第63話 五人の貴公子

 宮中では群臣ぐんしんが招集され、紫宸殿ししんでんにて菊見きくみの宴が開催されている。実泰さねやす含む公達や群臣だけでなく、女官らも宴に参加し、御簾みすの奥では影なる帝——麒麟きりんの姿もあった。

「——いやぁ、実に見事な菊じゃのう」

 太政大臣、春日道久——出家し、浄照じょうしょうを名乗る男の姿もある。御簾の近くに腰かけ、その隣には、次兄以下息子らの姿もあった。

「父上、それがしが酒を注ぎまする」

「いや、某がっ……」

 酒を取り合う兄弟に、「よさぬか、みっともない」と、浄照がうんざりと言った。空を仰げば、まだ昼の刻限だというのに、白い月がうっすらと見えている。

「……安孫あそん

 そっと目を細めた。今そこに、嫡男がる――そう自分に言い聞かせ、ぐいっと酒を飲みほした。

 殿上人てんじょうびと——五人の貴公子らの姿もあり、ちらちらと御簾の隣に座るカーヤに目配せを送るも、つんとそっぽを向かれ、その愛らしさに、ますますの恋慕を抱く。それは独占欲となり、貴公子の一人、中納言・石下麻呂いそげまろが俄かに席を立ち、御簾の前に鎮座した。

「……如何いかがした、中納言」

 御簾の奥から帝——麒麟が訊ねる。

「いやなに、菊よりも、かあや姫を愛でとうございまして」

 本来であれば、帝の前でこのような狼藉ろうぜきは許されない。しかし、今御簾に座っているのは、偽物の帝。いくら臣下や民を欺こうが、ただの浮浪児上がり相手に、不敬になるはずもないという腹だ。そのことは、御簾に座る麒麟もまた、分かっていた。

「ならば、我も」

「いや我こそが、かあや姫を一等愛でよう」

 やいややいやと他の貴公子らも集まり、五人の貴公子が御簾の前に鎮座した。

「何たる狼藉よ。殿上人ともあろう者らが、臣下に面目めんぼくが立たぬと思わぬのか?」

 帝の言葉に、宴がしんと静まり返る。「ふん」と浄照が鼻で笑うも、それは麒麟に対してではなく、紫宸殿にて不敬を働く貴公子らに向けてのものだった。浄照はカーヤの取り合いになど興味はないものの、帝として、真摯に民と臣下を欺き続ける麒麟には、ほんの少しばかりの情が芽生えていた。

もあらず。真に面目が立たぬは、主上しゅじょうの方にございましょう?」

 貴公子の一人、大納言・小判御行こばんのみゆきが嘲笑を浮かべて、言った。

「左様。今この場にて、臣下に対し、面目が立たぬのは、そなたの方じゃ」

 右大臣・矢部御主人やべのみうしが続く。車無皇子くるまなしのみこがせせら笑いを浮かべた。

「卑しい浮浪児のくせして、何を帝のふりをしておるのじゃ、汚らわしいのう」

「なんですってっ……」

 いきり立つカーヤに、「大事ない」と麒麟が制止する。

けがれじゃ。おまえのすべてが、かあや姫のみにあらず、時宮ときのみや……我が兄すらも汚しておる。そこはおまえが鎮座すべき場所ではない。即刻その御簾より出て参れ。我らは皆、おまえに……おまえに嫉妬しておるのじゃあああ!」

 怒りに任せて石切皇子いしきりのみこすだれを開けた。そこに鎮座していた麒麟。その膝の上には、モニターが置かれている。そうしてそこに、不機嫌に映る朱鷺ときの姿があった。

「なっ……」

「久しいのう、鷹宮たかのみや。否、今は石切皇子であったか」

「あ、あにうえっ……」

 石切皇子の狼狽激しく、遠縁にあたる車無皇子以下四人の貴公子らも、モニターに映る帝の御前に、さっと平伏した。

「我が弟ながら、何たる物言いよ。兄は哀しいぞ」

 御簾が開かれた時から、紫宸殿にいるすべての群臣、女官らは平伏し、誰一人として顔を上げない。帝の顔を直視するなど、そのような不敬が許されるはずもない。朱鷺の声が御簾の中からするだけで、そこに本物の帝が鎮座していると疑わない。当然、浄照も腹の中ではすべて分かっていて、平伏したままでいる。

此処ここる帝は、真の帝ぞ。誰が穢れなるものか」

 朱鷺の言葉に、そっと麒麟が微笑んだ。

「まことに……申し訳、ございませぬ……」

 石切皇子がぐうっと瞼を閉じ、平伏する。

「時に、報告によらば、そなたら五人、月の交換視察団であられるかあや王女に対し、並々ならぬ執心を抱いておると聞く。真か?」

 朱鷺の問い立てに、ぐっと喉の奥を鳴らすだけで、誰一人答えない。

「まこと、まことですよ、帝サマ」

 そこに颯爽と現れ、平伏し、答えた、狩衣かりぎぬ姿のフォルダン。その隣にレイベスも平伏し、「それはもう、毎日毎日、結婚の申込が絶たないのです、帝様」と嘆く。朱鷺の眉間が動いた。

「左様か。左様にかあや王女に惚れておるのであらば、此処ここは一つ、勝負事で決しては如何どうだ?」

「勝負事……?」

 石切皇子が顔を上げ、モニターに映る朱鷺に顔を傾げる。

「時にふぉるだん殿、月が世には、それはそれは大層高価な宝があると聞く。我らもその宝を探しておるが、如何どうやら、かつて月が天女がちきうに降り立った際、その宝をそちらが世に隠したとのことらしい。真に口惜しいが、月が世の宝は今、ちきうにある。ともなれば、その宝を一等先に見つけし者に、かあや王女を妻に迎える権利を与えてやってはどうかのう。如何いかが思われます、かあや王女」

 かつての羽衣伝説を逆手にとって、朱鷺が提案する。

「ええ。それならば宜しくてよ。月の宝を一番先に見つけた殿方に、私は嫁ぎましょう」

 俄かにそう宣言したカーヤに、五人の貴公子らがざわめく。

「かあや姫……」

 強気な物言いのカーヤに、麒麟の瞳が愁いを帯びる。

「健闘せよ」

 朱鷺が不敵に笑った。それを最後に映像が途切れ、月との交信は終わった。

 五人の貴公子らが互いに見つめ合った後、我先にと紫宸殿から走り去っていく。その日を境に、五人の貴公子らは何の情報もないまま、この世のどこかにあるという、月の宝を探す旅に出た。


「——いやぁ、こんなに上手くいくとは思わなかったぜ~」

 三条家の屋敷で、フォルダンが愉快そうに寝転がった。

「いやぁ、本物の帝様が協力してくださって良かった」

 レイベスも腰を落とし、満悦した顔で干菓子を口に運ぶ。

「されど、ほんに上手くいくのかのう? 月が宝の話など、出鱈目でたらめじゃろう?」

 実泰が五人の貴公子らの行く末を案じるも、どこか愉悦が収まらない。

「月の宝のことは、我々もよく知らないのですがね。まあ、大丈夫でしょう。あれだけプライドの高い公達きんだちらなのですから、きっと見つけ出すまで帰ってきませんよ。もしかしたら今頃、大陸に向かっている船の上かもしれませんね」

 レイベスの言葉通り、大納言・小判御行こばんのみゆきは大陸へ渡るため、荒れ狂う船上にいた。

「それぞれ何を持って帰ってくるのか見物だわ。まあ、すべて月の宝ではないと、突っぱねてやるけれど」

 カーヤも面白おかしく言った。これで麒麟との平穏な日々が戻ってくる――。そう確信したのも束の間、数日絶たずして、五人の貴公子らが各々に月の宝を携えて、カーヤの前に鎮座した。簾を開けた御簾で、麒麟も固唾を吞んで見守っている。

「まろが持ち帰りし月が世の宝——つばめの子安貝こやすがいにございまする」   

 中納言・石下麻呂いそげまろが、頭に包帯を巻いた姿で言う。

いなれこそが月が宝——大陸より持ち帰りし、竜の首の玉にございます」

 大納言・小判御行こばんのみゆきが言う。

否否いないな火鼠ひねずみ皮衣かわごろもこそ、真の月が世の宝よ」

 右大臣・矢部御主人やべのみうしが自信をもって告げる。

否否否いないないな蓬莱ほうらいの玉の枝に勝る月が世の宝などあらぬ」 

 車無皇子くるまなしのみこがその枝を手に取り、揺らす。リンリンと玉から明らかな鈴の音が出た。

「——いな。我の仏の石の鉢こそが、天女が隠したという月が世の宝」

 石切皇子が、その鉢をカーヤの前に差し出した。どれもこれも数日の間に見つけられる物のはずもなく、すべて職人が作った偽物だった。

「ささ、この中に真の月が宝があるはずじゃ。どれが真か、かあや姫ならお判りにございましょう? 我らが五人の中からお選びくだされ」

 五人の貴公子らの執念がこれ程のものだったとは思わず、フォルダンにレイベス、実泰も大きく溜息を吐いた。

「わしの蓬莱の玉の枝こそ真の月が宝じゃ」

「いいや、火鼠の皮衣じゃ!」

「竜の玉よ!」

「かあや姫と結婚するはわしじゃ!」

「否、わしこそがかあや姫の夫にふさわしい!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ出し、言い争う貴公子らに、その身を案じる麒麟の瞳が、カーヤに向く。その拳がブルブルと震えていることに気が付いた。

「かあや姫?」

「……っとにっ……」

「殿下……?」

「ほんとうにうざったいたらないわっ! 何よ、こんなものっ! 全部偽物じゃないっ!」

 カーヤがことごとく貴公子らが持参した宝を壊していく。カーヤの乱心に、「落ち着いてくださいませ、カーヤ殿下!」と、レイベスが必死に王女を押さえる。

「うるさいわレイベス! もう我慢ならないわ! 私は麒麟以外と結婚するつもりなんてないのよ! 貴方達の妻になるなんて、真っ平ごめんだわ! ……もう良いわ。レイベス、フォルダン、この者達を即刻亡き者にして!」

「なっ、かあや姫!」

 流石に実泰もまずいと思い、従者の二人にやめるよう言うも、

「かしこまりました。王女殿下のご命令ならば」

「身の程知らずに、天罰を、ね」

 レイベスとフォルダンの表情が、狂気へと変わっていく。

「なっ、何たる無礼じゃっ! やはり月が民、不浄の輩よっ……! もう良い、我が妻とならぬのであらば、今此の場にて、叩き斬ってくれるわ!」

 石切皇子が興奮気味に口走り、太刀を抜いた。それに続くように、他の貴公子らも戦闘態勢に入る。

「ヒスってんじゃねーよ。オレら月の民から見ても、アンタら地球の民は、不浄の輩だぜ?」

 一触即発、地球と月の友好関係もこれまでか。そう麒麟が諦めかけた瞬間——。

「——おやおや、れは一大事じゃのう?」

 そこに現れた人物に、「あなたさまは……」と麒麟の目が見開く。

何方どなた此方こなたも仲良うしなされ。人同士が争うておっては、あやかしに笑われてしまいまするぞ?」

 五人の貴公子の後ろから、天地陰陽てんちおんみょうの構えで現れた人物。白と赤の狩衣姿で、腰まで伸びる長髪を揺らしている。

「貴殿は……諸国全般にて、妖退治の最中では……?」

 呆然とする実泰に聞かれ、「ああ、妖退治」と男が無表情に口にする。

「左様なモノ、この天才陰陽師、不動院満仲ふどういんみつなかの手に掛かれば、一年で国中すべての妖を従えさせるなど、造作もないっ!」

 自信に満ち溢れた満仲。「誰だてめー。あっち側の人間か?」と、臨戦態勢のフォルダンに聞かれ、「あっち、とな?」と、満仲が両者の間で立ち止まった。

「わしは月が民のことは良う知らん。されど、公達らに味方するつもりもない。わしは、わしはっ……」

 怒りから、満仲の肩がブルブルと震える。

「あの、霊亀れいき様、主上しゅじょうは何も霊亀様を――」

「わしを霊亀と呼ぶでない、麒麟! わしは、わしはっ……主上に月の随従ずいじゅうを許されなんだ瑞獣ずいじゅうぞおおお!」

 怒り大爆発——。その後、陰陽師の札を乱発し、小さな爆発を繰り返し行った満仲によって、五人の貴公子らは、命からがら逃げ去っていった。


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