第186話【SIDE:陽平】

 繋がりをとくと、高く捧げられていた腰がベッドに崩れ落ちた。  

  

「ん……っ」

「は……熱……」

 

 二人分の荒い呼吸が、暗い寝室に響き渡る。汗に濡れた前髪をかき上げると、ぽたりと雫が落ちた。

 冷房が効いているのに、忌々しいほど熱い。

 

「……陽平……」

 

 緩慢な動作で振り返った晶が、しなやかな腕を伸ばす。目を閉じた顔が近づき、キスされた。……熱い吐息を口内に吹きこまれ、肩がぴくりと震える。

 

「……おい、っ……」

「んっ、ふ……」

 

 頭をホールドされ、深く口づけられる。汗みずくの肌が、ぬるぬると擦れあい……不快とないまぜになった情欲が背筋を走り抜けた。じっとしていると、焦れたように晶が喉の奥で呻いた。

 

「……なあ、陽平」

 

 晶のふくらはぎが、俺の腰をすりすりと撫でる。あからさまに煽る仕草は、このままもう一度……そういう意味だ。いつもなら、当たり前に乗る誘いだったけれど。 

 

「……熱ぃな。なんか、飲もうぜ」

 

 俺は身体を離し、晶に背を向ける。……なんとなく、今夜は気乗りしなかった。熱いせいだろうか。

 脱ぎ捨てたTシャツを拾い、乱雑に体を拭う。

 すると、ドカ、と肩を蹴りつけられた。

 

「……ってえ。んだよ?」

「みず……ミネラルウォーター。持って来い」

「は?」

 

 ベッドに長く伸びた晶が、三白眼に俺を睨み上げてくる。

 

「誰かさんに乱暴にされて、腰が立たねえの」

「……」

「早く持って来いよ」

 

 刺々しい口調は、不機嫌そのものだ。さっきまで、甘えていたくせに。――ひょっとして、二回目に応じなかったことが、不満なのだろうか?

 

 ――プライド高ぇやつ……やりたくねえって言ったり、やりてえって言ったり。

 

 むら、と苛立ちが胸を焼く。言い返してやろうと思ったが……ぐっと堪えた。 

 ケンカをするには、気が滅入り過ぎている。

 

「……ちょっと待ってろ」

 

 俺は軽く頭を振り、部屋を出た。

 

 

 

 冷蔵庫から水のペットボトルを二本取り、一本をその場で開けた。口をつけると、冷たい水が喉を滑り落ちていく。気だるい体に清涼感が広がり、ようやく息を吐いた。

 

「……」

 

 キッチンの調理台に凭れ、息を吐く。早く戻った方が良いのはわかるが、その気にならなかった。

 

 ――晶は、機嫌損ねると長ぇから……

 

 ああなると、いくら機嫌を取っても、気が済むまであのままだ。なら、すぐに戻る気にはならねえだろ。

 それに、一人になると、脳裏に過るのは――成己のことだった。

 

『陽平のばか。お前に、結婚したこと文句言われる筋合いないっ』

 

 顔を真っ赤にして、怒鳴って来た。上品な絽を纏う姿は、儚げなオメガそのものだったのに……ああしていると、いつもの成己だった。

 

「そういえば……ああいう風に怒る奴だったっけ」

 

 ここしばらく、まともに喧嘩していなかったから、忘れてた。

 成己は、儚い見た目に似合わず、ガキっぽい怒り方をする奴だ。わあわあ怒鳴って、泣いて……しばらくすると、ケロッとしてる。

 

――『い、いくらなんでも、はっきり言いすぎやっ。陽平のアホ!』

――『うっせーな! 不味いんだから、仕方ねえだろ!』

 

 ふと、初めて喧嘩したときのことを思い出した。たしか、あいつの作って来たメシにケチつけたら、すげぇ怒られたんだけど。

 どういう経緯だったか。

 ……センターでメシを習ってるって言うから、どんなもんかと思って、弁当を作って来いって言ったんだ。

 

『陽平っ、おいしい?』

『すげー不味い』

 

 別に、悪い出来じゃなかった。

 ただ、すげぇわくわくした顔で、俺を見てる成己に気恥ずかしくなって……色々と、きつく言っちまったんだと思う。しまった、と思ったのは、真っ赤になった成己の顔を見てからだった。

 

『流石にひどすぎ! 陽平のアホっ』

 

 泣くかと思ったら、眉をつり上げて成己は怒鳴った。俺は一瞬、あっけに取られて。――それから、売り言葉に買い言葉で、ずいぶん言い合った。


『さよならっ』

 

 その日は初めて、そっぽを向いたまま、成己はセンターの送迎車に乗って帰って行った。連絡のこないスマホに、ばつの悪い思いをして……謝ってやるべきか、悶々としていた。

 だから、翌朝、ふつうに挨拶されて驚いたんだ。

 

『おはよう、陽平』

『……はよ』

『昨日はごめんね。つい、むかついて、言い過ぎちゃった』

 

 にっこり笑う成己が、異次元の生物のように思えた。――俺が悪かったのに、なんでお前が謝るんだって、意味が解んなかった。そう言う事は、一度きりじゃなかった。

 

『陽平』

 

 喧嘩すると、成己は怒る。でも、いつもすぐにけろりとして、笑っていた。

 そんなことは、初めてだった。

 母さんも晶も、一度怒ると長いし、謝っても怒り続けるふしがある。父さんも、世間も……謝罪だけで俺の間違いを許さない。そのおかげで、俺は謝るって行為が無意味に感じて、とにかく苦手だ。

 

『なんでお前、いつも謝んの? ムカつかねえのかよ』

 

 不思議すぎて、一度聞いたことがある。成己は、にっこり笑って言った。

 

『うーん。ぼくも、言いたいこと言ってるし。そしたら、陽平と喧嘩してるのが、寂しいなあって』

 

 あんまり能天気な笑顔を見て、呆れた。なんて、ふわふわした考えの奴なんだろうって。

 でも……悪い気はしなかった。

 

「……」

 

 手の中のペットボトルが、みしりと軋む。

 

 ――あいつは、そう言う奴だった。甘えたで、お人よしで……

 

 俺と一緒に居る時間が大事だから、喧嘩はしたくないって。

 

「……だったら、どうして」

 

 今回は、怒り続けてたんだよ。俺が何回も、「晶はやましい関係じゃない」って説明してんのに、聞く耳も持たなくて。あまつさえ、あの男に頼ったりして……!

 それは、お前が俺と居ることより、あいつを優先した証拠じゃねえのか。

 

「……っ、クソ!」

 

 ダン、と調理台を殴る。

 成己がわからなかった。俺に怒り散らし、あの男の腕で泣いていた――


――俺にどうしろって言うんだよ。


 勝ち誇るように、成己を抱き去って行った男を思うと、気が狂いそうだった。



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