第28話 愛しております

 テロ現場から帰ってきた安孫あそんに、走り寄ってきたルクナンが抱き付いた。

「王女殿下! 人目に触れておりますればっ……」

 はかまが濡れたと思えば、それはルクナンの涙だった。

「るくなん、王女……?」

「……エルヴァは、ルーナ達を、殺しに来るのかしら……?」

「左様なことは、この春日安孫がさせませぬ。必ずや王女殿下をお護り致しまするゆえ、左様にご案じ召されますな」

 安孫が心強く笑った。それを遠目に、水影みなかげの脳裏に、あの敬福祭きょうふくさいで見せた安孫の笑顔が蘇った。水影が沈黙して自室へと向かう。その背中に向かって、「幼き頃よりの間柄、もう何が真か分かっておろう、水影」と朱鷺ときが諭す。

「……何となし、にございます」

 それだけ返し、水影は自室へと入っていった。

 自室の扉を叩く音がして、「どうぞ」と水影が返事する。扉を開けて中へと入ってきた安孫あそんは、寝所にて一人双六遊びをする水影の背中を見た。

「るくなん王女の護衛は宜しいので?」

「ああ、……鎧の方々が強靭にございますれば、後はお任せあれ、とのことにございました。少々駄々は捏ねられたのでございますが、すざりの王女に諭され、我が身は再び、主の下へと戻って参った次第にございまする」

「……左様で」

 水影は二つのサイコロを振った。安孫がそっと双六盤を覗く。

つみかえにございますな? 御一人ではつまらぬでしょう。それがしが――」

 あの時と同じように、ばんっと水影が双六盤を叩いた。

「水影殿? 如何いかがされたのです?」

「貴殿など、ただのっ……」

 そこまで言って、あの時と同じ光景が蘇ったことに、ぐっと水影は腹を抑えた。

「水影殿?」

 安孫に背を向けたまま、水影は顔を上げた。

「貴殿は、何故なにゆえ何時いつも、日の下におられる?」

「へ? 日の下……におりまするか? 某が?」

「左様。貴殿は何時だって、日の下で笑っておられます。初めて貴殿を敬福祭きょうふくさいで御見かけした折、真、眩い御方に思えました。の様に勇猛果敢な御顔で的を狙われて、我が年と同じである貴殿が、私にはずっと、眩しかった……」

「水影殿……ヒクっ」

 突然の吃逆に、「ああっ、今ので幾度目にございましょう? すっかり止まったものとばかり思うておったのに、このままでは我が命が潰えてしまいまするっ……!」

 慌てふためく安孫に、「落ち着きあれ」と、吐息混じりに水影が立ち上がる。

「某が死んだ後は、貴殿が主上しゅじょうの暴走を御止め下され、水影殿! そうして必ずや、あちらが世に、主上を御連れ帰り奉らんことを切に願いまする!」

 がしっと安孫に肩を掴まれ、「案ずることはございますまい」と、水影が冷静に言う。

いな! 某はもう、吃逆で死に絶えるのでございますれば、水影殿に某の意志を継いでもらわねば困りまする!」

「安孫殿、いい加減――」

「はっ、忘れておりました! 某が死んだら、この兎を某と思うて、大事に育てて下され!」

 そう言って、安孫が懐から顔を出した白兎を水影に託す。

「安孫ど――」

「ああ! やり残したことが多過ぎて、一体何から――」

「安孫殿! しかと我を見なされ!」

 苛立つ水影が安孫の胸ぐらを掴み、自分に引き寄せた。しっかりと安孫の顔を見て、「私は貴殿を愛しておりまする!」と宣言した。

「……へ?」

 頬を染め、恥じらうその表情に、「へえええ?」と安孫の声が裏返った。

「み、みな、みなかげ、どのが、それがし、を、あい……?」

 動揺を隠せない安孫。

「いや、あのっ、御気持ちは嬉しく、されど今は互いに役目を全うする時であって、それゆえっ、あのう、そのっ……」

 さっと水影が真顔に戻った。

「冗談にございますれば、その頓馬面とんまづらを御改めあれ、安孫殿」

「へっ? じょ、じょうだん、とな?」

「当然にございましょう? 私が貴殿などを好くはずがございますまい。私に男色の気は、ございませぬゆえ」

「は……はは。良かった、吃驚びっくりしましたぞ、水影殿」

「ええ。私とて虫唾が走る台詞にございました。されどその甲斐あって、貴殿の吃逆は、百を迎える前に止まったようにございますな」

 その指摘に、安孫が息を呑んで喉元を擦った。吃逆が出る気配はなく、本当に止まっていた。

いにしえより、吃逆を止めるには、驚くが一番と言われておりまするゆえ。そうだと言うに兎など……、まったく、日の下一と名高い武人が、月の姫御に翻弄され過ぎにございましょう」

 小言を言う水影の指を、ガブっと白兎が噛みついた。

「ほーう、左様に主を好いておいでか、兎殿」

 穏やかな口調であっても喧嘩上等の面構えを見せる水影を、「ただの小動物にございますれば!」と、どうにか安孫は落ち着かせた。

 白兎が安孫の懐に戻った。その至福の表情に、ふいっと水影が顔を背ける。

「これが、るうあん殿と同じやきもちか……」

「へ? やきもち?」

「いえ、こちらがことにございますれば、貴殿は御気になさらず」

 そう言って、水影が双六盤上のコマを片付けていく。

「ああ! もう双六はされぬのですか?」

「兎殿が警戒されておりまするゆえ」

「大事ございませぬ! 斯様かように暴れぬよう、しかと握っておりますゆえ。……それがし、もうしばし、水影殿と話しとうございまする」

 その真摯な表情に、根負けした水影が、双六盤上に二色のコマを並べた。

 二人向き合って双六をする。しくもあの幼い日と同じ、つみかえという遊びだった。二つのサイコロの目に従い、そのマス目分だけコマを動かしていく。十五のコマを端から積み上げ、すべてのコマが反対端に入れば勝ちという単純な遊びだった。黒コマを動かす安孫が、サイコロを振った水影に訊ねた。

「某を気に喰わぬのは、某が日の下におると、左様に御思いだからにございましょうか?」

 出た目に従って、水影が白コマを動かしていく。

「私は、……いえ、我ら三条の兄弟は、いつからか、日の下に出ることを恐れるようになってしまったのでございますよ。武家優位のあちらが世では、辱めを受けた兄と共に、勤めに出る以外は、屋敷内にて過ごして参りましたでな。の時、貴殿は兄を鼓舞したと言うに、私はそれを無意味だと決めつけ、何も申せなかったのでございます。すべての想いを総じて言わば、ただの嫉妬にございますれば、貴殿を気に喰わぬと罵らねば、己を保てなかっただけにございます。されど私の醜い感情など、主上しゅじょうには、筒抜けであったようでございますがな」

「某は知りませなんだ。それゆえ、斯様かように話して頂いて、嬉しゅう存じ上げまする」

「はあ? 嫉妬と申し上げたはず。何故なにゆえ嬉しゅう思われまする?」

「いえ、貴殿は常に冷静に物事を捉えておいでゆえ、貴殿の真を見据える眼に、某が眩く映っておったなど、誉以外の何物にもございませぬ。いやぁ、の三条水影殿に嫉妬されるなど、文官武官合わせても、某しかおらぬでしょうなぁ~」

 能天気に笑う安孫に、「調子に乗んじゃねえよ……」と水影がぼそっと呟いた。

「へ? 水影殿?」

「吸収した文化の実践にございますれば、れより後も御付き合いあれ、安孫殿」

 そう真顔で言った水影を、じっと安孫が見つめる。

如何いかがされたのです、じっと私の顔を見つめられて」

「いえ、幼き頃よりずっと、綺麗な御顔立ちだと思いましてな」

 その純粋な笑みに、思わず水影は面喰った。それでも真顔に戻り、「不快にございますれば、今後二度と左様なことは仰らぬよう」と釘を刺すも、暴れる白兎を懸命に抑える安孫には、まったく聞こえていなかった。

「――されど、吃逆は不吉の前触れと、るくなん王女は仰せになられておりました。今日の王宮外でのてろ行為。せらい殿の父君、はくれい宰相殿とは、一体如何様いかような御方にございましょうや……?」

 安孫の呟きに、サイコロを振った水影が、じっと双六盤上を見据えた。



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