第23話 そんそん

「――そう言えば、まじないの言葉って何だったの?」

 庭園でバラの匂いを嗅ぐ朱鷺ときに、後ろから眉を顰めるルーアンが訊ねた。

「ああ、それこそが本来の俺の目的よ」

 そう告げて、朱鷺は三日前のあの状況を解説した――。

 瀕死のセライの耳元で、朱鷺が囁いた。

『――せらい殿、良うお聞きあれ。羽衣装束をお召しになられたすざりの王女は、きっと誰よりもお美しく、妖艶で、男であらば、一度は惚れた女人に召してもらいとう御姿にございましょうぞ?』

 ぴくりとセライの指先が反応したことに、朱鷺は小さく笑った。

「はあ? それってつまり、羽衣装束姿のスザリノ見たさに、セライが死の淵から舞い戻ってきたってコト?」

「男とは、左様な生き物だ」

 そう言って笑う朱鷺の解説は完全なる建前で、本当のまじない言葉は――。

『――せらい殿、良うお聞きあれ。本来、羽衣装束の下には、〝ぱんつ〟も〝ぶら〟も付けぬのですよ? 左様なあられもない天女の御姿を、男である貴殿も、見とうございましょう?』

 風呂敷に包まれた見舞いの品に、朱鷺は思惑宜しく、ひっそりと笑った。



「――何故なにゆえだ!」

 見舞いの日から三日が経過するも、今猶スザリノがシルクドレス姿であることに、納得がいかない朱鷺が床を叩いた。

主上しゅじょっ……ではなく朱鷺様! 斯様かような場所で、みっとものうございますれば!」

 鼻先を叩かれる前に訂正し、安孫あそんが朱鷺を抱え上げた。隣には水影みなかげが立っていて、仲睦まじく話すスザリノとセライの様子に、「ほう、れが、いちゃいちゃかっぷる、にございまするか」と、巻物に記録する筆をボキッと折った。

「水影殿っ……」

「嫉妬なんて見苦しいわよ?」と諭すルーアンに、

「嫉妬ではございませぬよ。ただ、公然と彼の様にいちゃいちゃされれば、見ておる方と致しましては、鬱陶しゅうございまして」と、据わった目の水影が反論する。

何故なにゆえだ! 何故すざりの王女は、羽衣装束をお召しにならぬのだ!」

「うるさいですよ、都造みやこのつくりこさん。殿下はこの国の王女であらせられるのですから、常に王女として、気品溢れる御姿でおられねばならぬのです」と、名誉の負傷で頭に包帯を巻くセライが、見下す笑みを朱鷺に向けた。

(馬鹿め。スザリノのあられもない姿を見られるのは、俺だけだ!)

 そうセライの心内が聞こえ、「やり過ぎたっ……!」と、再び朱鷺が床に悔しさをぶつける。

「くそう! 羽衣装束見舞いの品まで贈うたと言うに! 月が民には、男の夢を共有する広い心など、あらぬと申すか!」

「うふふ。朱鷺殿は本当に面白い方ですね」

 優しく笑うスザリノに、「近づいてはなりませんよ」と、セライが真顔で注意する。

「――誰に近づいてはならないの?」

 そう幼い声がして皆が振り返ると、そこに、羽衣装束に袖を通した、ルクナン王女の姿があった。

「おお! これはこれは小さき王女よ。羽衣装束が良うお似合いにございまするなぁ!」

 そう言って近づこうとした朱鷺を無視し、ルクナンはルーアンの前に立った。

「ルクナン……」

「相変わらず気品に欠ける王女ですわね。ああ、違いましたわ? 元王女、今はメイドでしたわね、ルーアン?」

 ルクナンの挑発に、ルーアンの表情が曇った。ルクナンが意地悪く笑う。だがその金瞳に一人の武骨な男が映った瞬間、ルクナンの表情が明るみ、「探しましたわよ~!」と、安孫に抱き付いた。

「へ? それがし?」

「ええ! 今からあなたをルーナの護衛係に任命しますわ、ソンソン!」

「そんそん?」

「あら、お気に召さなくて? ではアンアン」

「あんあんはちいとばかし、気恥ずかしゅうございますれば……」

 安孫が視線を反らし、頬を赤らめた。

「ではやはりソンソンですわね! 決まりですわ、ソンソン!」

 ルクナンに懐かれ、訳も分からずに手を引かれる安孫。彼らの行く先に、突如として、水影が立ちはだかった。

「ちょっと、邪魔ですわよ! おどきなさい、カゲ!」

「ほう、はげ、とな?」

「ハゲじゃなくカゲですわ! 耳が悪いんじゃなくて?」

「左様なことは如何どうでも良いのですが、一つ言わせて頂くと、この者の父は禿げ頭にございますれば、近い将来、安孫殿も必ずや、はげまするぞ? ええ、これはかなりの高確率で、はげ散らかしましょう」

「水影殿、地味に傷つきまする……」

「別にハゲ頭でもよろしくてよ? そのようなことなんて気にしないほど、ルーナはソンソンに恋しているのですわ!」

「恋?」

 安孫が目を見開き、何度も瞬きを繰り返す。

「ええ。あのお見合いの席で、ソンソンが勇敢にルーナを守ってくれたのですわ? あの時のソンソンの顔、今思い出しても、ゾクゾクするほどカッコよかったですの! つまり、ルーナはソンソンに惚れたので、ソンソンをずっと傍に置いておくと決めたのですわ!」

「い、いえっ、あれは殆ど無意識でっ……某には、主を御護りする役目がございますればっ……」

「良いではないか、安孫。れも月が民との文化交流の一環ぞ。存分に、るくなん王女殿下の護衛を務めよ」

「されどっ……」

「宜しゅうございましたなぁ、そんそん殿。日の下一と名高い武人が、小さき姫御を御護りする武勇、存分に我が日記にて、書き遺して差し上げまする」

 そう言って、水影は懐から『遣月日記』と表紙を打つ冊子を取り出した。

「日記まで付けておいでか?」

「当然にございまする。私は文官。貴殿は武官。元より相容れぬ立場であらば、貴殿に私の心持ちなど、理解出来ぬでございましょうが」

 ふいっと水影が背中を向けた。そのまま自室へと去っていく。その後ろ姿を見送りながら、ルーアンが隣に立つ朱鷺に訊ねた。

「ねえ、どうして変人は怒っているの?」

「怒っている? いいや、あれは違うぞ?」

「ウソよ。メチャクチャ不機嫌じゃない」

「ふっ、そなたには左様に見えるか。確かに水影はそなたが申すように、ちいとばかし変わった男ではあるが、真のまなこを持つ男でもあるのだ」

 どんどん小さくなっていく水影の背中を見ながら、朱鷺は腰に手をやった。水影の心中でうごめく過去に、微笑みながらも、小さく吐息を漏らした。


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