第304話

「お前のことは俺が守る。だから、泣かないでくれ」 

「あっ……」

 

 とさり、とソファに優しく押し倒された。覆いかぶさって来た宏ちゃんに、唇を塞がれる。

 

「ん……、ひろちゃ……」

「成、好きだよ」

 

 甘いキスに酔わされながら、ぼくは広い肩にしがみついた。頭がぽうっとして、もう何も考えたくないような気持ちになる。

 言葉も、思考も全てさらうように絡む舌に、なすがまま……全部投げ出してしまいたい。

 

 ――『あなたは、それで良いのか』

 

 不意に、お兄さんの怒りに満ちた低い声が脳裏を過る。

 

「――!」

 

 ぼくは、咄嗟に広い胸を押していた。

 

「ま、待って」

「……どうした?」

 

 宏ちゃんは、目を瞬いている。

 ぼくは、濡れた唇から目を逸らし、おろおろと口にした。

 

「あのっ……綾人のことなんやけど。何があったか、知りたい」

 

 ぼくの問いに、宏ちゃんは「あ」と呻いた。

 

「……そうだった。兄貴から聞いたんだよな?」

「うん。えと……お兄さんは、宏ちゃんが綾人を遠ざけたって言ってて……」

 

 そっと尋ねると、宏ちゃんは目を伏せた。

 

「本当だ。……ごめんな」

「……なんでって、聞いても良い?」

 

 すると、宏ちゃんはぼくの頬を包んだ。怪我はすっかり治っているのに……すでに去った痛みまで、労わるような手つきで。

 

「綾人君と兄貴を、お前に近づけたくなかったんだ。今後も、こないだのようなことを繰り返すとわかるから」

「宏ちゃん……」

「お前が、綾人君を大切に想っているのを知ってる。それでも、俺は……すまない」

 

 そう、苦し気に吐露した宏ちゃんを、ぼくは沁みるような気持ちで見つめていた。

 

 ――ぼくの為に……ひとりで、抱え込んでくれてたんやね……

 

 これ以上、もう何も聞く必要が無かった。

 だって、宏ちゃんはさっきも言ってくれたもの。――成を守る、って。だから……ぼくのために、苦しい決断をしてくれたんよね。

 じわりと瞼が熱を持つ。

 

「ごめんね、宏ちゃん。ぼく、守ってもらってばっかりやね……」

 

 頬を包む手をきつく掴む。この優しい人に、綾人を突き放させたんだと思うと――涙が止められない。

 宏ちゃんが、はっと息を飲んだのが聞こえた。

 

「成、違う。俺が勝手にやったんだ」

「ううん。ぼく……もっと、強くなる。……もう、一人で抱え込まないで」

 

 両腕を伸ばし、宏ちゃんを抱きよせる。思いきり引っ張ったから、ぼくの上に大きな体がずしんと乗っかった。


「……っ」


 身体全部に宏ちゃんの重みを感じて、くらくらする。

 

「成っ? 平気か」

 

 宏ちゃんが、上からどこうと慌てている。……優しいなあ。つい、笑ってしまった。

 ぼくは、ぎゅうと首にかじりつく。

 

「大丈夫。ぼく……宏ちゃんの奥さんやもの。何も苦しくないよ」 

「……!」

 

 間近にある綺麗な目が、瞠られる。

 ぼくは、想いを込めて見つめた。

 

「宏ちゃん、大好き。やから……ぼくも、あなたを大切にしたいの」

 

 お義母さんの話を聞いたとき、思ったん。

 大嫌いなはずのパイナップルケーキを選ぶのは……ご両親と、ご兄姉の仲を取り持つためなんだよね。

 そうやって、当たり前に優しいあなたを……ぼくが、大切にしたい。

 

「宏ちゃん……」

 

 頬を寄せて、ぼくから唇を重ねる。

 ぴく、と宏ちゃんが固まった。それでも――愛情が伝わるようにって願いながら、たくさん……宏ちゃんにキスをした。

 

「成……!」

 

 宏ちゃんの切ない声が、ぼくを呼んだ。

 突然に、形勢が逆転する。ソファに押し付けられるように、宏ちゃんが覆いかぶさってきて、激しく唇を奪われた。

 


 

 

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