第108話
「ふたりでお話、ですか?」
ぼくは、ぽかんと口を開いた。すると、綾人さんは無邪気な笑顔で言う。
「うん! 兄弟になるわけだし、親睦を深めたくて」
「駄目に決まってるだろうが」
ぼくが返事をする前に、仏頂面のお兄さんがぴしゃりと突っぱねた。
綾人さんが、がっと肩を怒らせた。
「なんで、朝匡が決めんだよ!」
「常識で考えろ。初対面の相手と二人きりになるオメガが居るか」
「なっ……! オレたち男同士なんだぞっ。仲良くしたいだけだっつーの!」
「それ以前の問題だ。もっと慎め」
「きーっ!」
腕をぐるぐる回して、綾人さんがお兄さんに殴りかかる。その額を片手で押さえながら、お兄さんがぼくを振り返った。
「不躾で申し訳ない。馬鹿なだけで他意はないんです」
「いえっ、気にしないでください……! ぼくも、綾人さんとお話したいですからっ」
「成己さん……!」
綾人さんが、ぱっと目を輝かせる。
怒りから一転、にこにこ笑顔の綾人さんに、ぼくもにっこりする。
――びっくりしたけど、仲良くなりたいって言ってくれて嬉しい……!
ぼくは、綾人さんとお兄さんに歩み寄った。
嬉しさと困惑――違う感情の乗った二対の目を、じっと見上げてお願いする。
「あの、ぼくのお部屋にあがって貰ってもいいですか? ぼくもオメガですし、大丈夫です」
「しかし……」
お兄さんは渋い顔で、ぼくと綾人さんの顔を見比べている。――ひょっとして、お兄さんはかなり保守的なアルファなんやろうか。もちろん、紳士とも呼べるのやけど……
「いーだろ、朝匡!」
しびれを切らした綾人さんが、お兄さんをがくがく揺すぶった。
「ええい、やめろ。考えが纏まらん!」
「落ちつけよ、兄貴。いいじゃないか」
またケンカが始まりそうになったとき――黙って成行きを見ていた宏兄が、口を開いた。
「綾人君の言う通り、兄弟になるわけだしさ。あんまり固いこと言うと、鬱陶しいぞ?」
「なっ……宏章、お前」
「やったぜ! さすが宏章さんっ」
絶句するお兄さんと、嬉し気に口笛を吹く綾人さん。宏兄を見上げると、穏やかな微笑みに迎えられる。
「宏兄、ありがとう……!」
「ははは、当たり前だろ。俺は、お前の笑顔に弱いんだ」
肩をポンと叩かれて、胸が喜びに膨らんだ。
綾人さんが、弾むような足取りでやって来る。
「じゃあ、そうと決まれば。成己さん、行こうぜ!」
「はいっ。ご案内しますっ」
「うんうん。兄貴は置いといて、三人でのんびり話そう」
笑顔の綾人さんと、宏兄に背を押される。
――あれ? 何かが引っかかるような。
首を傾げつつ、住宅スペースのドアを開いたとき……お兄さんが怒鳴った。
「待てコラァ、宏章! 何シレッとついて行ってんだ!」
「ふふ……」
「成、何笑ってるんだ?」
宏兄がスープを温めながら、不思議そうに言う。
ぼくはクスクス笑って、小さなメモを胸に押し当てた。――帰り際、綾人さんが渡してくれた連絡先。
「ううん。思いのほか、賑やかやったなぁって」
――あの後ね、すぐお別れになったんよ。
宏兄とお兄さんが言い合いしてたら、お兄さんのスマホが鳴ってしまって。
「おい、宏章! 今日はなあなあだったが、次こそは大事な話をする。いいな?!」
「成己さん、ゼッタイ連絡してくれなっ!」
お兄さんは、宏兄に釘を刺してね。綾人さんの腕を引っ張りながら、慌ただしく帰って行かはったん。
宏兄は肩越しに振り返って、笑った。
「案ずるより産むがやすし、だったか?」
「えへ……そうかも。お二人に会えてね、良かったなあって思う」
「そっか……ありがとうな、成」
「……宏兄」
嬉しそうな宏兄に、胸がきゅうっとなる。
ぼくは立ち上がって、宏兄の側によると……エプロンの結び目をそっと摘まんだ。広い背中に、額を押し当てる。
「どうしたんだ?」
子どもみたいって思ったのか、宏兄がやわらかい声で言う。
「ううん……ぼくも、ありがとうね」
宏兄は、不思議そうにしながらも……すぐに、コンロの火を消して、抱きしめてくれた。
――優しい。コーンスープの甘い匂いと、芳しい木の香りに包まれて、唇がほころんだ。
――『俺とお前は夫婦だ』
宏兄が一緒に居てくれるから、「ぼくは大丈夫」って思える。
……お兄さんの真意はわからない。まだ、自信はないけど――頑張るから。
ずっと、ここに置いてほしい。
「よしっ! 綾人さんに、お礼の連絡しよっ」
「なんだ、つれないな」
「だって、嬉しかったんやもんっ」
ぱっと身を翻し離れると、宏兄が苦笑する。ぼくも笑い返して、テーブルに戻り、スマホを取り出した。
頂いた連絡先は、電話番号と、メールアドレスと……メッセージのアプリの三つ。
順番に登録を済ませ、最後にアプリを開いて――目が丸くなった。
「……あれぇ?!」
久々に起動したアプリには、どっさりとメッセージが溜まってた。あまりの数に、心臓がヒュッと縦にバウンドする。
「ウソッ、通知は来てなかったのに……!」
確認してみると、通知が来ない設定になっていた。……そんな設定にした覚えはなくて、首を傾げちゃう。
――あれ……知らない間に、変わっちゃったのかな? 何かアップデートとかで?
でも、通知がないからって、無精してたぼくが悪いよね。
こんな風に管理を怠るなんて。いくら、陽平と別れたからって……
「えいっ、とにかく確認!」
ネガティブな思考を振り切って、スマホにかじりつく。
一番直近で来ていたメッセージの、差出人に――ぼくは、あっと息を飲んだ。
「友菜さん……!」
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