第71話 月と火星の交渉

 月の森に不時着した大戦艦が爆発を繰り返し、炎上する。その中から、九死に一生を得た火の国の指揮官が、何とか死地から生還した。どうにか態勢を立て直そうと、男は負傷した腕を押さえながら、周りを見渡した。俄かに周囲を、銃を構えた男達に取り囲まれた。ここまでか……、と男が諦めかけたところで、一人の足音が近づいてきた。

「……これだけの爆発に巻き込まれてもなお、生きているとは……火星人の体は強靭なものなのかね?」

 暗がりの中、炎上する大戦艦を、嘲笑を浮かべながら見上げるシュレム。男を取り囲む衛兵の一人に、エルヴァの姿もある。ぐっと緊張感が走る中、エルヴァは火星人の男に銃を向ける。男は、観念したように両手を挙げた。

「ほう? それは、降伏の証かね? しかし私は、君達火星人に降伏を求めている訳ではないのだよ。我々は、君達火星人と、交渉がしたいのだ」

「……コウショウ?」

 男がおもむろに口を開いた。周囲を見渡せば、生き残りの同胞らが、月の衛兵に銃を向けられている。

「君達火星の文明は、我が月よりもずっと先を行くものだ。それは覆すことが出来ない事実として、我々は受け入れるつもりでいる。事実、君達が本気で総攻撃を仕掛けてきたならば、我々月は、あっという間に灰塵はいじんと帰すだろう。……で、あれば、今ここで君達全員を、処刑してしまう方が賢明なのかもしれない」

 銃口が重く火の国の民らに向けられる。シュレムが片手を挙げた。彼の合図一つで、一斉攻撃が始まることは明白だった。慄く火の国の民らを、ふっとシュレムが嘲笑う。

「だが我々月の民は、そこまで凶暴性のある民族ではないのだよ。たとえ異星人であろうとも、互いの文化交流のために、国交を再開させる程の、受容性というものがある。事実、大昔に決別し、大戦を繰り返してきた星の民……君達をそこまで追い詰めた、あの地球人との交流を再開させた程だ」

 火の国の指揮官が、ぐっとシュレムを睨みつけている。

「君達火星人が、この月を欲していることは分かっている。そのために月に攻撃を仕掛けたことも、あの異様な雷鳥に星を追われたことも、我々は分かっているのだよ。この月の環境は、地球のそれとよく似ている。我々月の民は、元は地球の民だった。一つの種族が二つに分かれ、月と地球にそれぞれの桃源郷を作ったのだよ。地球は月よりずっと大きい。ならば、君達が理想とする桃源郷は、地球にあるのではないかな?」

「……チキュウ ニ ホコサキ ヲ ムケル ナラバ ワレワレ ノ イノチ ハ トラナイ ト?」

「侵略するならば、月ではなく、兄弟星である地球にしたまえ。昔、地球の帝と恋に落ちた王妃がいた。その王妃曰く、地球には、様々な星の民が住んでいるとのことだ。きっと君達が隠れ住むには、うってつけの星なのだろう。そこで徐々に子孫をつなぎ、地球を火星化させていけばいい。これはお願いでもなければ、提案でもない。我々月と、君達火星の交渉だ。今ここで君達の命を奪わないことを条件に、月からは手を引いてもらおう。代わりに地球ならば、君達が何をしようが構わない。むしろ、滅ぼしてしまっても構わないと、私個人的には思っているがね」

 シュレムの交渉条件に、エルヴァは、ぐっと銃を強く握った。一衛兵として、衛士えじ大臣であるシュレムの命令は絶対だ。しかし、友である朱鷺ときらの母星である地球が危機にさらされようとしている今、シュレムに対する反感が湧き上がってくる。 

 火の国の指揮官が、ゆっくりと両手を下した。

「……ワカッタ オマエ ノ イウ トオリ ニ シヨウ ワレワレ ハ ツキ カラ テヲ ヒク センカン ガ ウゴキ シダイ チキュウ ヘト ムカオウ」

「交渉成立。これにて月と火星の戦は終結した。君達が地球へと出立するまでは、ここにいる衛兵達が、そのすべてを見張っている。ゆめゆめ、交渉決裂などということがないよう、気を付けたまえ」

 シュレムが数人の衛兵を引き連れ、その場を後にする。その後ろ姿を睨みつける指揮官の男。最早、月への未練は一切なかった。一刻でも早く地球へと向かうため、同胞らに大戦艦の修理を命じる――。

 

 王宮へと帰る道すがら、シュレムがふと思い出したかのように笑った。月暈院つきがさいんの議員らの前で言い放った、セライの言葉が蘇る。

『——事は一刻を争います。我が月の存亡をかけて、火星との戦いにおいて、必ずや勝利せねばなりません』

「……勝利、ねえ。君が思い描いた勝利とやらでは、一体何千もの国民が命を失うことになるのかな? 本当の勝利とは、無血条件にて、平和的に解決することを言うのだよ。それを分かっていない君に、宰相など務まるはずがない。いや、最初から宰相になど、なれるはずがないのだよ」

 独り言の中でも、終始シュレムは上機嫌であった。


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