第11話 Decoy×Prey×Vampire
アタシは来た道を全力で戻る。後ろからドガッ、ガガガガッ、ガシャン! という凄まじい音が聞こえてくるが構っていてはいけないのだ。
そうして階段まで着くと一つとばしで駆け下り、外に出た。
外は入る前と随分変わっていた。ふと目に着いたあの黒いバンは不自然な形に歪んでいて、地面には無数の穴と抉った様な跡がある。アイゼンバーグは金髪の男の人と激戦を繰り広げたらしい。それなのに、休憩することもなくあのお兄さんと戦っている。大丈夫なのだろうか。走りながら、彼の心配をした。しかしすぐにそんな場合ではないことを思い知らされることになる。
ヒュワッ
「わ!」
強い風が吹いたと思ったら、目の前に、お兄さんがいた。急なことに驚いてアタシの足は固まってしまい、前のめりになった。
ぐいっ
突然首根っこを掴まれ、身体が後ろに引っ張られる。そのアタシの鼻先をお兄さんの爪が空振った。引っ張られていなければアタシの頭は飛んでいたかもしれない。そう思うとゾッとして血の気が引いた。
ドッ
「痛っ」
尻餅をつくアタシ。今の姿は相当情けないだろう。
「人間は鈍いな」
アイゼンバーグがお兄さんの蹴りを防御しながら馬鹿にしたような口ぶりで呟いた。アタシの前に立ちふさがってくれているのは有り難いことだが、あまりいただけない言葉だ。少しだけ苛立ちがにじむ。
「転んでも倒れても良いから走れ」
「言われなくても!」
アタシはスッと立ち上がり、大きく回り込むようにお兄さんとアイゼンバーグを避けて走った。アイゼンバーグが笑っていて、お兄さんの顔がこちらを向いたような気がしたが、もう、知らない。いいと言われるまでどこまででも走り続けてやる! なぜか俄然やる気が出てきたアタシは身をくすぶっていた痛みと恐怖を忘れ、廃ビルの敷地内を出ると家々の間をジグザグに進んだ。やはり、後ろからは何かが壊れる音や骨の折れるような音がする。それでもアタシは回りを見ずに走った。ただ、アイゼンバーグへの怒りを募らせて。
ドンッ!
何度目かのどこかの角を曲がった時、冷たい胸に飛び込んでしまった。……こうなるのは二回目だ。
「ホノカ」
胸で響く心地いい声。顔を上げて胸から離れると、キラキラ光る青い瞳がアタシを見ていた。鼓動の速い心臓を左手で押さえ、アタシは荒い息をしながら右手を膝の辺りに突いて倒れそうになる身体を支えた。あのお兄さんとは何かしらの決着がついたのだろうか。
「疲れたか?」
ニヤリ、音がしそうな笑み。アタシは瞳だけを上げてまるで疲れを感じていないアイゼンバーグをギロリと睨んでやった。
「全っ然!」
ホントは今すぐ横になってしまいたいぐらい疲れていた。数えてはいないが三十分ほど走り続けたように思う。それでも疲れたと正直に言うのは嫌で、小さすぎる見栄を張った。だってまた人間はどうとかこうとか言われるのが嫌だったのだ。人間を卑下している吸血鬼の彼に少しでも認めてもらいたかった。……なぜか。
「俺には今すぐにでも倒れてしまいそうに見える」
ある程度呼吸が落ち着いてきたので重い上半身を持ち上げて額の汗を拭った。ホント、この人の笑顔がムカツク。
「疲れてない。アイゼンバーグは疲れてないの? 傷はあるみたいだけど」
まだ少し荒い息の所為で早口になってしまった。アイゼンバーグは……傷だらけだった。身体のいたるところに擦り傷ができ、皮膚が剥がれて赤い肉が丸見えになっているところもある。見るのも痛々しく、アタシは自然としかめっ面になってしまった。
「俺は疲れたことがない。ただ少し、傷の治りが遅くなった」
あぁそうだ。吸血鬼たちは傷が出来にくくてすぐに治るらしかったのだ。それなのにこれだけ傷が残っているということは相当身体に負担がかかっているのだろう。表情からは分からないが。
「お兄さんとの戦いは大変だったんだ」
言うとアイゼンバーグは「いや、別に」と答えた。アタシはかなり大変だと感じたのだが、それはアタシが走っていたからだけなのか。というかアタシはなぜ走らなければならなかったのだろう。
「ねぇ、何でアタシに走り続けろって言ったの?」
ただの骨折り損のくたびれもうけだったのなら、掴みかかってやる。
「あぁ、意識を失った状態のデインの特徴を巧く使うためだ」
「特徴?」
「あの状態になった彼奴の行動は、意識がないためほぼ反射で成り立っている。だから飛んできた物に咄嗟に手を出し、逃げる者を追う」
あぁ、だからあのときアタシを殺すよりコンクリートの塊の方を攻撃したのだ。
「追う方に身体が強く反応していれば戦いやすい」
「てことはアタシを囮に使ったってこと!?」
信じられない!
「美味そうな獲物だからな」
腹立つニヤリ顔! アタシの安全のためを考えてくれたのかと思ったが、実際は自分の利益を考えていたのだな。ちくしょう。
でも、それでもどうやって決着をつけてきたのだろう。意識を失った相手に何をすればケリがつくのだろう。意図的に目覚めさせるなんて出来るはずがない。まさか殺して……?
「お兄さんはどうなったの?」
アタシはゴクリとつばを飲み込んだ。殺してなんか、ないよね?
「どこかに転がっている。四肢を全て折っただけだ。小一時間もすればまた追ってくるだろう」
「えっ」
ちょっと! 四肢を全て折っただけって、だけというレベルではない! 下手をすれば死んでしまうではないか!
「何それ! そんなことしてきたの!?」
疲れ切った身体で叫ぶのはいささか辛いものがあるが、さすがにちょっとひどすぎないか!? あの剣の男の人もそうだったし、お兄さんまで。もしかして金髪の男の人も相当ひどい傷を負っているのではないか!?
「他にどうしろと。意識を取り戻すまで彼奴はあのままだ。動けなくする他はない。殺すか意識が戻るまで戦い続ける手もあるが……。ホノカ、お前死にたいのか?」
死にたくはない。
少しでも時間があればお兄さんはアタシを狙った。多分あのお兄さんが意識を取り戻すまでずっと戦い続けることを選択したら、アタシはどこかで命を落としていただろう。それにお兄さん以外の人がアタシを襲いに来たかもしれない。考えると背筋が冷えたが、食い下がるつもりはなかった。
「死にたくないけど、もっと穏やかに解決できる策はなかったの?」
「無いな」
表情を全く変えずに即答。自分のした行動に絶対の自信を持っているような彼の態度にアタシは少し面食らってしまった。
あまりにも自信過剰。だって探せばあったはずだ、絶対に。人を傷つけない方法、もしくは傷つけることを最小限に抑えた方法が。それなのにアイゼンバーグは言い切ったのだ。無いと。この状況では四肢を折る以外は無いのだと。
「だって、もっと良い方法が……」
呟くとアイゼンバーグは目を細くしてアタシを見た。その目にアタシが少しだけすくんでいる間に目にも止まらぬ速さでアタシの後ろに移動し、膝裏と背中に手を回して担ぎ上げる。また、お姫様抱っこ。しかも急に!
「アイゼン……」
「甘い」
頭上から低い声が聞こえてきた。甘い、その言葉にアタシの胃はギュッと縮んでしまう。金髪の男の人とお兄さんは本気でアタシを殺そうとしていて、アイゼンバーグは少なくともアタシが死なないようにしてくれている……んだと思う。本気で殺気立った彼らを殺さずに止めることは見た目以上に難しいんだろう。それなのに、殺されかけているのに、アタシは敵であるあの人たちを心配しているんだ。自分でもおかしいと思う、甘いと思う。でもアタシは彼らに……アイゼンバーグに、傷を作ってもらいたくなかった。
アイゼンバーグが地面を蹴って上昇した。アタシは目を閉じて、血の匂いのする彼の胸に顔を押しつけながら傷つかない方法を考える。しかし考えついたそれはどれも生温かった。ひたすら攻撃を避けて逃げるのみ、話し合いに次ぐ和解、その他諸々、それが出来るのならば苦労はないのだろう。こんなに難しいことを考えたのは初めてだ。
あぁ、どうしてアタシはこんなにも彼ら吸血鬼のことを案じているのだろう。不思議だ。
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