終業式で号泣するやつ

第1話 終業式で号泣するやつ

終業式で号泣するやつ 


 まさかぼくが卒業できるとは思わなかった。小中の大部分を自室で過ごし、まあ、高校も殆ど自室にいたのだが、ぼくの卒業は確約している。

 それもS高等学校という特定の校舎をもたない高校のおかげだった。今はそのS高等学校の終業式である。事前に施設を借りて行われた。行くか行かないかは本人の自由だった。遠くから終業式に来るもの、オンラインでパソコンのモニター越しに様子を眺める者、はじめから見る気もなく寝ていたり何か別のものをやってる者。どんな態度をとったとしても学校から与えられる課題さえこなせば進級および卒業ができる。ぼくはどちらかといえば、というか今まで一度もこういった対面のイベントに顔を出さなかった。

 しかし、今回は例外である。大学受験を受けるのために都心へ訪れるのだ。学力は問題なかった。直前に受けた模試でも余裕をもって合格できる点数をたたき出した。まぐれではない。これで例外が起きない限りは志望校に合格できるはずだった。

 心配なのはその例外なのだ。知らない土地で、ぼくはパニックになったりしないだろうか。トラブルに巻き込まれたりしたら今までの努力が無駄になる。ちょうどS高の終業式もぼくが受験をする予定の場所の近くだった。最後だし、行ってみるか、という気にもなって、ぼくは親に事情を説明して新幹線に乗ってここまでやって来た。

 そしてぼくが恐れていた例外が、すぐ隣にいた。終業式事態は可もなく不可もなくといった具合で進んでいく。途中で有名な人がスピーチをしていたが、ぼくはそれが誰なのか知らなかったし、話自体もたいして面白いとは思えなかった。問題は隣にいる髪の長い女の子だった。

 彼女は終業式で号泣している。そんなに、思い出があっただろうか。ぼくがあまり人と関わっていないだけで、人によっては終わりが惜しくなるほどの濃密な人間関係を築くことができたのか。

 だとしても、泣くのはせめて卒業式じゃないか。見渡すかぎり号泣しているのは彼女しかいない。カーディガンの袖を伸ばして、えずきながら、両手で涙を拭っている。信じがたい光景だった。同い年くらいの女の子が隣に座っているだけでも緊張するのに、号泣していたら、なぜか罪悪感すら生まれてきた。

(臭くないよな)

 ぼくは自分の体を嗅いでみる。少なくとも強烈な臭いはしてないと感じた。無臭と呼んでもいいんじゃないかと思った。涙腺が匂いと関係があると本で読んだ覚えがあったのだ。

 彼女は声を抑えながら泣き止む気配もない。近くで立っていた大人が、彼女に駆け寄った。ちなみに、ぼくが一番右端で、その真横に彼女がいる。

「大丈夫ですか? 気分が悪くなったり」と大人は言った。

「平気です。どうぞお構いなく」と彼女は顔を合わせずに、引き絞るように声を出した。

 駆け付けた大人は納得していないようだった。こんな事態は初めてなのだろう。心配していた眼差しは、次第にそばにいたぼくの方へ向けられた。まるでぼくが彼女の涙の原因を知っているかのように流し目で見てくる。

 なんですか、ぼくだってリアル女子高生が泣いてる現場に居合わすのは初めてなんですよ、と言いたいところだが、どんな顔をしていいのかもわからず、ぼくは微笑んでいた。

「こちらの方のお知り合いでいらっしゃいますか?」と大人は明らかにぼくに向ってきいてきた。

 が、「一人で来ました」と彼女が先に答えた。

「ぼくも一人で来ました」と情報を補足するように言った。

「そうですか……」

 大人はまだ納得しない様子だった。まあ、ぼくも現状に納得などしていないのだが。思い通りにいかないのが人生ってやつだ。わけもわからず場違いなシチュエーションで泣いてしまう時だってあるのだろう。

「とにかく何か悩み事があったら、わたし達に話してください。この式も途中で抜けても構いませんからね」

 それから大人は小声で言った。

「所詮は学校の宣伝のために行う儀式に過ぎません。だから、気軽になってください」

 ぼくは耳を疑った。さっきまで、ぼくが思っていたことを大人が代弁してくれたのだ。彼女が泣き始めてからそんな余裕はなくなったが、ぼくはくだらない時間だなと思っていた。あの人はS高の講師だろうか。見覚えのないはじめて見る顔だった。

 確かにあの大人が言ったのは正しい。そうではない側面もあるだろうが、基本的には来年入学してくる新入生を集めるためとか、学校という形態を維持するためにある。有名人をスピーチに呼んだのは、このS高に居る状態を少しでも誇れるようにする配慮であるかもしれない。ともかく、そのような勘ぐりを号泣する女の子の近くで言うべきじゃないと思った。あの大人はタイミングが悪い。そうに違いなかった。

 終業式が終わると集まっていた生徒たちは、続々とホールから出て行った。全校生徒が何人いるのか把握していないが、たぶん一般的な高校と比べると、この式に出席した生徒の数は少ないと思う。

 彼女は席を立つ気配もなかった。今回、学ばせてもらったのは、ぼくは同い年の異性が近くにいると必要以上に緊張してしまうという事実だった。これが、入試のときに、たとえば目の前でこんな風に泣かれたりしたら、ぼくは動揺で本来の力が出せなかった恐れがある。いや、ほぼ確実に集中できなかった。それを事前に経験しただけでも収穫はあった。さて、帰って勉強しよう。見知らぬ男に急に話しかけられたら気持ち悪いだけだろうから。

 ぼくは席を立って人の波に流れた。その時だった。あれは確か中学生くらいのときだ。部屋のなかで一人でいたときに、自分が情けなくなって突然ぼくは泣いたのだ。何やってんだよ。こんなので笑ってる場合かよ。その謎の涙を、情けなくなったせいだと、ぼくは理解していた。もちろんそれも要因としてはあるだろう。が、あのとき本当に、どうしようもなく持っていたのは、怒りだったんじゃないのか。

 ぼくは方向を変えた。さっきまで座っていた席に戻ろうとした。彼女に用があるのだ。ぼくはついさっき会ったばかりの彼女に怒っていた。偶然、隣の席になっただけなのに。

「ハンカチとか使いますか?」とぼくは言った。

 言ったそばから恥ずかしくなった。こんなの、少女漫画のイケメンにしか許されていないんじゃないのか。久しぶりに正装を着たから変な気分になっているのかもしれない。

「どうして戻って来たの……」と彼女は言いかけて「忘れ物ですか?」と顔をあげてきいた。

 目元はすっかり赤くなっている。元の顔をちゃんと見なかったが、そうだろうと推察した。

「なんで泣いてたんだ?」

 ぼくが問いかけると彼女は立ち上がった。ペールオレンジのハンドバックを手に持っていた。

「わからない」と彼女は言った。

「ハンカチは要りません。もう十分に乾きました」

 とげのある話し方だった。彼女はどうやら帰るみたいだった。

「お腹がすいているんじゃないか。空腹だと涙が出てくるって、聞いたことがある」

「たしかにお腹はすきました」

「ぼくもそうなんだよ。お昼ご飯をまだ食べてなかったからさ」

 それは嘘だった。ハンカチを渡そうとして断れた瞬間から、すべてが嘘であるような気がした。

「でも、あなたは泣いてなかった」

「映画とか観ても泣かないよ」

「わたしは気づいたら涙が出ている。ぜんぜん気が合わないね」

「どこから来たの?」

「あなたの住む場所の反対のところ」と彼女は答えた。ぼくと同じく隠し事をしているのだろう。

「ぼくたちはS高生だ。今のところ、それだけは確かだ」

「そうだね。でも、もうすぐ卒業だよ」

 そのときひらめいた。彼女はきっと将来が不安なのだ。ぼくにもそれが無いわけじゃないが、取り乱したりするほどではない。卒業はするが、進路はまだ明確に決まっていないのだ。そうに違いない。

「ぼくは特別な生徒なんだ。もしかしたら君の役に立てるかもしれない」

「特別な生徒って何?」

 彼女は歩きはじめていた。ぼくがそれを追いかける形となった。そのときにある大人と目が合った。さっき話しかけてきた人物ではない。その人は、ぼくたちのやり取りを見ていたのか、真剣な顔で控えめなピースをしてきた。なんなんだいったい。S高は戦闘民族でも雇っているのか。

「号泣するのは隠し事がある人間だけさ」

「あなたって懐疑主義者でしょう」と彼女は言った。お腹に手をあてていた。

「わかった。あなたの嘘に一度だけ乗ってあげる。その代わりにハンバーガーをおごってね。お腹がすいたのは本当なんだ」

 ぼくは言われたとおりにした。ホールから出てしばらく歩いた先にあるファストフード店でハンバーガーを二つ購入した。店の中で食べるつもりだったが、彼女がとっさに持ち帰りだと声をかけていた。

「他に食べたいものは? たとえばドリンクとか?」ときいても、

「いらない」と即答された。

 すっかり舐められているのだろうか。ぼくは暖かいハンバーガーの袋を持った途端に、現実に引き戻されるように冷静となった。こんなに自分から動いたのは初めてじゃないか、とさえ思った。

「これからどうするの?」

 彼女はそう言った。渡したハンバーガーを食べもせずに、両手で大事そうに持っている。

「家に帰る」

「うん。わたしも同じ」

 とっさに返答したが、これは間違いだった。ぼくはまだまだ話しなれていないのを自覚した。

「ぼくはS高を卒業したら、大学に進学しようと思ってる」

「どうして?」ときかれると黙ってしまった。そういう回答をしなくとも学力試験さえ通れば入学できるので、答えを用意していなかった。

 彼女は、ほらね、と言わんばかりに満足そうにぼくの顔を眺めた。理由を尋ねられても、あなたは答えられないでしょう、とでも思っているのだろうか。そんなやつに号泣した理由なんて話したくないというわけか。

 答えを用意できないのだ。気持ちが変わったりなんてしない。深く自分の過去と進もうとしてる道を見比べてみると、どうしたって矛盾が残る。ぼくは社会に最適化されるためだけに生まれたのか。いやいや、そんなのは騒音なんだよ。考えると支障が出るだけなんだから。それでずっと失敗してきたんじゃないか。

「あのね、わたしって誰の感情でもない」と彼女は言った。

「どういう意味?」となぜかぼくは怒りっぽく言った。また、間違えた。

「高校を卒業したら、わたしは変わってしまうの」

 そう言ってハンバーガーを地面に落とした。

「こんな軽いものだって持てなくなる。つまり、両手が無くなるんだ」

「何だよそれ、体に病気でもあるのか?」

「そういう決まりなの。わたしは元々、肩から先の部分を無くして産まれたから、それがもとに戻るだけなんだ」

 淡々とされる説明に恐ろしくなった。この人はいったい何を言っているだろうか。ぼくなんかでは想像もできない世界に居るのか。まったく理解できない以上、深入りしない方がいいのではないか。しかし、ぼくはやはり部屋で泣いたときを思い出していた。

「そんなのおかしいじゃないか。どう考えたっておかしいよ。なんで受け入れるんだ。落としたものはちゃんと拾えよ。それは、きみに希望されてぼくが買ったんだ。捨てたまま立ち去ろうとするな!」

「さっきも言った。わたしはあなたの感情じゃない。勝手に声を荒げたりしないで」

 ぼくは彼女の腕をつかんだ。引きちぎれるくらい強く掴んだ。

「ちょっと辞めてよ。痛いって。そういうのじゃないんだって。そんなの意味がないんだって」

 腕は掴めても足がまったく動き出さないのが、ぼくの答えのようだった。そうだ、ぼくは無力だ。逃げても責任が取れるだけの能力はない。今だって、彼女の顔さえ見えない。

「手が無くなっても生きてはいける」と彼女は言った。

「それに、そうした方が、わたしの村のおばあちゃんやおじいちゃんたちは喜ぶ。反抗したら、みんなが悲しむだけ。あなたもそういう経験はあるでしょう?」

「そんなやつら、忘れてしまえよ」

「なにそれ? 他の子が犠牲になるだけじゃん」

 出会ったばかりだ。出会ったばかりは互いを死人のように扱うものだ。


(了)

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