第21話 真の愛
『――はい、これあげる』
四歳のスザリノが、八歳のセライに、一輪の花を手渡した。
『こんぺき色のお花。セライのかみと、ひとみの色をまぜたみたいで、キレイでしょ?』
ぎょっとするも、『ありがとうございます』と笑って、セライは傍で見つけた
『うわぁ! ありがとう、セライ! そうだ、このお花で、押し花をつくろう!』
そう提案したスザリノによって、二輪の花が押し花にされた。
『じゃあセライは、萌黄色の花を持っていて』
『いえ、わたくしは、こちらの紺碧色の花を持っております』
『ええ? どうして? こっちの方が、スウを思い出すでしょ?』
『確かにあなたさまを連想いたしますが、わたくしは、あなたさまの手によって摘まれた花の方が、うれしいのですよ。この咲き乱れるたくさんの花々から、たった一輪、あなたさまに選んで頂いたこの花が、わたくしにとっては、何よりも愛着のわくものなのです』
『そうなの? それじゃあ、こっちのもえぎ色の花は、セライが選んでくれた、スウの花ってこと?』
『ええ。わたくしもまた、多くの花々から、たった一輪を選んだのです』
そう自然に笑っていた過去。成長し、互いに世の中がどういうものなのか知っても、その関係は続いた。
『ねえセライ、このドレス、私に似合っていますか?』
姿見の前で、スザリノがセライに貰った純白のシルクドレスを着て、訊ねた。
『ええ、とても良くお似合いですよ。ただ、思いの外、肉付きが良くなられていたみたいで』
『はっ! け、けして太ってなどおりませんよ!』
『そうですか。体のラインが以前より緩やかになられたみたいですが?』
そう言って、じっと自分の体形を見つめるセライに、スザリノは頬を膨らませた。
『そんな風にイジワルを言う課長には、ルナフェスの贈り物は差し上げません! せっかく王宮御用達の仕立て屋に言って、オーダーメイドで作ってもらった特別なスーツなのに。仕方ありませんね、衛兵の一人にでも――』
『頂きます、殿下』
さっと贈り物を奪い取ったセライに、スザリノが微笑んだ。
『ほう。チェック柄のスーツですか。こういう種類のものは持っていなかったので――』
その背中を掴み、そっとスザリノは寄り添った。
『……私は第二王妃の子として生まれて良かったです。第三王女であれば、貴方との結婚も許されるでしょうから』
『殿下……』
『王家同士の結婚は、カーヤ様とルーアン様に押し付けて、私は
背中に感じる温もりに、阻む気持ちはどこにもない。くるりと向き合って、セライはその体を抱き締めた。
『ああ。俺がずっと傍でお前を守ってやる。後少しで理想が現実になるんだ。たとえ降嫁し、王女でなくなったとしても、結婚して、子供を作って、ごく当たり前の幸せを、お前と分かち合う。そんな俺達の理想が、やっと現実になるんだ』
一年前、そう強く抱き合ったルナフェスの直後、国王が急逝し、父による第一王妃の排斥が起きた。そしてあれよあれよという間にスザリノが第一王女となり、想い募らせた理想が、大きな権力の前に阻まれた。
『ねえ、セライ。お願いがあるの。私を愛しているのなら、私を連れてどこか遠くへ逃げて?』
そう懇願する第一王女のスザリノを抱き締めて逃げることなど、ただの官吏であるセライには、出来なかった。
「――セライ、終わりましたわよ?」
ルクナンの言葉に、再びセライは現実に引き戻された。
「……では最後に、ご成婚に付きまして、スザリノ殿下よりザルガス殿下へ、そのお気持ちをっ……」
言葉に詰まったセライに、ぐっとスザリノが唇を噛み締めた。そこに、羽衣装束姿のルーアンが顔布を付けて、紅茶を注ぎにスザリノの横に立った。
「ちゃんと自分の気持ちを伝えなきゃ、王女なんて何も出来ないのよ、スザリノ」
そう囁いた声に、スザリノが顔を上げた。
「ルーア――」
「シー。気づかれたらまたエトリア様に叱られるわ。ねえスザリノ、セライはきっとまだ、貴方を愛しているはずよ?」
「セライ……」
紅茶を注ぎ終わり、身を引こうとしたルーアンの羽衣装束の裾を、スザリノの隣に腰掛けるルクナンが踏んだ。
「きゃあ!」
思わず声を上げ
「大事ないか、天女中」
「う、うん……」
その端正な顔立ちに見つめられ、思わずルーアンは、顔から火が吹き出しそうになった。ルーアンを貶めようとしたルクナンが、言葉なく顔を顰める。急に席を立った地球人に、「どうしたのだ?」とドミノ王が訊ねた。
「なに、月が世の王家同士の見合いを、異文化交流の一環として、もっと
「
「ですから
そう言って、朱鷺がスザリノに、そっと耳打ちした。
「私がこの見合い、破談にして差し上げまする」
「え……?」
大きく目を見開いたスザリノに、「私を信用召され」と朱鷺が笑った。
「
「存じておりまする。真、
観念したように、朱鷺がスザリノから少し離れた場所に立った。そこで一本の木に身を傾けた。その陰に、もこもこと
「では気を取り直して、……スザリノ殿下、ご成婚に付いてのお気持ちを、どうぞ、お話し下さいませ……」
セライに促され、スザリノは大きく息を吸い、「はい……」と吐きながら返事した。
「私は、グレイスヒル王家の第一王女として、この度のオルフェーン王家のザルガス王太子との見合いを、国の更なる繁栄と幸福の為に……」
そこまで言って、スザリノの言葉が途絶えた。泣くのを堪え、溢れ出しそうになるセライへの想いを飲み込んだ。そこに突然、一羽の白兎が飛び込んできた。テーブルの上で、ピョンピョンと飛び跳ねる。
「わわっ! ウサギだとっ? 一体どこから飛び込んできたのだ……!」
慌てふためくドミノ王と、「ひいっ……!」と、引きつった顔で席から離れるザルガス王太子。
「ウサギなど気色悪いっ!」
「おやまあ、王太子ともあろう御方が、何とも慈悲のない御心にございまするなぁ?」
「ああ、いや! そういう始末ではなくてですね、王妃陛下っ……!」
必死に取り繕うとしたザルガス王太子の腹に、ピョンと兎が跳び付いた。
「ぎゃあ! 誰か! 誰か早くこいつをどうにかしてくれ!」
「兎は蜘蛛を喰いまするからなぁ……」
憐れむように
「はは……」
笑うしかないザルガス王太子に、周囲からの非難の眼差しは止まない。
「王たる者、
そう説教宜しく話し、朱鷺はセライから兎をもらい受けた。セライが険阻に朱鷺を見つめる。
「ドミノ王、この度の見合いは、一度白紙とさせて頂きますわ? 王女を……娘を、無慈悲な王太子に嫁がせる訳にもいきませんので」
はっきりと断りを入れた王妃に、「ぐっ……」と親子で悔しさを滲みだす。
「……なぜ王太子が、ウサギが苦手だと分かったのですか?」
兎を放す朱鷺の背中に向かって、セライが憤怒の表情で訊ねた。
「左様なこと、分かるはずもございませぬ。私はただ、草花の陰に隠れておった兎を、見合いの席に同席させたまでのこと。それが
そう言って、朱鷺はスザリノに目を向けた。既にオルフェーン王家の親子と従者は逃げ帰り、王妃がスザリノの背中を擦っている。
「スザリノ……」
遠くからルーアンがスザリノを見つめた。第二王女であった時の記憶が蘇る――。
『――王女で良かったと思う時?』
『はい。ルーアン様はどのようにお考えですか?』
庭園で二人、紅茶を飲みながら、『そうねぇ……』と考える。
『私って、あまり自分が王女だっていう自覚がないのよねぇ。だってカーヤ姉様を見ていたら、あんなにも完璧な王女にはなれないって思うもの』
『そうですね。カーヤ様は、王女に生まれるべくして生まれてこられたようなお方。あのお方を見て育ったせいでしょうか、私もあまり自分が王女だという自覚がなくて……。でも、そのお陰なのですかね。私は自分がどれだけちっぽけな存在か、その存在が取るに足らないものなのかを、ちゃんと理解しているのです。そして、そんな取るに足らない私が、いかに周囲の人々に守られているのか、愛されているのか、ちゃんと実感することが出来る。もしこれが王女という立場で得られたものなのだとしたら、私はその時に、自分が王女で良かったと思えるのです』
そう笑って話していたスザリノが、今は泣きそうな顔で俯いている。
「おお、お可哀想に王女殿下。されど、
「朱鷺殿……」
「やはり男たる者、優しき心を持つことこそ、人としての器を大きゅうしていけるのでございますよ。そうして女人は、左様な男を信用し、ただついて来られれば宜しいのです。ねぇ? すざりの王女」
俯くスザリノの萌黄色の髪に、朱鷺が優しく触れた。
「私をもっと信用召され。私が貴殿を愛しまするゆえ」
朱鷺の言動に、ルーアンはそっと目を伏せた。スザリノは背後で口を噤むセライに諦めの表情を浮かべるも、朱鷺を見上げて、微笑んだ。
「そうですね。いっそのこと朱鷺殿に愛して頂けたら、幸せになれるかもしれませんね……」
幸せという言葉に、セライはぐっと顔を上げた。そこに突然、覆面を被った男らが大人数で現れた。
「まさか……エルヴァ?」と動揺するルーアンを他所に、
「おや、またもや暴漢に狙われるとは、我が月友の父君は、大層嫌われておいでで」と、周囲を覆面の男らに囲まれるも、朱鷺は余裕の表情を浮かべている。そんな朱鷺を横目に、セライが冷静に言う。
「父への憎悪をわたくしで晴らさないで頂きたいと、再三申し上げたはずですが?」
「黙れ! 宰相が不在の今、ミーナ王妃様を無実の罪で追放した恨み、この場にて晴らしてくれる!」
「ですから、わたくしの父の所業を、わたくしで糾弾するのは止めて下さい! わたくしとて、あの父のやり方には、憤りを感じているのですから……!」
「セライ……?」
スザリノがその苛立つ表情に、ぎゅっとシルクドレスを握る。
「宰相不在の上、その息子と、憎き第二王妃とその王女達、そして我らの仲間にケガを負わせた地球人まで揃っているとは、この上ない好都合な状況だ! テメエらまとめて、ぶっ殺してやるよ……!」
覆面の男らは金属棒を持ち、血気に逸っている。そんな暴漢らに、朱鷺は腰に手をやり、頷いた。
「そなたらの想いは良う分かった。では次に俺が口上してやろう。折角恋敵を追い払い、王女殿下と
格好つけたのも束の間、一気に暴漢らが襲い掛かってきた。
「はあ。もう
龍が彫られた脇差の鞘で襲い掛かる暴漢の鳩尾を突く朱鷺に、「無駄口は結構。今は王族をお護りするのが最優先です!」と、セライが言い放つ。セライは衛兵を招集させる緊急時の笛を吹いた。しかし、一人として衛兵の姿が現れない。見合いの席を警備していた王族特務課の部下達も、いつの間にか、縄で縛られ拘束されていた。
「応援を呼ぼうとしても無駄だ。我らは元衛兵。今王宮に仕えている衛兵達も、やがてこちら側に合流する運びだ」
左腕に包帯を巻く暴漢――エルヴァが覆面の下から言った。
「やめてエルヴァ! もうこんなことしないで!」
ルーアンが顔布を取り、反乱者の中心人物であるエルヴァに叫んだ。
「ルーアン……!」
動揺する王妃が声を上げるも、エルヴァや他の反乱者は屈することなく、己の信念の為に戦い続ける。
「エルヴァ……!」
「無駄にございますよ、るうあん殿。目的の為ならば手段を択ばず、たとえ信ずる者が涙を流したとしても、大義の為の犠牲ならば、それも
「変人……?」
冷静に鞘で敵を倒していく
「ぐっ……」
痛みに耐え兼ね、その場に倒れ込んだ男に、ルクナンは恐る恐る瞼を開けた。はっとして見上げると、そこには太刀を構える大男――
王妃とスザリノを守る朱鷺とセライが、次々に反乱者を倒していく。セライは素手だけで敵の急所を突き、気絶させていった。
「おお! 石頭でも武勇には優れた御方のようですなぁ!」
「わたくしは石頭ではありません!」
苛立ちも込めて、セライが敵を倒していく。
「セライ……」
背中で守るスザリノが、か細くその名前を呼んだ。セライは何も答えず、ただひたすらに王女を守る。
「なかなかに弱いのう、月の反乱者は。それでは我が手駒として使えぬのだがなぁ」
「くそっ……!」
いきり立った反乱者が、朱鷺目掛けて金属棒を振り上げた。咄嗟の判断に遅れた朱鷺に、「主上っ……!」と安孫が助けに入る。が、即座に敵に阻まれた――。
――バンっ
絶体絶命の状況で轟音が鳴ったかと思うと、セライが掌程の大きさの金属を構えていた。
「せらい殿? それは……」
唖然とする安孫が、息を呑んで訊ねた。
「これは月の世界で考案された、最新鋭の武器――ドベルト銃というものです」
「どべると、じゅう……」
「ほう、
右腕を撃たれ、痛みに悶える反乱者の前に、セライが立った。無表情に男に銃口を向ける。仲間の危機にエルヴァが動こうとするが、「動くな!」とセライが大声で叫んだ。ぐっと堪えるエルヴァら反乱者。スザリノが呆然と首を振った。
「やめてセライ……その人を殺さないで……」
セライの背中に向かって、今にも泣き出しそうなスザリノが説得する。
「お願い。その人にも大切な人がいるわ……?」
「大切?」
憤怒の表情でセライが銃を構える。その前に朱鷺が立った。
「左様。反乱者であろうが、掲げる正義の裏には、必ずや愛する者がおりまする」
「はっ、また愛か。……そんな不確かな感情の為に、己を見失い、偽りの大義を抱え、突っ走る。理想など、ただの妄想でしかないのに、それが叶うと信じて、馬鹿みたいに夢を見るんだ。期待する心に難題が襲えば、仕方がないと、簡単に諦められるくせに……。愛など、最初からなかったんだ。最初から、俺達の理想など、叶う訳がなかったのだから……」
「え……?」
セライの言葉に、スザリノがその場に崩れ落ちた。心を砕かれたスザリノが、涙を浮かべて俯く。
「身分違いの恋など報われない。幸せな未来を夢見て、そんな不確かな感情を愛だと思った自分に、反吐が出るっ……」
ぐっと苦悶の表情を浮かべて銃を握るセライに、正面に立つ朱鷺が、ふっと笑った。
「反吐……、我が月友は、よう反吐が出る
ぴくりと、セライの耳が動いた。
「愛――確かに不確かで、阻むものがあらば、簡単に諦めがつく愛もございましょう。されど、すざりの王女は、報われぬ恋など最初からしていないと仰られた。それは詰まる所、最初から身分違いの報われぬ恋などではなく、最初から最後まで、貴殿だけを愛し、愛されると信じておられた、真の愛、だったのではないですかな?」
諭すような朱鷺の言葉で、セライの脳裏に、再びルナフェスの夜の記憶が蘇った。
『王家同士の結婚は、カーヤ様とルーアン様に押し付けて、私は飄々と、大好きな人と結婚するのです。今までこうしてずっと傍にいたのですから、死ぬまで私に付き合ってもらいますよ、セライ?』
「死ぬまで……ずっと、傍に……」
「セライ、私はやはり、セライを一番愛しています。第一王女になって、王族と結婚せねばならない立場になっても、いつの日か貴方が私をどこか遠くへ連れて逃げ、そこで私達の理想を現実に出来ると、今でも信じていますよ、セライ……」
振り返り、スザリノが泣きながら微笑む姿に、セライもまた胸を突かれた。ぐっと泣くのを堪え、俯き、その場に銃を手離した。それを好機と見た反乱者の一人が、「王女だけでも……!」と、スザリノ目掛けて金属棒を振り翳した――。
「スザリノ!」
セライの声がして、スザリノは咄嗟に瞑った瞼を開けた。そこに、身を呈して王女を守ったセライの背中があった。
「セライ……?」
ゆっくりと振り返ったセライが額から血を流し、満身創痍の中でも微笑んだ。
「いやっ、セライっ……!」
「言ったろ、俺がお前を守ると……ルナフェスの夜に、そう、約束した……」
そう言ってその場に倒れ込んだセライを、スザリノが泣きながら抱き締める。
「いやですセライ……死んじゃ、いや……」
反乱者が更に王女を狙おうとしたのを、目の前の敵を倒し、さっとドベルト銃を構えた安孫が、百戦錬磨の形相で牽制する。
「お引きあれ。
その鬼気とした迫力に、反乱者らは遺憾を残すも、退散していった。
「スザリノ!」
セライが意識を失ったことで放心状態になったスザリノを、ルーアンが呼び起こす。はっと正気に戻ったスザリノは、セライの止血をするも、止まらない血に泣き続けた。そこに朱鷺が微笑みを浮かべて、スザリノの隣に腰を下ろした。
「ご案じ召されるな、すざりの王女。この
「まじない……?」
「左様。
そう言って、朱鷺がセライの耳元で囁いた。ぴくりと、セライの指先が動いた。
「うむ。
朱鷺が笑って頷くも、スザリノは息を呑んで、セライの容体を見守り続けた。
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