第69話 水影が嫌いな満仲と、満仲が嫌いな水影
地球のヘイアンでは、陰陽師・
「先日は危ないところをお助けいただき、真にありがとうございました。おかげさまで、かあや姫に対する五人の貴公子らからの執心もなくなり、平穏無事に……」
「平穏無事なはずもなかろう。
不機嫌に告げる満仲に、「そうでしょうね……」と麒麟が大きく溜息を吐く。
「それはそうと、
「じゃから、わしを霊亀と呼ぶなと言うておるじゃろ。わしはなぁ、麒麟。主上に対し、腹を立てておるのじゃぞ」
ぷんっと満仲が立腹する姿に、「まあ、そうでしょうね」と麒麟が目を反らし、「はは」と空笑いする。
「……ん?
「ああ、貴殿は知らぬも当然か。貴殿は、
「なっ……確かにあの時分は屋敷に籠っておったが、今はこうして立ち直っておるゆえ!」
実泰が忌まわしい過去を払拭したことを、強く主張する。相変わらず一言多いんだから……、と麒麟が心中で不憫がる。
「三条実泰殿、わしはのう、貴殿の弟も嫌いじゃ」
「ななっ……!
いきり立つ実泰に、「ぷん」と満仲がそっぽを向く。その態度にどこか憎めないものを感じ、冷静さを取り戻すため一呼吸置いた実泰が、改まった口調で言う。
「貴殿が主上に、月が視察団入りを断られたことは存じておった。あの時分、確かに私は屋敷に籠ってばかりおったが、
実泰の真摯な物言いに、満仲が唇を尖らせ、「……仕方ないのう」と正面を向く。
「であらば、まずは主上とわしの出会いから話すとするかのう。あれは、わしが初めて
唐突に始まった昔語りに、「ん? ううん……」と、実泰が長くなりそうな気配を察知し、さっと背筋を伸ばす。
「あれはそう、主上が帝に即位されて間もない時分……」
満仲は今でも鮮明に残っている記憶を、言葉として紡いでいった――。
(——はあ、実に面倒じゃのう。
そう満仲が懐の札に手を伸ばした瞬間——。
「何たるつまらぬ評定ぞ!」
突然、
「しゅ、
慌てて臣下が平伏し、その場に留まることを促すも、「斯様につまらぬ評定など、せぬ方がましぞ!」と、ずんずんと公卿衆の間を通り過ぎていく。
「公卿らとのうすら寒い評定よりも、我が民の暮らしをこの
「御意」
庭に控えていた水影と安孫が、朱鷺の後に続く。その一連の朱鷺の姿に、わあああ! と目を輝かせ、感銘を受けた満仲。
(斯様な帝がおわすと言うのか……! 年もわしと近いうえ、従者の二人も優秀な公達。
すっかり浮足立った満仲は、従者の内の一人、春日安孫の屋敷にて、その帰りを待ち伏せした。
(——はあ。今日も主上の戯れには疲れさせられた。まさか浮浪児を御自らの影となさるとは……)と安孫が心内で思っているなど露にも知らず、満仲が帰って来た安孫を物陰から驚かす。
「わっ!」
「なななっ……! 何だ、まんちゅうか。
石灯籠の影から姿を現した満仲に、安孫が落ち着きを取り戻す。
「すまぬすまぬ。なぁに、
「頼み?」
「ああ。わしも、主上の従者が一人に加えて欲しくてのう?」
「は……?」
安孫が怪訝な表情で満仲を見る。
「何じゃ、噂によると、御前と三条のは、主上の
満仲が首を傾げ、可愛らしさ全開にお願いをする。その勝手な主張に引いた安孫が、「耽美かは分からぬが、
「なっ……! わしが斯様に可愛ゆく頼んでおるというに、御前は真の友——
ぷん! と立腹した表情で頬を膨らませた満仲に、「真友であることに変わりはないが」と安孫が大きく溜息を吐く。
「わしと御前は幼き頃からの真友ぞ! 其れこそ三条のよりも早う出会うたはずじゃ! だのに近頃ときたら、御前は三条のとばかりつるんでからに! わしより三条のの方が
「某とて、好きで水影殿とつるんでおるわけではないわ!」
「……
じと~っと疑いの眼を見せる満仲に、安孫がさらに大きな溜息を吐く。
「
「安孫のすけ……!」
満仲の瞳が輝いた。安孫の体に抱き着き、
「御前を三条のに渡したりするものかっ……」と独占欲を爆発させる。
「某は誰のものにもならぬ。されど、主上が従者の件は、某から主上に
「安孫のすけ……! 其れでこそ、我が真友じゃ!」
それから暫く後、その願いが通じたのか、安孫から推挙を受けた朱鷺によって、満仲が
「……そなたが
「は。左様にございまする」
「ふむ。十五という若さで天才という肩書に謙遜せぬとは、余程己が力量に自信があってのことかのう?」
「左様にございまする。わし……ではなく、わたくしめに陰陽道にて勝てる者など、
「ほう? ならば、今此の場にて、そなたが中で最強の式神を召喚してみせよ」
御簾の奥からする帝の言葉に、その腕を試されていると感じた満仲は、ここぞとばかりに、
「では我が最強の式神——
満仲が自信気に札を取り出し、玄武を召喚する術式と詠唱を見せる。ぼんっと白煙が上がり、帝の御前に巨大な玄武が召喚された。
「
「……ふむ。亀が最強か……」
御簾の奥から白けた声が聞こえた。むっとした満仲が、「であらば、
「
「であらば!」
ぽんっと
「虎、のう……」
「であらばっ……!」
四神の最後の一体、
「如何にございましょう、主上。最強の式神——四神の勢ぞろいにございまする」
「ふむ。それがそなたの最強か?」
「左様! わしの最強にございまする!」
「……ふっ、ならば満仲、都の
「なっ……
何となく意味が理解でき、ごくりと満仲が息を呑む。
「本来四方を守る四神が今此の場にて勢ぞろいしたのであろう? 四神の守りなき今、最強の
「そ、それはっ……! 我が術式にて、その最強の妖を返り討ちにしてみせまする」
ふてぶてしく答える満仲に、御簾の奥から笑い声が上がった。
「しゅ、しゅじょう……?」
「最強の式神がおれば、最強の妖もおる。我が都を守る陰陽師は、最強であってもらわねば困るでな。であらば、自らを天才と称するそなたは、その都を守る最強の陰陽師にふさわしい。そして、左様な最強陰陽師は、我が
「あ、ありがたき、光栄にございまする!」
満仲が嬉々として、瑞獣——霊亀の命を受けた。その姿に、廊下で控えていた安孫が、そっと笑った。
「よう申した! であらば
「御意!……ん? 指南?」
満仲が平伏し、困惑したところで、さっと御簾が開かれた。そこに鎮座しているべき帝……朱鷺の姿はなく、代わりに水影が意味深く笑って、鎮座していた。
「ななっ! 貴殿はっ……!」
「ははは! 満仲、一杯食わされたのう!」
背後から本物の帝の声がして、さっと振り返った満仲の瞳に、純粋に笑う
「水影は声真似も
「しゅ、しゅじょ~! あんまりにございまするぅ!」
「なぁに。これも優秀な公達を、我が瑞獣とするか見極めるためよ。互いの意が叶い、良かったではないか」
「ううっ、口惜しいが格好良いゆえ何にも言えぬっ」
「では満仲殿、此れより後は、私と共に麒麟の指南に入っていただきまする。帝の影となるべく必要な教育は、たーんとございますでなぁ」
腹黒く笑う水影に一杯食わされ、ぎりぎりと満仲が悔しがる。
「おのれ三条水影……我が真友を取らんとした挙句、面倒事まで押し付けてくれようとはっ……」
後悔しても時すでに遅し。しっかりと
その後、満仲は水影と共に、三条家で預かる麒麟に礼儀作法や律令制度の仕組み、国史などの指南にあたった。時折様子を見に来た安孫に、「武芸は
四人の瑞獣(水影、安孫、麒麟、満仲)が朱鷺の前に平伏し、月との交換視察団の詳細を聞かされた。
「——おお! 月が世とは、何たる耽美な世界にございましょう! 当然、この天才陰陽師、不動院満仲も主上が瑞獣として、どこまでも随従致す所存にございまする」
一際月への同行を切望した満仲に対し、安孫は終始浮かない顔をしていた。水影は文官としての好奇心を駆りたたされ、麒麟は自分が帝の影として地球に残ることを分かっていた。
「よう申した、満仲。されど、月へは俺を含め、残り二枠しか行けぬ取り決めとなっておるでなぁ。麒麟、そなたは我が影として、この地に残ってくれるな?」
「無論にございます」
あれから立派に成長した麒麟が、
「であらば、そなたら三人の内の一人が、この地に残ることとなるが……」
三人が沈黙する。絶対月に行きたい満仲と、父の思惑通りに生きねばならないことに思い悩む安孫、そして、文官としての血が騒ぐ水影。三者三様の主張が始まった。
「わしは天才陰陽師ぞ。何が起こるか分からぬ異境の地に
「お待ちくだされ、満仲殿。満仲殿は都一の天才陰陽師。それを
「なっ……!
「……ほう? 我が兄を愚弄するおつもりか?」
「事実を申したまでのことじゃ」
サピンとした空気の中、霊亀様は一言多いな……、と麒麟が明後日の方向を見て、このピリついた空気から逃れたいと願う。満仲と水影が互いに牽制し、我こそが月への随従任されたしと主張する中、安孫だけが、
「であらば、
「
満仲と水影が二人同時に否定し、「う、ううむ……」と項垂れた。平穏無事な生活を送りたいだけなのだが……、と落ち込む安孫に、「気をしっかり持たれてくださいませ! 九尾様!」と麒麟が健気に励ます。
「武勇の誉れ高き安孫殿の随従は、決定事項。残り一枠は、主上が一等の信頼を置かれている、私しかおりませぬ」
改まった口調で、水影が言った。相対する満仲が、ふっと笑う。
「信頼じゃと? 笑わせるでない。知しかあらぬ鳳凰に、竜であらせられる主上の行く末は、導けぬじゃろう? 真の信頼とは、その行く末に何が起こらんとするか分かる者にこそ、与えられるものぞ。であらば、我が霊亀こそ、主上の理想の国造りに相応しい瑞獣。未来が吉兆を占えてこそ、主上もわしの言葉を一等信じよう」
勝ち誇った顔で、満仲が言った。水影は表情を崩さず、やがて、ふっと笑った。
「未来が吉兆を占えてこその霊亀——。陰陽道に精通する貴殿にこそ、その瑞獣の名は
「なっ……にを……」
明らかに
「もう良い、水影。満仲も落ち着け。安孫の随従は決定事項ぞ。残り一枠については、追って沙汰致す。参るぞ、安孫、麒麟」
「御意」
朱鷺が立ち上がり、安孫と麒麟と共に、その場を後にする。残された二人は平伏から直ると、互いに目を合わせることもなく、「……わしは貴殿が嫌いじゃ、三条の」と満仲が呟いた。
「同感にございますれば、
水影もまた、満仲にだけ聞こえるよう、呟いた。
数日の後、満仲が朱鷺に
「不動院満仲、そなたに……」
帝の
「そなたに……諸国全般の妖退治の任を命ずる」
「……は?」
思いがけない主の言葉に、パチパチと満仲が瞬きを繰り返す。
「はて? 妖退治、とな? 月への随従では……?」
「諸国全般の妖退治ぞ。全国津々浦々、我が世からすべての妖を滅して参れ。それが終わるまで、都に戻って参るな。ほれ、
そう言って、朱鷺がひらひらと一枚の紙を満仲の前に差し出した。麒麟が不憫そうに満仲を見る。
「い、いないないなっ……! 妖退治など、他の陰陽師に仰せつかればよろしゅうございますればっ……! わたくしめは、主上と共に月へと参る所存にございまするぅ!」
「駄々をこねるでない、満仲。
「ぐっ……! 左様に、三条のが宜しいのか?」
「水影の何たるは無関係ぞ。それに我が意に、狂いはないと思うておる。霊亀よ、我が世の安穏がため、諸国全般に未だ隠れておる
いつになく真面目な主の詔を受け取った満仲が、そこに書かれていた帝の意に、思わず眉間を突かれた。
「主上……?」
「我が理想の都造りがためぞ。分かるな、満仲」
「うっ……」
秀麗な面持ちの朱鷺に
「それでも、それでもわしは納得出来ませぬううう!」
最後まで駄々をこねた満仲だったが、結局月への随従が許されることはなかった。とぼとぼと帰路に着く満仲の前に、素知らぬ顔で
「……
いつもと変わらず無表情の水影に、「……わしは貴殿が嫌いじゃ」と、満仲が嫌味たっぷりに言う。
「貴殿はそればかりですなぁ?」
「その余裕、
満仲が忌々しく告げた。
「——とまぁ、
ぷんっ、と鼻息荒く満仲が腹を立てている姿に、「主上のお気持ちは、至極当然かと……」と、麒麟が朱鷺の気持ちを代弁する。
「否っ! 主上はただ、わしより三条のをお選びあそばれただけじゃ!」
幾度となくぷんぷんする満仲に、目の据わった実泰が問いただす。
「貴殿は我が弟に、呪いを掛けたのか?」
「ふんっ! 自業自得じゃ。
「
げんなりと麒麟が言った。実泰がうーんと眉間にしわを寄せ、記憶をたどる。
「されど、我が弟は、幼き頃より安孫殿に対し、並々ならぬ想いを抱いておるとは
「……ん?」
訳が分からぬといった様子で、満仲が首を傾げる。
「じゃから、貴殿の呪いは、安孫殿をも翻弄し、其の心を傷つけるものではないか申しておるのじゃ。貴殿の呪いは、巡り巡うて、安孫殿の災いとなろうぞ」
「あ……」
ようやく合点がいったのか、「そうじゃな、そうじゃのう」と能天気に満仲が笑う。一層清々しく、満仲が昼間の月に向かって、言った。
「許せ、安孫のすけ」
不思議と、満仲と麒麟には、天から「まんちゅううう!」と言う安孫の叫び声が聞こえた気がした。ただ一人、実泰だけが、呪いを掛けられた水影に対し、そっと心の中で、その身を案じた。
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