如月駅 Ep.8
俺達はどうすることもできないまま、無意味に行列を追いかけた。
肩を掴もうとしても、足を引っかけようとしても、体当たりしようとしても、彼らの体に触れることはできない。課長なんて銃をぶっ放したが、銃弾は地面にめり込むだけだった。もし、当たったらどうすもりだったのか知りたい。
そして駅まで戻ってくる。尊大に鎮座する列車砲の隣、二番ホームに滑り込んでくる赤い電車が見えた。
まずい。
彼らをこのまま、行かせてはならない。
あの電車に乗せてはいけない。、
それは直感などではなく、明白な確信。なぜ、そんなに自信があるのかというと、電車の行き先が表示が『黄泉』となっているから。これほど、分かりやすい渡し船はない。三途の向こうへ直行だ。
『電車が参ります』とオレンジの文字が灯る。歪んだメロディーが流れ出す。それは祭り囃子と絡まって、脳を”ぐしゃぐちゃ”にかき回す。
扉が開き、実体のない人間達が、車両に乗り込む。ついでに、課長と黒川も。はいっ?
「何してるんですか!」
「運転席を制圧し、列車を止める」
課長は客席と運転席を隔てるガラスを警棒で割り、そこに指を突っ込んで、鍵を内側から開ける。俺は恐怖を押し殺して、列車に入ろうとする、しかし……
『駆込乗車はご遠慮ください』パチン、と扉が閉まる。信号が赤から青に変わる。甲高い警笛が鳴り渡り、運転席のレバーがひとりでに動く。列車が加速を始める。課長と黒川はブレーキハンドルを引っ張るが、びくともしない。
まずい、このままじゃ……。
青く輝く信号機に目を戻す。彼らにもし『信号を守る』という概念があるのなら……。俺はホルスターのボタンを外し、銃のグリップを握る。安全装置を解除して、照星を信号機の緑に合わせる。乾いた銃声。思いのほか、小さな反動。緑色のガラスが砕け散り、列車は奇声をあげて停止する。車窓に映る人型のシルエットがつんのめって、ドミノみたいに倒れた。
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列車の急制動は、肉体を取り戻した乗客と課長達を床に叩きつけた。幸いなことに『生き返ったそばから頭を打って、あの世へ直行!』となった者はおらず、全員、自力で怪異対策庁の黒い車両まで歩いた。生存者の収容が終わると、列車は後ろ向きに走り出す。
「いってててて」負傷者で溢れる閉鎖空間。その中で一番、重傷なのがこのロック少女(仮)。パックリ裂けた額から、ダラダラ血が流れている。
「大丈夫ですか?」黒川は皮膚を縫って止血し、少女の額に包帯を巻く。
「まぁ、なんとか。ロックやってるんで」意味は理解はできないが、そう言って指で作った拳銃を額に当てる彼女の仕草に、かっこよさを覚える。それに引き換え……。
「もっと、丁寧にやってくんない。あと、どうせ手当されるなら、男じゃなくて、そっちのお姉さんにやってもらいたいんだけど?」金髪のタンクトップが言う。ムッとしたので脱脂綿に、余計にアルコールを染み込ませ、男の傷口に塗りたくる。
「下手くそ、痛いてぇんだよ!」この人、置いていっていいですか。この場に課長がいたら、そう質問したはずだ。
軋んだ音を立て、鉄扉が開く。現われるのは、もちろん課長。嘘です。そんなこと聞けません。
「手当は終わったか?」
「はい」黒川が言う。
「はい」俺も答える。タンクトップが怪訝な目で俺を睨む。かすり傷くらい、赤チンかアルコール消毒で十分。
「よし、なら外に出ろ」列車が停止する。また、あの真っ暗い空間に放り出されるのか。手当を続ける振りをしていればよかったな、と後悔した。
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列車の最後尾。買い物袋からはみ出た大根のような鋼鉄製の円筒。列車砲の砲身は真っ直ぐ、闇の向こうのボンヤリした白い光、『如月駅』を見据える。
「生存者、少なかったですね」典型的な体育会系の例に漏れず、いつも五月蠅うるさいくらい声を張り上げる黒川にしては、その声は低く、小さかった。喪服のように黒い瞳はどこか虚ろで、視線も地面に向いている。一連の神隠しで消息を絶った乗客は42名。今回、救助したのが12名。あとの30人は……
「おそらく、もう……」赤い電車に乗って、戻れない場所に行ってしまったのだろう。別に俺達が罪悪感を感じる必要はないだろうし、生存者を見捨て、逃げようとした俺が言えた権利はない。だが、『もう少し早ければ』と考えてしまう。
うつむく黒川の肩が揺れる。
男より厚みのある彼女の肩の上に、馬場先輩の手が乗っていた。いつのセクハラじみたものではなく、初めての葬式に戸惑う姪を励ます叔父みたいな手。俺の肩にも重みが掛かる。
「お前らどうした、元気ないぞ?」
「いえ、あの……」距離感が近すぎて、どう反応していいか分からず、しどろもどろになる。
「大丈夫です」一方の黒川はそう言って胸を張るが、硬い口元、青くなった肌、そして輝きを失った瞳で、強がっているのが丸わかりだ。
先輩は僅かの間、逡巡した後、『いいことを思いついた』と自慢する子供みたいな顔で切り出した。
「黒川、撃ってみるか?」
何を、と問うまでもない。目の前の巨大な大砲だろう。
「いいんですか!」さっきまでの憂鬱が嘘みたいに吹き飛び、黒川のテンションがみるみる上がっていく。まるで、バブル期の株価みたいに。今にも扇を手にしてパラパラかサンバを踊り出しそうな勢いだ。
「いいんですか?」こんな軽いノリで撃たせて。
「構わん」上の方から声がした。課長が梯子を下りてくる。そして、地面と枯れかけの草を踏みつける。
「照準は合わせた。ぶちかましてやれ!」課長まで、そんなことを言う。
「了解」黒川は梯子を伝って、列車砲によじ登る。
「操作方法は自衛隊の榴弾砲FH70と同じだ。打ち方は分かるな」
「任せてください。普通科の前は野戦特科砲兵部隊にいたので」彼女に対し、脳筋なイメージを持っていたので以外に思う。ああ見えて、計算が得意だったりするのだろうか。それとも、その辺りは機械か他の人がやってくれるのだろうか。そんなことを考えていると、課長が近寄ってくる。
「これを着けていろ」
「なんですか、これ?」課長から受け取ったのは、布のような皮のようなザラついた感触。手元が暗くて、それが何かは分からない。
「ブラジャーだ」
「ほぇっ?」突拍子のない言葉に、一瞬、脳がフリーズする。再起動ともに、課長と一緒に入った温泉を思い出す。課長の下着は、どんなだっけ。思い出そうとするが、全く記憶にない。だが、課長がブラを着用していたとすれば、流石に印象に残るはず。もしかして、今もスーツの内側に……。
「そうじゃない。耳を保護するための、防音用だ」
あぁ、なるほど。安心したが、少し残念
「何を想像していた?」
「いえ、なにも」あなたのヌード姿を頭に浮かべてましたなんて、言えるはずがない。大人しく、それを被る。踏切の高い音が遮断される。音が耳当てをしただけなのに、背徳的な気分になる。
月が雲に隠れ、列車砲の影の色がいっそう濃くなる。草木の揺らめきが、波紋のように広がっていく。
「よし、撃て!」
「発射!」
『ドォォーーン』と爆発音がというよりか、衝撃そのものが鼓膜と三半規管を襲う。一瞬だけ昼間のように明るくなり、砲身の影が大きくが揺れたのが分かる。チク、タク、チク……、と秒針が三回、時を刻んだところで如月駅は爆散した。瓦の破片が宙を舞い、燃える木片が降り注ぐ。駅があった場所には、積み上がった瓦礫とホームの名残を見せるコンクリート以外、何も残っていない。
課長は再び列車砲に登り、砲身のつけ根から生えるハンドルを回す。円筒が時計回りに旋回する。薬莢が排出され、新しい弾が込められる。砲身が次の獲物に向ける眼光は、虫を丸呑みにしようと首をもたげる蛇。大根なんて言ってすみません。
「発射!」
課長の号令で、黒川はレバーを引く。聞いただけで寿命が半分になりそうな心臓に悪い轟音が、鼓膜を揺らす。遅れて、永遠に切り替わらない信号を待つ赤い列車がはち切れる。竜のような炎が窓から吹き出し、その長い尾が車体に纏わりつく。車体に収まりきれない炎の赤色が、伸びっぱなしの草地を赤く照らす。延焼しないか不安になる。
列車砲は再び標的を変え、そして砲弾を放つ。最後の目標は自動改札機の墓場。榴弾の破片が、死にかけのガラクタ達を無機物に還元する。機械がズタズタに引き裂かれる光景は、無慈悲で、暴力的だったが、彼らが炎に包まれていく様子に火葬を連想した。
「よくやった」課長は呟くように言った。
「よくやった」いつの間にか列車砲の上に移動した先輩が、黒川の頭を撫でようと手を伸ばすが、『ぺシンッ』と小気味いい音とともに、暴力的に振り払われる。
「ありがとうございます」黒川は課長に向き直り、満面の笑みを浮かべる。大砲を三発、ぶっ放してこの顔だ。彼女のキラキラした表情に、怪異とは違う姿の恐怖を感じる。
ヘッドホンみたいな耳当てを外す。ずっと鳴っていた踏切の音が、病人の心臓が鼓動を止めるように、ひっそり消えていた。あれだけ激しく燃えていた炎も、いつのまにか沈まっている。光も音もない、完全な虚無。この世界自体が、中身と意味を失った、空っぽの箱みたいに感じられた。
「よし、帰るとするか」課長の言葉で黄泉方面の反対、おそらく現世に繋がるトンネルを振り返る。漆黒とはまた違う、藍色の闇。日常にありふれた、平凡な闇があった。
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