第10話 Swoon×Rampage×Vampire

「ごめん、な」


 お兄さんが申し訳なさそうな、いや、今にも涙を流しそうな顔で微笑む。ごめんって、どうして謝るの? アタシは訳が分からなくなってスローモーションのように動くお兄さんをじっと見つめていた。ゆっくり、ゆっくり、鋭い爪の伸びた白い手がアタシに向かってくる。


ガシャァァァァン!


 いきなり凄まじい音が聞こえたと思うと目の前でキラキラ光る何かが舞った。それが窓ガラスだと気づいたのは月に照らされた白い背中がお兄さんを吹っ飛ばし、アタシに笑いかけてきてからだった。


「無事みたいだな、ホノカ」


 口の端だけを吊り上げて笑う彼は、少し濡れた白髪とこの青い瞳は、アイゼンバーグのものだ……! 光を反射させて飛び散るガラスの中の彼の姿は一種幻想的なものだった。


 アタシはそんなアイゼンバーグをぼうっと見つめ、落ち着いていく心臓の鼓動を聞いていた。アイゼンバーグも吸血鬼なのに、アタシをこれからどうするかも分からないのに、アタシは彼の登場に安心している。不思議だった。アタシは多分、こうなることを望んでいた。


「アイゼン……バーグ……」


 呟く。彼はアタシのそんな小さな声さえも捕らえ、どうした、と顔を近づけてきた。優しい瞳。少なくともアタシはそう感じる。


「……まさかデインまで来ているとは思わなかった」


 アイゼンバーグはしばらく何も言わないアタシを見ていたが顔を近づけるのを止め、お兄さんが飛んでいった方を見た。よく見るとアイゼンバーグの身体は傷だらけだった。すでにあの切り傷は治っているようだったが、アタシの足と同じ切り傷のような焼き傷のような傷が無数にある。それに何かが貫通したのか穴が空いて塞がりかけているようなものもある。また血みどろだ。男の人と激しく戦ったのだろう。


「面倒なことに、今ので彼奴は気絶しただろう」


 アタシは首を傾げて立ち上がった。まだ少し足がガクガクするけど、身体が動くということは素晴らしい。


「気絶したならいいんじゃない?」


 死ぬということよりは比べものにならないくらい良い状態のような気がする。まぁ死と比べるのも良くないし気絶させるというのも良くないことだろうが、相手が意識を失ったのならここから逃げやすいだろう。


「他の奴ならな。だが相手はデインだ。彼奴はいったん意識を失うと戻るまで見境無く暴れ続ける」


「なにそれ!?」


 それでは為す術がないのではないか?


 そうか、だからお兄さんに会った時に気絶していないか聞いたり、あまり戦わずにその場を離れたりしたのだ。


 アタシは一人、納得しながら未だ変化のない瓦礫の山を見つめた。お兄さんはまだ動かない。ホントに気絶しているのなら、この状況は絶体絶命か?


ヒュンッ


 瓦礫から目にも止まらぬ速さで何かが飛び出してきた! それはどうやら赤い目が二つあるもので、鋭い爪を突き立ててきていた。アイゼンバーグは伸ばされた腕を払いのけるが、爪が彼の頬に一筋の傷をつける。続いて首を取ろうとしてきた腕をアイゼンバーグが掴み、取っ組み合い状態になる。


「やはり」


 笑うアイゼンバーグ。向かい合うのはどこを見るでもない濁った瞳のお兄さん。ホントにこの人気絶している! それに信じられないくらい動きが速くなっているではないか!


 この人はホントにアイゼンバーグにぐしゃっと頭を屋根に押しつけられた人と同一人物なのか? 全く同じ人には見えない。それに、さっきごめんと言って泣きそうな顔をしていた人にも。


ガッ


 お兄さんが左足でアイゼンバーグの横腹に蹴りを入れた! しかしアイゼンバーグは笑ったままお返しと言わんばかりに右足を振り上げて顎を砕く。そして仰け反ったお兄さんの胸に回し蹴りを食らわせたが、それはお兄さんの右手一枚が阻止し、アイゼンバーグは足を掴まれて放り投げられてしまった!


ドゴゴゴッ


 壁を突き破り、アイゼンバーグの姿が消える。自然と大きくなった目で姿を追うと、視界の端にキラリと光るものが映った。


 お兄さんの手! アタシの首を狙っていることに気づいた時にはもう、遅いと思った。


バゴッ


 しかしアタシに向かっていた手は突然飛んできた大きなコンクリートの塊に移り、あっという間に粉々にした。間髪入れずに跳んできたアイゼンバーグの膝蹴りでお兄さんは飛ばされ、着地するものの床を滑る。


「面倒だ」


 アタシを背中に隠してアイゼンバーグが吐き捨てる。お兄さんはどうやらアタシもアイゼンバーグも機会がある方から殺そうとしているらしい。お兄さんの攻撃を防ぐことが出来ないアタシは少しでもアイゼンバーグから離れれば命はないということだ。もしかしたらさっきの攻撃で……。


 怖い。恐怖で身体が固まってしまう。アタシはアイゼンバーグの後ろにすっぽり隠れ、彼の冷たい腕を掴んだ。迷惑かもしれないが、アタシはアイゼンバーグから離れたくない、死にたくない。


「ホノカ、死にたくないなら走れ」


「?」


 知らず俯いていた顔を上げる。彼は、笑っていた。


「わ!」


 お兄さんが右腕を振り上げてこちらに向かってきた! アタシは咄嗟に握る手に力を込めてしまう。アイゼンバーグはその腕を片手でしのぎ、アタシの手から易々と抜けてお兄さんの左腕がとんでくる前に懐に入って体当たりした。しかしお兄さんはアイゼンバーグの頭上をひょいと跳んで避け、アタシの目の前に躍り出た! 見下ろす血のように赤い瞳に肺がギュッとなる。


ガッ


 お兄さんがアタシに手をかける前にアイゼンバーグが蹴りで彼の注意を引いてくれた。反応したお兄さんが彼の足を引っ張り、肘を腹に食い込ませようと振り下ろす!


ドッ


 肘が思い切りアイゼンバーグの腹に振り下ろされた! だが彼の腹はかなり硬いらしく肘はめり込んでいないし、彼の表情が笑みから変わることもない。アイゼンバーグは笑顔のまま、自由な方の足を振り上げて掴んでいる腕を蹴った!


ゴキッ


 骨の折れる音。この嫌な音を聞くのは今日で二回目だ。力を込められなくなった手から逃れたアイゼンバーグは床に着地すると体当たりでお兄さんをふっ飛ばす。ドゴゴゴッ、また壁に大きな穴が空く。凄まじいな!


「ホノカ、走り続けろ。どこへでも良い。とにかく止まらずに走り続けろ」


 アイゼンバーグが少しもアタシの方を見ずに言った。走り続ける? どうしてだろう。逃げた方が良いのだろうか。


「走り続けるって……」


 アイゼンバーグの瞳を追うとカタカタと動く瓦礫が見えた。お兄さんが、コンクリートを退けてゆっくり立ち上がる。ぶら下がった右腕とゆらゆら揺れる前屈みの姿勢が……とても不気味だ。


「行け!」


 彼の大声でハッとしたアタシは床を蹴って走り出した。足がズキズキするけど今はなんとか我慢してアイゼンバーグに従うしかない。彼には多分、何かの策があるのだ。何も出来ないアタシは少しでも生きられる確率が上がるように彼の言う通りにしなければならない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る