第55話 恋文

 ぷうっと頬を膨らまし、やきもきするルーアン。その地位が第二王女に戻ったというのに、彼女は今、王宮内の厨房の椅子に腰かけている。

「そこにいられては邪魔なのですがねぇ、王女様」

 食器を洗うメイド長シリア。相手が王女であろうが、正しいことをはっきりという、王宮最古参の老婆である。

「だって誰かに話を聞いてほしいんだもの! アイツったらひどいのよ? 相変わらず私のことメイド扱いするし、今日だって昼食会の最中に乳なしとか言うし。まあ確かに、スザリノみたいに豊満じゃないけど、もう少し恋人らしい扱いをしてほしいっていうか、私という存在がありながら、すーぐ他の女の子を口説いたりするし。もう、悩みが尽きないったらないわ」

「王女のお悩みなど、メイドに聞かせてどうするのです。他をあたりなさい」

 王女に対する言動にうやうやしさはなく、ただただ自分の仕事に邁進するシリアに、「他をあたれと言われてもね」と、ルーアンが溜息を漏らす。

「スザリノはセライに乳なしなんて言われないだろうし、セライもスザリノ以外の女性に興味はないし。二世は純粋なルクナンの騎士ナイトで、変人に相談しても本人に筒抜けだろうし。はあ……こういう時、カーヤ姉さまだったら、どうするのかしらね」

 そう口にしたルーアンは、地球にいる姉・カーヤのことを思った。先日、地球との交信の際に一緒に映っていた青年——名を麒麟きりんと言った。カーヤもまた、影なる帝との逢瀬を楽しんでいるように思えた。

「カーヤ姉さまの恋人、優しそうな地球人ひとだったわね。きっとカーヤ姉さまに、悩みなんてないんだわ。羨ましい」

 頬杖をつきながら、ルーアンは自分が一番深い悩みを持っていると確信した。


 一方地球——ヘイアンの都、御所殿ごしょでんにて。

「——もう! これで一体何度目かしら! うざったいったらないわ!」

 月よりの交換視察団、カーヤが喚き散らす。同じく交換視察団である従者のレイベス、フォルダンが、そっと苦笑いを浮かべた。

「まあまあ殿下、落ち着きください。殿下のお美しさの前では、男はみな居ても立っても居られないのですよ」

 そう言ってレイベスが宥めるが、カーヤはそっぽを向いて、「知らないわ、そんなこと!」と頬を膨らませている。

「しかしまあ、よくも飽きずに毎日毎日ラブレターが書けますね。どれどれ? 今宵のラブレターは……なんて書いてあるか、まったく読めねーな!」

 ミミズのような仮名文字で送られてきた歌。フォルダンには、それが書かれている短冊を上下逆さまにしても、その意味がさっぱり理解できない。

「月と地球、言葉は通じても、書いてある文字は読めない。こればかりは、文明の隔たりですね」

 レイベスがお手上げと言わんばかりに、肩をすくめる。

「まったく、私には愛する帝さまがいると言うのに。公達の空気の読めなさは、万死に値するわ? あちらの世界であったならば、即刻処刑しているところよ」

 首をはねる仕草をとったカーヤに、「おお怖や怖や」と、レイベスが扇で口元を隠し、公家衆の真似事をする。その衣装はヘイアン装束であり、この一年ですっかり所作も身についていた。そこに姿を現した、一人の青年。三人が恭しくその男を迎え入れた。

「おや、今宵も恋文談義に花を咲かせておいでかな?」

 男——麒麟が顔を上げた三人に、優しく笑みを浮かべた。

「帝様は私が他の殿方から求婚されているというのに、随分余裕がお有りなのですわね」

 カーヤが、ぷくうっと頬を膨らませた。意地悪く感じられるも、それが可愛らしい意地悪だということを、麒麟は当然分かっている。

「いやなに、かあや姫が、私以外の殿方を選ぶとも思うておりませぬでなぁ」

「まあ! なんという自信でしょう。これでも私、いつかは月へと帰る身ですわよ? 私を永遠にこの地に留め置かんとするご覚悟が、貴方様にはお有りなのかしら?」

「ええ、無論にございますよ。私は帝。誰を敵に回そうが、貴方をこの地から帰すつもりなどございませぬ。……否。帰りたいとすら思わせない。今宵も貴方と共に過ごしたい。宜しいですかな? かあや姫」

「まあっ……! 帝様ったら、大胆ですわ!」

 ウウンとカーヤが従者の二人に対し、咳払いした。

「ハイハイ、わかっておりますよー」

 そう言って、平然とフォルダンが立ち上がった。レイベスが忠告する。

「殿下、あまりご無理はなさらずに。帝様、カーヤ殿下はお風邪を召しやすいので、十分お気遣いくださいますように」

「心得ております」

 麒麟が胸に手を寄せ、レイベスとフォルダンを見送った。ようやく二人きりとなると、麒麟が唐突に笑いだした。

「もう、笑い過ぎですわよ! そんなに可笑しくて?」

 そう言うカーヤも、必死に笑いを堪えている。

「すみません、朱鷺様の——本物の帝様の真似事をした自分が可笑しくてっ……。嫌な気はしなかったかい?」

「まさか! でも、私はそちらの貴方の方が大好きですわ。ねえ麒麟、私、貴方のことを本当に愛しているの。たとえ貴方が影なる存在であっても、私は貴方こそ、王たるものであると信じているのよ?」

 カーヤが、しおらしく麒麟に寄り添った。

「おれも貴方を愛している。貴方を誰にも渡したりするものか」

 そう言って、麒麟はカーヤに送られた恋文を、くしゃりと握り潰した。ヘイアンの都では半月の夜、麒麟とカーヤは、朝まで優しく抱き締めあった。


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