第31話 初恋の天女

 艶やかな天女が描かれた宣伝ポスターの下、朱鷺ときは物陰に隠れて、「むふふ」と、王宮内を行き交う女官やメイドらの容姿を注視していた。酒池肉林に於いて、己が傍にはべらす天女の選定の最中で、羽衣装束姿の女人を一人一人、『可・不可・保留』にて振り分けていく。

「ふむふむ、成程。やはり女官でも高官の方が、身なりに対し、より一層の手間を掛けておるようだな」

 それでも、なかなか王族以上の天女は見当たらない。

「むむ、我が眼に叶う天女はおらぬのか?」

「誰がいないのかしら?」

 そう背後から声がして、ぎょっと朱鷺が振り返った。

「て、てんじょちゅう、そなた何時いつから其処そこに……!」

「アンタが不審な行動を取り始めた時から、ずっといたわよ!」

「何たる存在感の薄さよ!」

「はったおすわよ、アンタ! まったくもう……! セライが私達を呼んでいるのよ。何でも、地球との交信に成功したとかで」

「こうしん、とな?」

「ええ。だからバカなことしてないで、さっさと行くわよ」

「だがもうしばし選定を……!」

「早く、時間がないのよ!」

 苛立つルーアンが、無理やり朱鷺を引きずって行った。

「――ほう! これが交信機なるものか」

 中央管理棟の交信室で、物珍しい機械の重積に、朱鷺が興奮した。目の前には表示装置があって、朱鷺ら三人が身を寄せ合って、ようやく見られる程の大きさだ。ルーアンは壁にもたれ、三人から少し離れた場所に立っている。

「それでせらい殿、これらを使い、あちらが世におられる、月の視察団の方々と交信するのですか?」

「ええ。ようやく彼らからのシグナルが入り、交信出来るまでになったので」

 淡々とセライが説明するのを、興味深く水影みなかげが観察する。

「時間になりました。モニターに、あちらからの映像が映ります」

 セライの部下の言葉の後、目の前のモニターが乱れた。ガーガーと耳を突く雑音の後、モニターに二人の若い男が映った。

「おお! あちらが世にて、縮まられたか?」

「小さく映るだけよ。あっちから見たら、アンタ達も小さくなっているわ」

「ほう、面妖な仕掛けにございまするなぁ……」

 ただただ呆然とする安孫あそんに、「これが月の技術……」と、水影が息を呑む。雑音に混ざって、男の声が聞こえてきた。

『……ち、……に、うつく……』

「なんだ、良う聞き取りづらいのう?」

「まだ交信には、不安定な周波数なのですよ」

 モニターには、どこかの屋敷に身を寄せる月の民の姿が映り、夜空には、ぼんやりと月のようなものが浮かんでいる。

「ほう、あちらが世は今、宵の刻限か」

「月とは真逆のようにございますな」

「懐かしいのう。あちらが世から見上げておったの月に、我々は今おるのだな」

 感慨深く朱鷺が言った。壁にもたれていたルーアンが、「カーヤ姉様……」と一人呟く。

「ん? あれは……」

 モニターの奥に、月を見上げる女人の背中が映っている。十二単で腰まで伸びる黄金色の髪に、「ふむむ!」と朱鷺が身を乗り出した。

如何いかがなされました、しゅ、朱鷺様!」

「あれは、の艶めく、後ろ姿の女人は誰ぞ?」

 朱鷺の問い掛けに、ルーアンが気まずそうに顔を反らした。朱鷺の声が聞こえているのか、モニターの向こうで、男らが女人を呼びに行った。粗い映像に、男らの呼びかけに首を振る女人が映るも、その黒い瞳が映る横顔に、「ふむむ!」と、朱鷺が鼻息荒くモニターに飛びついた。

「朱鷺様っ、御近おちこうございますればっ……」

「あれはもしや、本物のっ……」

 そこまで言って、朱鷺は懐から絵巻を取り出した。羽衣伝説に描かれる天女と女人の横顔とを見比べ、「やはり!」と笑みを浮かべた。

の女人こそ、我が初恋が相手、羽衣伝説の天女ぞ!」

「いえ、かつての第一王女、カーヤ殿下ですよ」

 冷静なセライの返しに、ぶふっと水影が吹き出す。

「水影殿!」

「かあや王女、その名もまたお美しい……!」

 呆ける朱鷺に、安孫が顎に手を寄せながら、眉を顰めた。

「されど、かつての第一王女であらば、それ即ち、るうあん殿の姉君ということでは……?」

 壁にもたれて立つルーアンが、小さなモニターに映る姉に目を向けた。交換視察団という名目で、従者と共に地球に追放された姉は、何やら怒った様子で、ずんずんとモニターに近づいてくる。

「おお! その類稀なる美貌、やはり我が初恋の天女ぞ!」

 ぷつん、といきなり交信が途絶えた。

「……ん? せらい殿、真っ暗になってしもうたが、まさかれは、あちらが世が終焉した訳ではございますまいな?」と焦る朱鷺。

「ええ。地球が滅んだのですよ」

「はああ? あちらが世が滅びた? それでは国はっ? 民はっ?」

「落ち着きあれ、安孫殿。せらい殿の冗談にございましょう」

「すみません、春日さん。冗談です。あちらが交信を切ったのですよ。しかし、相変わらずカーヤ殿下は、毅然とされていますね、ルーアン殿下?」

 意を含ませて笑うセライに、「案外、元気そうだったわね」と、ルーアンがそっぽを向く。

「ふむむむっ……!」

 俄かに朱鷺が唸り始めた。

如何いかがなされました?」

「こうしてはおれん! すぐにでもあちらが世に帰らねばっ……!」

 事を急く朱鷺が、安孫の制止も聞かずに、ずんずんと玉座の間へと向かって行く。

「御待ち下さいませ! 我らはあちらが世から迎えが来ぬ限り、帰れぬ身にございますれば、玉座の間へと向こうても無駄にございまする! もうしばし月が世にて、その世情を学び、見聞を広める御役目に邁進せねばっ……」

「そなたは黙っておれ、安孫! 一刻でも早うあちらが世に帰り、何としてでも、かあや王女を我が天女とせねばならぬのだ!」

「無茶を仰られてはなりませぬっ……」

 ずん、と朱鷺が立ち止まった。

「良いか、安孫。我らは交換視察団ぞ。我らがあちらが世に帰りし折、あちらもまた、こちらが世に帰るということぞ! それ即ち、我らは行き違う者同士、永遠に巡り逢うことが出来ぬ宿命にあるということ! 左様な不条理、我が人生に於いて、二度とあってはならぬのだ!」

「さ、されど、朱鷺様には月が世にて目的が御有りだったはず! 長きに渡る悲願を目前にして、諦めても宜しいのでございまするか!」

「ええいっ! 酒池肉林など、我が初恋とする天女一人おれば良いことぞ! 斯様かようにしておる間にも、かあや王女が我が影と交流しておるのかと思うと、口惜しゅうてならぬ! 水影!」

「は、此処ここに」

 主の乱心にも、水影は冷静に控えている。

「今すぐあちらが世に帰る策を練れ。重ねて、かあや王女を、あちらが世に留め置かんとする策ものう……!」

「御意」

 鼻息荒く自室へと戻る朱鷺に、ルーアンの視線が床を向いた。何も言わず、朱鷺はルーアンの横を過ぎ去っていった。大きく溜息を吐いた安孫が、水影に訊ねる。

如何いかがされるおつもりで?」

「さあ?」

「さあとは。確かに御意と仰られたではございませぬか!」

「策を練ろうにも、情報が足りませぬ。しばし御付き合いを」

 中央管理棟へと向かう水影を、頭痛がし始めた安孫が追った。

 ルーアンは一人、メイドの仕事に戻った。庭園の花々に水をやりながら、姉のカーヤが、地球に追放された時のことを思い返す――。

『顔を上げなさい、ルーアン。何があっても、希望を捨ててはならないわ』

 地球から伸びる竹の前で、カーヤが毅然とした態度で言った。俯くルーアンが、涙を堪えきれずに、鼻を啜った。

『泣いてはダメよ、ルーアン。気丈に振る舞いなさい。たとえ落ちぶれようとも、たくましくメイドとして生きる貴方さえいれば、いずれ貴方が多くの国民の希望になるわ。私も地球から燦然と輝く月を見上げて、あそこで貴方が強く生きているのだと思えば、これ以上ない励みになる。だからルーアン、一生懸命生きるの。私も地球で目的を果たす為ならば、何だってする覚悟でいるのよ?』

『目的……?』

『ええ。あちらの帝に会って、必ずや、私の望みを聞き入れてもらうわ――』

 そう強く信念を持った姉の姿に支えられ、どうにか今までメイドの仕事に従じてきた。そんな自分を落ちぶれた王女だと嘲笑する者もいれば、可哀想だと憐れむ者もいた。一人孤独に耐え、いずれこんな生活から脱却するつもりでいるものの、現実はスザリノらが支持するような王族復権は難しいと分かっていた。宰相と第一王妃がいる限り、自分は人質。前第一王妃とその王女の王族復権を悲願とする反乱者を、牽制する為だけに生かされた身なのだ。しかし最近、多くの反乱者が動きを見せるようになった。宰相も王宮に戻り、いつどうなるか分からない状況で、唯一信頼出来るようになった地球人は、姉であるカーヤに心奪われてしまっている。

『――天女中、そなたの望みは何ぞ?』

 不意に朱鷺の言葉が蘇った。カーヤが望みを聞き入れてもらおうとする男が偽物の帝に対し、ルーアンが望みを聞き入れてもらおうとする男は、本物の帝だった。

『――俺が信頼に値する男であると確信した折、再度そなたの望みを訊ねよう』

「私の、望み……」


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