第6話 幸せに……

  部屋の中がシーンとしている。僕は、その静けさに耐えられず、「あの……」と先生に話し掛けた。先生は、僕の右足首から視線を上げて、「何ですか」と訊いた。


 さらさらとした、くせのない髪。白い肌。すっとした眉。涼やかな目。その目が僕をじっと見ている。今までですら凝視されたらドキッとしていたのに、あんな告白を受けたら余計に鼓動が速くなってしまう。


「先生。変な質問してもいいですか」

「変な質問……ですか? そうですね。答えられない質問だったら、聞かなかったことにします。それでも良ければ、どうぞ」


 僕は落ち着く為に、深い呼吸を繰り返した。先生は、僕の次の言葉を待っているのか、何も言わない。僕は、意を決して口を開いた。


「先生。僕のこと……いつから好きでいてくれたんですか」

「あ。そのことですか。良かったです。それなら答えられます」


 先生は、眉一つ動かさずに普通に言う。


「君と出会った時からですよ」

「え。そんな早くですか? じゃあ、僕が和寿かずとしを好きになったのを知って、嫌な気持ちになりましたか?」


 自分でも、何て質問をしてるんだよ、と突っ込みながらそんなことを訊く。先生は静かに立ち上がると、


「嫌な気持ちなんて、そんなことはありませんでしたよ。ただ、油利木ゆりきくんには彼女がいてその人が伴奏をやっていたわけですから、いくら油利木くんが望んでも伴奏を引き受けるのはやめておいた方がいいのではないかと思いました。君は油利木くんを好きですけれど、油利木くんには彼女がいる。たぶん、好きになるのは異性。君がどんなに想っても勝ち目はないから、伴奏をやるようになったら辛い思いをするだろう、と思いました」


 その頃を思い出しているのか、何だか遠い所を見ているような目つきになっていた。


「僕はね、吉隅よしずみくん。君に幸せになってもらいたいんです。それが、僕の幸せなんです。だから、油利木くんと付き合うことで君が幸せなら、それでいいと思っていました。でも……」


 先生は、そこまで言って、口を閉ざした。僕は、フーっと息を吐き出すと、


「先生。ありがとうございます。先生は、本当に僕の心配ばっかりしてくれるんですね」

「それはそうでしょう。だってね、僕は君を好きなんですから」


 また言われてしまった。頬に熱を感じる。きっと赤くなっているのだろう。恥ずかしくて、思わず俯いた。と、先生の手が僕の髪を梳いて来た。僕が顔を上げると、先生は微笑み、


「今日は、僕おかしいんです。さっきも言いましたね。これで帰ります。長田ながたくんの提案、結果をどうしたか教えてくださいね。大晦日、予定は入れません。君の演奏を聞きたいですからね」

「先生……」

「それでは、さようなら。無理しないで下さいね」


 先生は、僕に背を向けて歩き出した。僕はゆっくりと立ち上がり、その後を追った。


 玄関で先生が靴を履いている時、ドアを開けた。先生は、ドアのすぐそばに立つ僕を見上げながら、


「結果、教えてくださいね。約束ですよ」

「はい。約束します。明日、必ず電話します」


 先生は、僕の横をすり抜けて軽く頭を下げると、


「お邪魔しました。おやすみなさい」


 背中を向けて、歩き出した。僕は慌てて、「おやすみなさい」と声を掛けると、先生の後ろ姿を見送った。


 ━━オケとの共演後、何てことになったのだろう。


 大きな溜息を吐いて、ドアを閉めた。

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