第11話 衝撃
「栗本さん?どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない……」
︎︎楠さんが心配そうに聞いてきたけど、それどころではなかった。……どうしてあのふたりが、一緒にいるんだろう。
「まゆり、僕はあのふたりを追いかけてくる」
「わかった、お願い」という言葉を、目で伝えてライアーはスっと姿を消した。
私は、あのふたりの光景を見た瞬間、動揺を隠せなかった。私とは真逆にライアーは冷静なまなざしで捉えて、落ち着いているように見えた。
︎︎ 楠さんと五十嵐くんとのせっかくのお昼は、水野さんとザクロの歩いている姿が頭から離れなくて、あまり楽しむことができなかった。
*
「……ねぇ栗本さん。今日のサッカーの時、死神の力借りたでしょ?」
「…………」
────私は今、水野さんに呼び出されて校舎裏にいる。
……ここには私と水野さん、そしてライアーとザクロがいる。
︎︎緊迫した空気の中で、ここでは嘘やごまかしは利かないと私は悟った。
「今日だけじゃなくて、昨日の数学のミニテストで満点取ったのも、本当は死神に助けてもらったんでしょ」
……ごもっともだ。
────全て話すべきなのだろうか。けれども、言葉は喉元に詰まったままで、吐き出したいのに唇は固く閉鎖されている。……苦しい。
︎︎すると、苦しくなったところに、赤紫の手袋を付けたライアーの手が私の肩を包んだ。……サッカーの時とはまた違った、気が緩んだら涙が出そうなほど優しい触れ方だった。
……このまま連れ去ってくれたらいいのに。
「まゆり。大丈夫だ、大丈夫……」
「……ねえ、ライアー、私……」
私がライアーに
「──漆黒さまぁ?? ……いつになったら美味な魂に仕上げて食べるんですか? 俺はもう、待ちくたびれましたよ」
「……まだ、まゆりとは会って1ヶ月も経っていないじゃないか」
「違いますよ。今まで一体何十年待ってきたと思うんですか。こんな弱くて失敗作の人間ばかりを優先して、いつも俺との約束を簡単に破っていく。毎回1年、2年と同じ人間の隣について良いように使われて……一向に食べようとしない」
︎︎ザクロがそう言い終わると、水野さんがモヤモヤした様子で、ザクロを見る。
「……ねぇ、ザクロ。私は漆黒様の姿や声はわかんないから、状況を教えて」
……どうやら、水野さんの目にはザクロと私しか見えていないみたい。
ライアーの姿は見えなくとも、オーラ的なものは感じ取っているのだろうか。
……にしても、私は“失敗作の人間”か……。その通りすぎて、悲しくも悔しくもなかった。
「あぁん? ……あーめんどくせぇな。 今は、漆黒様に今までの想いを伝えてるんだよ」
「あっそ。……というか、そろそろ何か喋ってもいいんじゃない? 栗本さん」
黙っている私に、不快感を
「……水野さんは、いつ“ザクロさん”のことが見えるようになったの」
︎︎もはや何から話せばいいか分からないけれど、とりあえず頭に浮かんだ疑問を聞いてみた。
……それから、心の中では「ザクロ」呼びだけど、何をされるか分からないため「ザクロさん」と言うことにした。
「昨日の夜だよ。……私とザクロはね、“手を組む”ことにした!」
「“手を組む”ことにした……? え、……二人は何をしようとしているの」
「今は話せないけど、栗本さんが漆黒様と一緒に過ごすように、私たちもそうすることにしたわけ! あ、それとこのことは誰にも言わないから安心して!……だって死神と生活してるなんて、みんなに馬鹿にされちゃうでしょ?」
︎︎満面の笑みで意気揚々と話す水野さんは、ザクロとは違った怖さを感じる。思わずギュッと自分の左腕をつかんだ。
「じゃあ、私そろそろ塾に行かないといけないからまたね!」
「あ、うん……」
︎︎水野さんが軽やかな足取りで、校門の方の道へと進んでいくと、ザクロもその後ろをついて行った。
︎︎ すると、ザクロがグルっとライアーの方を向く。その拍子に、パーマのかかった黒い前髪が目にかかる。
「漆黒様。……俺は、貴方が思っているほど馬鹿じゃないんですよ」
︎︎そう不敵な笑みを浮かびながら、話したザクロはいつものふざけた感じはなく、どこか真剣で寂しさがあるように感じた。私の気のせいだろうか。
「……まゆり、僕たちも帰ろう」
「……うん、そうだね」
︎︎空を見上げると、鉛色の曇り空が果てしなく広がっていた。
*
︎︎ 帰り道は、しばらく沈黙が続いた。
︎︎ すると、この沈黙をかき消すように大粒の雨が降ってきた。最近は晴れていたこともあって、傘は持ってきていない。
その時、隣を歩いていたライアーは、私の背後へと回り、自身の着ていたロングコートを脱ぐと、私の頭上を覆うようにコートを広げて持った。
……雨で濡れないようにしてくれていると分かっているのに、私は「ありがとう」と伝えれなかった。自分でも分からない。
「……自分の感情が分からない」
︎︎もう何を話したらいいのか、考えるのも億劫になった自分の今の心情を伝えた。
「……自分を深堀りしてみるんだ。 ゆっくりでいい、しんどくなったら途中でやめてもいい。……自分の深層部分まで行けなくとも、きっと何も“分からなかった時”より気持ちに整理がつき、楽になるはずさ」
︎︎ 大粒の雨の音にかき消されたと思った私の声は、しっかりとライアーの耳に届いていた。ライアーの声も、特別大きな声は出していないはずなのに、不思議と私の耳にスっと入ってきた。
「……前から思ってたけど、どうしてライアーは深掘りを勧めるの? 先生や友達は、“困ったことがあれば相談して”ってまずは口を揃えて言うのに」
「……相談することですっきりしたり、解決するという人がいるように、相談せずとも自分一人で解決できたりすることはある。……まゆりは、周りの人に“相談する”のを、頑なに拒んでいるように僕は見える。 だからまゆりには、自分の曖昧な心を深掘りすることを勧めた」
「そっか……」
……本当にどこまで私の事を熟知しているのだろう、この死神は。
︎︎私の視界に時々入るライアーの手首は、想像以上に真っ白で細くて、頼りなくて、消えそうで怖かった。
「──ただいま」
「おかえり、雨すごかったでしょう? ……あら、傘持って行ってたの?」
「あ、ううん。……友達の傘に入れてもらった」
「友達が傘持ってて良かったわね。……あ、お母さんはそろそろ仕事行くから晩御飯は、自分で温めて食べてね。ハンバーグ作っといたから」
「うん、ありがとう」
︎︎ほとんど濡れていない私を見て、お母さんはてっきり傘を差して帰ってきたと思ったみたいだった。だから咄嗟に嘘をついた。
……私の曇った心を見破られないように、いつものように明るめに接した。
そして何故かライアーは、背後にはいなかった。……部屋で待っているのかもしれない。
︎︎お母さんと話した後、あまり雨に濡れなかったもののお風呂に入ることにした。……何となく一人になりたかったからかもしれない。今、自室に戻っても多分、ライアーはいるはずだから。
ライアーのことだから、しばらくは静かにいるはず。 だけど、今は自分一人しかいない空間で、じっくりと深掘りしたいと思った。
︎︎シャワーから出る水の音か、外の雨の音なのかよく分からない中で、私の中の鬱々とした気持ちの正体を突き止める。
──私はまず、最近起きたことを遡ってみることにした。
────ライアーと出会い、楠さんと五十嵐くんと仲良くなった。それから私の理想である、“文武両道”を実現するために、数学のミニテストや体育のサッカーを、ライアーに手伝ってもらった。
……そして今日は、水野さんとザクロが手を組んだ事実が発覚した。
── サッカーをした時まで、私の気持ちは明るかった。 ……やっぱり水野さんとザクロの時だ。その時から私の心は曇った。
︎︎お風呂場の鏡を見つめながら、今日の放課後の出来事を、脳内で何度も再生しては、巻き戻してを繰り返した。
︎︎自分がコンディショナーをしたのかどうかも覚えてないくらい考えた末、やっと納得のいく答えが出た気がした。
────この鬱々とした感情の根源は、“衝撃”だ。
……私はこの数少ない、“死神が見える人間”だ。
私だけが死神を見ることができる、特別なんだと思っていた。……けれど、まさか同じクラスで、しかも嫌いな人が、死神を見ることができると知ってショックだった。 理由は、一気に特別感が減ったからだ。
その衝撃に、
────ライアーが私の元を離れて、水野さんの元へ行ったらどうしよう。
────もし、せっかく仲良くなった楠さんや五十嵐くんに影響が出て、嫌われたら……
────自分が耐えきれないほどの絶望が襲ってきそうで怖い。
というような、不安や怖さが複雑に
︎︎ 深掘りして、気持ちを整理できた瞬間、心が少し軽くなった気がした。
︎︎いつもより明らかに長かったお風呂に対して、ライアーは何も言わず、リビングの椅子に座っていた。 お母さんは、私がお風呂に入っている間に仕事に行ったようだ。
︎︎頭にバスタオルをかけた私と目が合うと、ライアーは椅子から腰を上げた。
「……ライアー。私、深掘りできたよ」
────確かに深掘りはできた。時間はかかったけど、やって良かったと思ってる。
……でも、どうしても求めてしまう。
────不安と怖さで形作られた檻から、出してくれるような言葉を。
「……それは良かった」
︎︎それだけライアーはそう言うと、私の目の前まで来た。
「……毛先から水滴が落ちて、服が濡れてる。ちゃんと拭かないと風邪を引いてしまうよ。……ふふっ、これじゃあ風邪をひかないように、雨の中コートを広げた意味がなくなるじゃないか」
︎︎そう陽だまりのように、微笑みながら言うライアーは、私の頭上に乗ったバスタオルを取ると、優しく丁寧に頭を拭いてくれた。
ライアーは赤紫の手袋をしているのもあって、体温は感じないけれど、とても暖かく包んでくれて……気づけば涙が頬を伝っていた。
「───まゆり」
「……ん、な、……なに?」
「……僕はずっとまゆりの傍にいる。まゆりがいきたい道を選べばいい。どの道を選んでも僕は、変わらずここにいる」
「……っ!うん……ありがとう」
︎︎やっと誰かに私という存在を、認めてもらえた気がした。
解放と安堵で、ポタポタと流れる涙が足元で弾ける。
︎︎ライアーは、髪に着いた水分をある程度拭き取るとドライヤーをし、
……髪と耳にあたる絶妙な温風と、頭皮にあたる櫛の感触が、眠りそうになるほど気持ちよかった。
「……はい、終わったよ」
「……ありがとう、ライアー」
︎︎あれ、この感じどこか懐かしさがあるような……。
────ああ、そうだ。
私のお父さんだ。
私がお風呂から上がると、洗面所で待ち構えているお父さんがよく私の頭を拭いて、
ライアーはその手つきによく似ていた。
寒い2月なのも、ライアーの体温を感じないのも関係ないくらい、暖かくて心地よかった。
︎︎窓を見ると、先程の雨は止んでいて、灰色の空に一筋の光が差していた。
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