第62話 レイベスとフォルダンの過去

「あああああ!」

 地球のヘイアンの都。月の視察団の身を預かる三条家の屋敷にて、カーヤの喚き声が上がった。

「もう、何なのよ、あいつら! 結婚ならちゃんと断ったじゃない!」

 度重なる結婚の申込に、カーヤの怒りが爆発した。不機嫌な主に、レイベスとフォルダンの二人もどうしたものかと、ヘイアンの男らの諦めの悪さには、最早お手上げだった。

ればかりは、仕方あるまいよ。今や、かあや姫は都中で噂になる程の、絶世の美女。不定期に行っておる、市井しせいでの炊き出し……正直、あれで姫の美しさが平民にも伝わってしもうたでな。かあや姫に熱を上げるは、皇族や公達きんだちのみにあらずよ」

 実泰さねやすが腕を組み、状況を分析する。名門貴族、三条家の跡取りではあるが、その佇まいは、武人のそれであった。

「けど、カーヤ殿下には帝サンがいるんだし、いい加減どーにかならねーの、実ちゃん」

 フォルダンが砕けた言葉で、実泰に知恵を借りる。

うさなぁ……。殊更ことさらかあや姫に御執心なのは、石切皇子いしきりのみこ車無皇子くるまなしのみこ、右大臣・矢部御主人やべのみうし、大納言・小伴御行こばんのみゆき、中納言・石下麻呂いそげまろの五人の貴公子。どれも高貴な公達きんだちゆえ、そう簡単に姫を諦めはしないであろうのう」

 実泰が、カーヤが受け取った、五人の公達からの恋文を並べた。

「高貴な殿方のことなど、私の知ったことではないわ!」

「カーヤ殿下が月からの交換視察団であることは百も承知でしょうに、公達の独占欲には、参りましたね」

 レイベスがその手に持つ扇で、ぐさっ、ぐさっと五人の公達からの恋文をへし折っていく。礼儀正しく、朗らかな表情であっても、主であるカーヤの恋路を邪魔する者は許さない。

「れい殿、この中には皇家の公達よりの文もあるゆえ、親の仇が如くへし折るのは御止おやめあれ」

「そうだぞ、べス。お前は見かけによらず狂乱なのを忘れんなよ。オレがいないと、今にも公達らを殺しに行きそうな顔しやがって」

 実泰とフォルダンに制止され、レイベスは「分かっていますよ」と、笑ってその手を止めた。

「私達は月の交換視察団。初めこそ、ハクレイに追放されたカーヤ王女殿下の護衛ではありましたが、今では純粋に、お互いの世界の文化交流のために遣わされた者としての役目を担っている身です。いくら月の世界の処刑人だった私でも、月と地球の友好関係を壊すことなどしませんよ」

「ほう? れい殿は左様な立場であったのか。意外ぞ」

「よく言われます。けど、本当に殺しが得意なのは君の方ですよね、フォル」

「んー? まあ、否定はしねーな」

 フォルダンが、ふっと鼻で笑って、折られた恋文の一つを手に取った。

「だん殿は、月が世では、如何様いかような立場であったのじゃ?」

 実泰に訊ねられ、「んー?」とフォルダンが口角を上げた。

「オレ? オレはね、アサシンだったのよ」

「あさしん、とな?」

「そ。月暈院つきがさいんの腐った政治家達から依頼を受けて、邪魔者を秘密裏に抹殺してきたアサシン――こっちの言葉で言うなら、暗殺者、ね」

「暗殺……」

 実泰の胸にかげりが出た。脳裏に幼い日の水影——相槌丸あいつちまるが過る。

「実泰殿? どうされたのです?」

「実ちゃん?」

「ああ、いや……。だん殿もまた、意外だと思うてのう。皆各々、背負ってきた苦しみがあるのじゃな……」

 どこか憐みの瞳で見つめてくる実泰に、「まあ、今はもう、足を洗ったけどね」と、フォルダンとレイベスの表情が明るんだ。

「そうよ。もう貴方達は処刑人でも暗殺者でもなく、私の従者なのだから、しっかりと主の望みを叶えなさい」

 高飛車なカーヤの物言いに、思わず実泰は面喰った。だがすぐに「くくっ」と笑い、「成程、この気丈さがまた堪らぬのであろうのう」と、公達らがカーヤに執心する気持ちが分かった。 

「されど、の五人の貴公子よりの申し出、断るのも一苦労じゃのう。何せ、五人共が殿上人てんじょうびと御簾みすの奥に鎮座する帝が影なる者——麒麟きりんであると存じておられるゆえな」

「殿下が偽物の帝にご執心されようが、関係ないということですね」

「左様。れが真の帝の寵姫であらば、斯様かような大胆不敵な恋文など送れるはずもない。さて、如何いかにし、の想いを断ち切らせるか」

 思考をめぐらす実泰の隣で、恋文を手にしていたフォルダンが思いついた。俄かに笑いだしたフォルダンに、「良い手でも思いついたのかしら?」と、カーヤが意味深く笑って訊ねる。

「なに? 真か、だん殿」

「死人が出ない作戦でお願いしますよ」

 レイベスが心にもない忠告をしたところで、「わーってるよ」と、フォルダンが恋文を投げ捨てた。

「ま、オレらがどこから来たのか、もう一度思い出させてやろうじゃねーの。きっと後世にも語り継がれる、面白い宴になるぞ」

 季節は秋。宮中では、紫宸殿ししんでんでの菊見きくみの宴の準備が、着々と進められていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る