第140話

「えっ」 

「あ……!」

 

 きょとん、と目を丸くした宏兄に、ぼくはわれに返った。

 

 ――馬鹿~! つい焦って、直球で言っちゃった……!

 

 エッチしないの、やなんて。初めてキスした日に、「どんな奴だ」って思われちゃう。

 両手で顔を覆って、丸くなっていると――ぎしり、とベッドが軋んだ。

 

「成」

 

 低い、静かな声が降ってきた。

 

「……!」

 

 大きな手に包まれた肩が、びくりと震える。

 宏兄、何を言うんやろう? ぼくは怖くなって、捲し立てた。

 

「ち……ち、違うの!」

「ん?」 

「えと、違わんけど……そうじゃなくて……ぼくっ……」

 

 なんとか弁明したいのに、しどろもどろになっちゃう。

 焦っていると、ふわりと体が持ち上げられた。あぐらをかいた宏兄の腕の中に、閉じ込められてしまう。

 

「わかってる」

「ひ、宏兄……」

「こういうことしないのか……ってことだろ?」

「あ……!?」

 

 太腿をするりと包むように撫でられて、息を飲んだ。

 きっと、顔も真っ赤になってるはず……。宏兄の腕の中で、人形みたいにガチガチになっていたら、くすりと低い笑い声がした。

 

「可愛い」

「……っ」

 

 耳に、キスが降ってくる。額や、頬にも……くすぐったくて、ぎゅっと目を閉じた。

 

「ゃ……」

 

 ぼくの体は、燃えそうに熱くて……触れられたとこから、ジュッて音がせんのが不思議なくらい。

 宏兄のシャツに、震える手でしがみ付いていると、ぎゅっと抱きしめられた。

 

「はい、おしまい」

「……え」

 

 涙目を瞬くと、宏兄は苦笑する。

 

「無理をするな。これはまだ、怖いんだろ?」

「あ……」

「ゆっくりでいいよ。最初に言った通り、俺は待てるから」

 

 抱きしめられたまま、あやすように背を擦られる。宏兄はいつも通り、優しい香りがした。

 そのことが、なんでか凄く悲しくて……ぼくは、ぶんぶんと頭を振った。

 

「……っ、無理してないもん」

「成? どうし――」

 

 シャツにしがみ付き、切れ長の目を見上げる。

 

「ぼく……子どもっぽいし、色っぽくないからっ。宏兄、その気にならへん?」

「へっ?」

 

 宏兄の目が、驚きに見開かれる。その反応に、頬がかああと熱くなった。

 

 ――……そ、そりゃそうやん。ぼくなんか、綺麗でもないし……宏兄にお似合いでもない。

 

 なにを、自意識過剰な事言ってるんやろう……!

 死ぬほど恥ずかしくなって俯けば、やせっぽちの薄い体が目に入った。

 陽平に捨てられた、ぼくの体……

 

「……っ」

 

 ……ぼく、考えてたんよ。

 陽平が、友達のぼくを助けるつもりやったみたいに……宏兄も、弟のぼくを助けるために、傍に置いてくれたんやとしたら。

 恋人みたいには、なれへんよねって。

 

 ――でも……それじゃ、不安やったん。寄っかかってばっかじゃ、陽平のときみたいになっちゃう……

 

 やから、進みたかった。ちゃんとした夫婦になれたら、離れずにすむかもしれへんって。

 唇に、そっと触れる。――今日、はじめて宏兄が触れてくれたところ。

 宏兄が、応えてくれたって、嬉しくて……つい調子に乗ってしもた。

 

「ごめんなさいっ……忘れて!」

 

 ぼくは宏兄の胸を押して、膝から降りようとした。その瞬間――ぎゅっ、と力を込めて抱き締められる。

 

「あっ!?」

 

 顎に指がかかって、上を向かされたと思うと……唇にキスされていた。

 

  

 

 

「んっ……」

 

 驚きのあまり、きつく目を閉じる。

 温かい腕に抱きしめられながら、何度も、唇が触れ合った。……陽平と違う。触れるだけの、優しいキス。

 なのに……チャペルでしたキスとも、全然違う。

 もっと、うっとりするほど甘くて、体が痺れるみたい。

 

 ――こんなの、しらないっ……

 

 ぼくの唇が、愛でられてる。温かくてしっとりした唇に、言葉以外の方法で……。 

 息を吸うと、鼻にかかった甘えた声が出てしまう。

  

「……かわいい、成」

「ぁっ」

 

 つやめいた声を唇に吹きこまれ……熱く目が潤んだ。

 必死にしがみ付いていると、強張った肩を撫でられる。五本の指で、優しく宥められて、ぞくぞくした震えが背筋を走りぬけた。

 

「……あぅ……っ」

 

 また、唇が重なる。大きな手に頬を固定されて、ぼくは燃えそうな頭の中で、激しい鼓動の音を聞いた。

 宏兄のフェロモンは、苦しいほどで……森の香りに、お腹がじわじわと甘痒くなってく。

 

 ――……からだ、あつい……

 

 長いキスのうちに――唇をぴったり合わせたまま、背中がベッドにくっついてしまった。

 

「……ひろにいっ」

 

 涙に滲んだ視界に、天井を背負った宏兄が映ってる。

 覆いかぶさられて、はじめて……宏兄の大きさを、思い知らされた。――強くて、大きいアルファ。きっと、ぼくがどんなに暴れても、逃げられへん。

 ぞくん、とお腹の奥が震えた。

 

 ――……恥ずかしいっ……こわい……!

 

 ひぐ、と喉が鳴った。

 あっと思ったときには――火のように熱い頬を、涙がとろとろ零れてく。

 

「――成」

「……あ、違っ」

 

 な、泣いちゃダメ……! どうして……せっかく、宏兄がしてくれてるのに。

 涙を堪えようとすればするほど、しゃくりあげてしまう。

 

 ――どうしよう、どうしよう……!

 

 拒んだときの陽平が脳裏をよぎり、お腹の底が冷たくなる。

 嫌われたくない。身を捩って、みっともない顔を隠そうとしたとき……頬に、やわらかいものが触れた。

 

「……っ?」

「……大丈夫だ」

 

 涙に濡れる目尻に、キスされる。

 包むように、抱きしめられて……ぴったりと合わさった胸から、ぬくもりが伝わってきた。

 

「成が好きだよ」

「……!」

「お前が可愛くて、仕方ない……お前ほど可愛い子は、他にいないよ」

「……っ……うっ」

 

 よしよしって優しく背を撫でられ、余計に泣けちゃう。その涙にさえ、キスされて――堪えていた堰が切れた。

 

「宏兄っ……!」

 

 ぼくは、宏兄の首にかじりついて、わあわあ泣いてしまった。

 

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