最初はどうなることかと思っていたが、ルガー子爵夫人との会話は、意外と言うかなんというか、とても楽しかった。

楽しくて、ブローチの件がうやむやになってしまったほどだ。


 ルガー夫人の実家は兄弟が多く、先日の夜会で先に帰った薄情者は3番目の兄だそうだ。

 末っ子で可愛がられているルガー夫人を夜会に置いて帰ったことで、あの後家族から相当怒られたのだとか。

 あの日はやはり、兄上はご令嬢と上手くいきかけていたらしい。

 相手の女性は男爵家の跡取り娘だったらしく、3男でごく潰し中、親が死んだら継ぐ家もなく、次の代は平民になるという状況で、必死だったとのことだ。


 貴族の子どもは貴族籍だが、爵位を継げなかった場合、その更に子どもは平民になる。

 それを避けようと必死になる気持ちは、分からないでもない。

 俺だって、ハウケ伯爵家に養子になっていなけりゃ、似たような身分だった。

 その他にも、王都でおすすめのパン屋の話や、ルガー子爵家の使用人たちの面白おかしいエピソードだの、とても話題が豊富だった。


 

 気が付けば、ルガー夫人からいただいたフルーツのケーキを2人して何度もおかわりをして、陽の光の色がオレンジになっていて、喉が痛いくらい、夢中でしゃべっていた。

 子爵家当主代理は、伊達ではない。


「……そろそろ、お時間のようです、ルガー夫人」

「あら、そうかしら。……まあ本当、こんなに陽が落ちて。楽しすぎてあっと言う間で、気が付きませんでしたわ」


 その言葉に、嘘はなさそうだ。

 俺も、夫人も本当に純粋に、おしゃべりを楽しんでいた。


「次はいつお会いできますか?」

 まるで次があることを一切疑っていない様子のルガー夫人は、屈託なくそう言ってきた。

 両親と、3人の兄たちと、2人の姉に可愛がられて、嫁いだルガー子爵も、随分と年の離れた夫人をとても可愛がっていたらしい。

 社交界でも可哀そうだとなにかと世話を焼いてくれる人がいて、ルガー子爵家の使用人たちも、この夫人をよく守っているようだ。


 この人は、こうやって誰からも可愛がられて、守られて、そうされるのが当然と思って生きてきたんだろう。

 

俺だって好きか嫌いかと言えば好きだ。

 友人としてなら、いくらでもいつまでも話していられるし、助けてあげたくなる。


 しかし……。


「すいません。次に2人きりでお会いすることは、ないと思います」

 ルガー夫人は、信じられないというように、静かに目を見開いた。

「夜会のお礼はフルーツケーキ、で十分ですから」

 ケーキと、今日の楽しい時間、と言いかけて寸でのところで止める。


 これからお断りをするというのに、そんな期待を持たせるようなことは言うべきではない。

「私のなにが、悪かったのでしょう」

「いいえ、あなたに悪いところなどありません。何一つ。私がどうしようもなく頑固で、ただ一人しか愛せないだけで」


 もう刷り込みかもしれない。

 幼い頃からの思い込み。

 これが恋なのか、家族の愛なのか、ただの意地なのかさえもう分からない。


「このブローチを、お返しします」

 今日の話し中、ずっとテーブルの端に置いていて気になったブローチを、改めて差し出す。

「これはもう、あなたに差し上げたのですから、あなたの物だと申し上げましたわ、セドリック様。……どうしてもとおっしゃるなら、捨ててください」


 少しの罪悪感が、心に影を落とす。

 だけど俺は薄情者なんだ。

 実を言うと、初恋の女の子と、ハウケ伯爵領以外、誰がどうなっても、結構どうでもいい。


「分かりました。捨てます」

 きっとこれから、社交界で薄情な男だと評されることになるだろう。

 あれだけ噂になった可哀そうな未亡人を袖にして、もらったブローチを無情に捨てるのだから。

 でもきっと今日、今お断りしないと、とり返しがつかなくなる。

 引き返すなら、今しかない。

 例えブローチを捨ててでも。


「……そうですか」

「はい、申し訳ありません。……カミール!」

「はい、セドリック様」


 会話は終わりとばかりに呼ぶと、どこにいたんだか気配を消して控えていたらしいカミールが、すぐに返事をした。

 実はお茶の途中から、完全に気配を感じなかったので、もう近くにいないのかと思っていた。

 

いないかもしれないと思いながら、半分冗談で声を掛けたら、本当に返事が返ってきて驚く。


「ルガー夫人を、門までお送りしてくれ」

「かしこまりました」


 うやうやしくお辞儀をしたカミールが、ルガー夫人にこちらですと声を掛ける。


 ブローチは、オークションにでもかけて、売上金をルガー子爵領の孤児院かなにかに寄付をしよう。

 そう考えながら、席を立って見送る。

門の方へと歩いていくルガー夫人の後姿を眺めていると、彼女がおもむろに、くるりと勢いをつけて振り返った。


「あの! すみませんセドリック様!」

 その切迫した声に、俺はまた、いくら縋られてもきっぱり断らなければと気を引き締める。


 なんと言われようと、俺の決意は変わらない。

 ……少なくとも、今すぐには。

 こんなに簡単に他の女性目を向けられるくらいなら、とっくの昔にやっている。

 ルガー夫人はとても、気が合うと思うけれど。

 そんなにも好いてくれるのは単純に嬉しいけれど……


「セドリック様。本当に本当に、そのブローチ、捨てられるのですか?」

「え? あ、はい」

 正確に言えばオークションにかけて、売上金を寄付しようと考えていたのだが、まあ手放す事には、変わりない。



「では…………やっぱり返してください!!」



*****



「いつまで笑っておられるのですか、セドリック様」

「くくくっ。はーっはっは。こんなに笑ったのは久しぶりだ。大物だなぁ、ルガー夫人」


 ルガー夫人が帰った後、少しは仕事の続きを進めようと思っていたが、全く手に着かず、捗らなかった。

 今でも帰り際の彼女を思い出すと、笑いが止まらない。


 ルガー夫人は、気持ちいいくらい素直で正直に、「やっぱり捨てるなら、もったいないので返してください! あ、このブローチのことは他の人には内緒にしましょう。今日はただ、先日夜会で助けていただいたお礼に来ただけということでお願いいたします!」と俺に念を押して、ブローチを受け取って帰っていった。

 こちらとしてもルガー夫人が、ただ夜会のお礼をしただけで、男女のあれこれなど一切なかったと言ってくれるのはとても助かるので、一も二もなく、「ではそういうことで」と頷いた。




 見た目よりも大分ちゃっかりしていた。

 人は見かけによらないものだ。


 彼女はきっとこうやって、これからも逞しく、誰からも助けられ、社交界をするすると生き抜いていくのだろう。





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