、不意に掌に痛みが走った。見れば……。

「っふ。流石は我が宿敵、三条の。我が強力な呪いを返してくるとは……よもや死んだか? ……いな。左様なタマでもあらぬな、貴殿は。ならば……」

「満仲殿? 何をごちゃごちゃと申されておる? 真、貴殿は、我らが烏丸衆からすましゅうの一員となる覚悟がお有りか?」

 苛立ちを見せる是枝に、「ええええ、ありますとも」と満仲が扇を畳み、はっきりと言う。

「烏丸衆——禁中に掬う闇の一団。左様なうすら寒い暗躍衆でこそ、わしの力も発揮されよう。わしは、公達は嫌いじゃ。されど、我が主——主上がことは、もっと嫌いゆえ、この天才陰陽師——不動院満仲が、烏丸衆が悲願を叶える手助けをしてしんぜよう」

 自信気に言い放つ満仲が、左腕に刻まれた霊亀の刺青を掴む。

「まずは、隠岐おきに流されし、鷲尾わしお院が御身をお救いたてまつるが、最優先と存ずるが、如何どうじゃ?」

 満仲の提案に、「貴殿がおれば、百人力よ」と是枝が不敵に笑う。満仲もまた、ばしっと開いた扇で口元を隠し、にっと笑った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る