第76話 神が縋るもの

 炎上する月の森。火の国の民ら――女子供が雷鳥に追い詰められ、今まさに、雷撃を浴びようとしている。ぐっと目を瞑った彼らを守るように、水影みなかげが立った。雷鳥と対峙する。

「ソコ ヲ ドク ノダ チキュウ ノ タミ ヨ」

「水影っ……!」

「水影殿!」

 パチパチと火が迫る中、追い付いた朱鷺とき安孫あそんが、対峙する両者の言動に、ぐっと堪える。

「貴殿は火の国を滅ぼし、火の国の民らを追い詰め、根絶やすことに執念を抱いておられる。左様な貴殿が救世主を名乗り、火の国から月を守らんとするも、脅威はちきうへと移ったのみ。ちきうでも、火の国の民らを根絶やさんと、あちらが世を、火の海に変えるおつもりか?」

「ソウ セネバ ワ ガ イカリ ハ オサマラズ ソナタ ラ ガ ツキ ト チキュウ ノ リョウホウ ヲ マモリタイ ノ デ アレバ コノ バ ハ ダマッテ コノ モノ ラ ガ ツイエル ノヲ ミテ オク ガ ヨイ」

「貴殿は神を名乗りし者であろう? 神としての慈悲は、持ち併せてはおらぬと?」

「ソノ ヨウナ モノ ハ ヒノクニ ト トモ ニ ヤケ オチタ」

「……ワタシ ハ カミサマ ガ ハカイシン ニ ナッテ カナシイ」

 その時、水影の背後から、少女の声が上がった。はっと我に返ったように、雷鳥が一点を凝視する。振り返った水影が、発言した少女のすすけた頬に手を寄せ、「もあろう」と優しく微笑んだ。すっと朱鷺と安孫が雷鳥の前に立つ。

「貴殿は火の国の神であらせられた御仁ごじん。であらば、如何様いかような理由があれど、国を破壊し、民を傷つけて良いはずがございませぬ。我が民の願いを叶えんとするが、貴殿の存在意義なのでございましょう? 貴殿が民は、月でもちきうでもありませぬぞ。星を追われし火の国の民こそが、貴殿が民。貴殿を神と崇め、信仰し、縋る者がおることを、今一度思い出しあれ」

「貴殿には、傷つける力もあれば、癒す力もありまする。大凡おおよそ、人知を超えた存在であらせられる貴殿は、正しく神でありましょう。神は見守る者。無慈悲であってはなりませぬ。そこに助けを求める者がおれば、手を差し伸べるが、神」

 安孫の言葉に、屈んでいた水影が、その場から日の光を浴びる姿を見上げる。かつて差し伸べられた手が、今もそこにはある。ふっと笑った水影が、立ち上がった。

「折角互いに意が通ずるのです。互いの主張を、しかとお聞きあれ。対話こそが、貴殿ら火の国が理想郷の礎となりましょうぞ」

「変人の言う通りよ!」

 俄かにルーアンが言い放つ。

天女中てんじょちゅう、そなた何故なにゆえ……?」

「私だけじゃないわよ。王妃や他の王女、官吏、衛兵に、メイドたちもいるわよ!」

 見れば、消火活動にあたっている官吏や、救護班に加勢する衛兵ら――エルヴァの姿もある。セライと共に、隠れていた月の民にそっと手を差し伸べるスザリノや、指示を飛ばすミーナ王妃、ルクナンの姿もあった。シリアが率いるメイドらも、傷ついた火の国の民を労わる。エルヴァから事情を聞いた王族が、皆、月と地球の一大事を救おうと、朱鷺らの加勢に駆け付けたのである。

「月を破壊し、乗っ取ろうとした火星人のことは、そりゃあ憎いわよ。でもね、傷ついている人がそこにいるのなら、私達月の国民は、相手が誰であろうと助けるわ。だって、ここにいる全員が、悪い人達ではないでしょう?」

 はっきりとしたルーアンの言葉に、雷鳥が救世主の姿となる。火の国の民らと同じ、褐色の肌。一人ではつまらないからと、自分によく似せて作った人型こそ、火の国の民。顕現けんげんし、民と共に生きることを選んだのは自分自身なのに、いつからか、そのすべてを恨むようになった。星が汚染されていったのも、住みにくくなったのも、すべての民が悪いわけではなかった。神として、正しい方向へと民を導くことが出来なかった自分にこそ、責任はあったのだ。結局火の国を破壊し、そこから民を追い出したのは、神本人なのである。

「我が民が傷つき、涙する姿に、貴殿は耐えられるのか? 左様な神の国に、真の安穏は訪れようか? 貴殿は火の国が神。であらば民を引き連れ、二度にたび、火の国にて始めからやり直されよ。これだけの文明を持つ貴殿ら火の国であらば、それも叶いましょうぞ」

 朱鷺に説かれ、救世主が火の国の民らと向き合う。先程の少女の前に立ち、「スマナカッタ」と陳謝する。

「ワタシタチ モ ハンセイ シタ ノ モウ イチド ミンナ デ ヤリ ナオソウ カミサマ モ イッショ ニ」

 フードを外した少女が、にっこりと笑って、言った。

「フタタビ ワレ ガ カミ ト ナッテ モ ヨイ ノ カ?」

「モチロン! ミンナ カミサマ ノ コト ダイスキ ヨ ダカラ ミンナ デ アノ ホシ ニ カエロウ!」

 少女の後ろには、火の国の民らが集っている。怪我を負って手当を受けた者も多いが、皆救世主に笑顔を向けている。その手当をした月の民らもいた。ようやく救世主は、本当の自分を取り戻した。怒りに我を忘れ、世界を滅ぼしても、自分のことを神だと慕い、縋る手がそこにはあった。差し伸べられた少女の手に、救世主の手が伸びていく。本来、救うべき者が、救われようとした、その時——。

 轟音と共に、一つの光線が救世主の体を貫いた。

「なっ……! かみ殿っ……」

 朱鷺が倒れこんだ救世主の体を支える。血がどんどん溢れ出す。光線を放ったのは、大戦艦に一人で乗る、火の国の指揮官。その声が、大音声で森中に響く。

「コンド コソ カミ ハ シンダ! モウ イナイ! ワタシ コソ ガ アラタナ カミ!」 

「ヤメテ! カミサマ ハ モト ノ ヤサシイ カミサマ ニ モドッタ! ダカラ モウ ニゲナクテ イイ! タタカウ ヒツヨウ モ ナイ!」

 火の国の少女が、懸命に指揮官を説得する。

「ウルサイ! ワタシ ノ ジャマ ヲ スル ノ ナラ オマエタチ モ ツキ モ チキュウ モ ネタヤシ ニ スル マデ! ソシテ ダレ モ イナクナッタ ウチュウ デ ワタシ コソ ガ アラタナ ソウゾウシュ ト ナル ノ ダ!」 

 気が狂ったように、指揮官が所構わず攻撃を始めた。

「まずいですよ! これでは地球の前に、月が崩壊してしまう! あの男を止めなければ!」

 焦るセライが、その場にいる全員に避難を促す。目の前の王族の危機に、セライがスザリノや、朱鷺の傍から離れようとしないルーアンを、無理やりにでも連れて逃げる。逃げ惑う人々の中、意識が朦朧とする救世主の体を、朱鷺が、ぎゅっと握り締めた。水影と安孫もその場に留まり、救世主の体に触れる。

かみ殿、の者を止めるため、我らに力をお授けくだされ。必ずや、貴殿に代わり、火の国の民らをお救い致しまする」

 朱鷺の言葉に、うっすらと救世主が目を開いた。

「貴殿は、人の姿と雷鳥の姿を使い分けておられる。我らとて、瑞獣ずいじゅうと呼ばれし、神獣を象徴とする務めを持つ者にございますれば、願わくは、我らをその姿へと、変化へんげさせてくだされ」

「なっ、水影殿? 正気にございまするか? 我らが瑞獣に変化? 左様な摩訶不思議がっ……」

 焦る安孫に、ふっと救世主が笑った。三人の腰には、それぞれを模した瑞獣が刻まれた刀が差してある。救世主がかざした手から黄金の覇気が放出された直後、三人の体が、見る見るうちに瑞獣へと変わっていく。

「——ねえ、あれって!」

 ルーアンが振り返った先に、巨大な鶏——頭は鶏、頷は燕、くびは蛇、背は亀、尾は魚で、色は黒、白、黄、赤、青の五色に分かれた、美しい鳳凰ほうおうが羽ばたいている。その隣に白煙と共に現れたのは、赤毛の九尾の狐。そして、天を駆けるようにして現れた、巨大な白龍。

「セライ、あれは一体……」

 スザリノに訊ねられ、セライはごくりと息を呑んだ。おのずと答えは分かっていた。

「きれいな龍……朱鷺、アンタなのね」

 ルーアンにも、その正体が判っていた。

「ええ。きっとまた、地球人がいいところを持っていくのでしょう」

 かなわないな、とセライが安堵の息を吐く。彼らの邪魔にならないよう、一層避難の声に力が加わった。



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