第66話 月暈院の政治家

 国の有事に、月暈院つきがさいんの議員らが緊急招集された。宰相さいしょうによる恐怖政治なき今、月暈院は、かつての腐敗政治に戻りつつあった。

「——事は一刻を争います。我が月の存亡をかけて、火星との戦いにおいて、必ずや勝利せねばなりません」

 セライが招集された月暈院の議員らに向け、講堂の中で声高らかに言う。

「勝利といっても、君だって火星の戦力は見ただろう? とてもじゃないが、まともにやりあって、勝てる相手ではないと思うがね」

 衛兵を指揮する衛士えじ大臣が、半ばなげやりに意見を述べる。

「勝利ではなく、共存の道を探るべきだろう? 我々の特権を残しつつ、火星との和睦条件を受け入れる方が、格段に被害は小さくて済む」

「シュレム大臣、あなたはそれでも、この国の戦力を束ねる衛士大臣なのですか!」

「ふん。何も知らない若造が、知った風な口を利かないでもらいたいね」

「なっ……」

 セライの隣に控えていた安孫あそんがいきり立つも、「良いのです、春日さん」とセライが制止する。

「君は王族特務課の課長に過ぎないだろう? 本来であれば、一官吏である君に我々月暈院の議員を招集する権利などないはずだ。それなのに、いつまで宰相の息子気取りでいるつもりかね?」

 セライが背を向けていたのは、空白の席。本来いるはずの、宰相の席。

「そうだ。お前がハクレイの息子でさえなければ、我々がこうして若造の言うことに従う義理などない。まだハクレイが生きていることで、お前の特権が残されていることに、いい加減気づいたらどうなんだ?」

 他の議員らからも嘲笑が上がり、ぐっとセライが耐える。議員らの言う通りだった。シュレムが席を立ち、扉へと向かっていく。それに他の議員らも続いた。

「どこへ行くのです! まだ協議は終わっておりませんよ!」

 背中に聞くセライの言葉に、シュレムがおもむろに振り返る。

「ハクレイの裁判が始まれば、極刑を免れないは必至。そうなった時、君はまだ、王族特務課の課長でいられるかな?」

 ふっとシュレムが笑い、講堂を後にした。月暈院の議員は誰一人として、セライの言葉に耳を傾けず、己の保身しか考えていない。安孫にも、そのことがひしひしと伝わってきた。宰相席に振り返り、「くそっ……」とセライが拳で怒りをぶつける。

「せらい殿……」

「ここまで……ここまで月の政治家達が腐りきっていたとはっ……」

 セライが頭を抱え、ぐっと目頭を隠す。安孫が、そっとセライの背中をさすった。

「おろうございまするな、せらい殿」

 安孫の言葉に、涙がせきを切りそうになるのを必死に堪える。セライが落ち着くまで、安孫はその場から離れないでいた。

 

 セライは落ち着きを取り戻すと、自室へと安孫を招いた。かつて一度、セライが反乱者からの攻撃を受けた時に見舞に来て以来、二度目の訪問だった。セライが椅子に掛けていた、白いガウンを手に取る。

「それは、はくれい殿の、お召し物にございまするな」

「……自分でも、なぜ捨てないでいるのか、分からないのです」

「左様か……」

 安孫がセライのベッドに腰かけ、すっかりくたびれたそれを見つめる。

「良う手入れがされておる、年季の入ったお召し物にございまするな」

「手入れ? このガウンを洗っているところなど、見たことがないですよ。白だというのに、あの男ときたら、平気でこれを着たまま色の濃い食事をしていたのですから。何度も注意したのですが、息子の忠告も聞かずに、ずっとこれを着たままで……」

 セライの脳裏に、過去の記憶が蘇る。まだ前国王が健在であった宰相時代のハクレイに、『いい加減洗濯に出してください!』と、無理やりガウンをひっぺがえそうとするも、『まだ汚れていないから大丈夫だよ!』と、必死に抵抗するハクレイ。その言葉通り、ガウンに汚れや食べこぼしの跡は見られない。

 ぎゅっとガウンを握り締めた。

何時如何いついかなる時も、そのお召し物を羽織っていらっしゃったのですな。年季の入った物には魂が宿ると、それがしの友も申しておりました」

「三条さんが?」

「あ、いな水影みなかげ殿のことではなく……。きっとそのお召し物には、貴殿の御父上の想いが込められておるゆえ、捨てようと思うても、捨てられぬのでございましょう」

「父の想い……」

『——セライ君、僕はこの国の皆を豊かにしたいんだ』

 かつての父の言葉が聞こえた。その理想と手段は極端であったものの、その想いは、極悪人だと言われるものとは、程遠いように思えた。

「……父は、腐敗しきっていた月暈院の政治家らを粛清し、この国の民すべての利益を第一に考えていました」

「左様か……」

 安孫の脳裏にも、父・道久との記憶が蘇る。

『——小松しょうまつ、わしはあの日輪が如く、この国を一等照らしてみせようぞ!』

 夢に見た幼いあの時分。弓当て勝負が決し、父に軍配が上がるも駄々をこねる小松に、己の理想を語った父。

『お前は日輪となるわしの息子ぞ。ゆえに、日の本一強く、勇敢で、知恵の働く、光り輝く男となれ。わしがこの国で、一等自慢出来る息子にな』

「父上……某は、父上が自慢出来る息子となれたでありましょうや?」

 月に交換視察として来ている間に、秘密裏に帝を亡き者とする――。それこそが父の期待するところであろうが、今はもう、そんなつもりなど毛頭ない。ならば、父の期待に応えられない自分は、父の自慢の息子になれないのではないか。そうなれば、春日家嫡男としての居場所など、地球にはないのでないか。そんな思いから、安孫は自分の胸を掴んだ。

「……春日さん、わたくしは、この国の宰相になろうと思います」

「は?」

 唐突な宣言に、安孫はセライを見上げた。悲痛な思いなどなく、まっすぐにガウンを見つめている。

「せらい殿が宰相に? ……うむ、宜しいのではないですかな」

「あのような腐った政治家達に、月の行く末など託せません。どれだけ父が極悪人として語り継がれていこうが、わたくしは、この月に住むすべての国民の利益のため、必ずや火星との戦に勝ってみせます!」

「——よう申された。流石は我が月友つきとも天晴あっぱれな心意気にございまするぞ」

 そこに現れた、朱鷺ときと水影。セライが涼しい表情で訊ねる。

「父に会いに行かれたのでしょう? あの男は、元気そうでしたか?」

「相も変わらず、食えない御仁ごじんにございました」

 水影が無表情に言う。

「……されど、真を見抜くまなこは、健在かと」

「そうですか。わたくしも早い段階で、あの男と面会せねばならなくなりました。ですが今は、火星との戦の最中。こちらに集中せねばなりません」

「左様。さて、次なる火の国の襲来、それは何時いつになるやら」

 朱鷺の言葉に呼応するように、遠くから轟音が鳴り響いてきた。

「おお! 今時分とは、何とも我らに都合の良い筋書きよのう」

 主の真意を見抜き、水影が周囲を警戒する。

「救世主殿が真、月が民を救うてくださるか、此処ここは見物とゆこう!」

 四人は夜の刻限となった外に出ると、上空に集まる無数の大戦艦を見上げた。その目前に、救世主——雷鳥が羽ばたき、大戦艦と対峙している。

「さあ、我らをお救いくだされ、救世主殿?」


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