第94話

「~♪」

 

 ぼくは鼻歌を歌いながら、ベッドメイキングをしていた。天日干しにしてフカフカになったお布団は、日なたの匂いがする。ここで眠ったら、気持ちいいだろうなあ、と頬が緩んだ。

 

「……これでよしっ」

 

 ぱふ、と枕を置いて、満足の息を吐く。

 

「成。風呂沸いたぞ――って、布団してくれてたのか」

「宏兄っ」

 

 ひょい、と寝室の入り口に顔を見せた宏兄を、笑顔で振り返った。

 

「ありがとな。あちこち、綺麗にしてくれたろ? 助かるよ」

「ううん、大したことちゃうよ。もともと綺麗やったし!」

 

 大きな手に頭を撫でられて、顔がほころぶ。

 何も言わないのに、気づいて褒めてくれるなんて……なんだか、子どもになった気分や。くすぐったくて俯くと、宏兄が笑う。

 

「風呂が沸いたから、入るといい」

「えっ。それなら、宏兄が……」

「もう少し書くからさ。成は、病み上がりだろう。ゆっくりしてくれ」

 

 そう言われれば、確かに宏兄は宵っ張りなんよね。いつも遅くまで書いてるみたいやし、お風呂も遅いのかもしれへん。

 

 ――待ってるって言うたら、かえって気遣わせちゃうかな……?

 

 ぼくは、にっこりした。

 

「えと。じゃあ、お言葉に甘えようかなっ」

 



 

 

 ――ちゃぷ……。

 

 湯船の中で、ゆったりと手を伸ばす。少し熱いくらいのお湯に、からだが揉まれるみたいで、気持ちいい。

 

「う~……あったかい~……」

 

 極楽ですねえ。

 広いお風呂って気持ちいい。宏兄のお家の湯舟は大きくて、手足をうーんと伸ばしてもまだ余るくらいやった。お風呂好きの宏兄が「大きく、広く」リフォームしたんやって。

 なんでも、「ネタ出しの度に風呂に入るから、狭いと困る」らしいねん。

 

「ふふ。小説家っぽい理由……」

 

 膝を抱えて、思い出し笑いする。

 とはいえ――宏兄は、たくさん仕事を抱えてるから、寛げる時間がそれだけ大事なんやろうね。

 

「ぼくも、もっと力になりたいなあ……」

 

 今日は、どたばたで話せへんかったけど。そろそろワープロ作業も再開させてほしいし――他にも色々と手伝えることがあれば、やらせてほしい。

 

 ――宏兄には、お世話になりっぱなしやもん。もっとちゃんと、恩返ししなくっちゃ……!

 

 陽平にしてきたみたいに……ううん。それ以上に頑張って、宏兄に尽くすんだ。――ずっと傍にいたいって、思ってもらえるように。

 両手にお湯をすくって、顔にかける。熱々のお湯に、気もちが引き締まるみたいやった。


 

「ふー、いいお湯やったぁ」

 

 お風呂から上がり、タオルで体を拭う。熱いお湯で上気した体が、洗面の鏡に写っていた。やせっぽちの体が、ますます子供みたいに見えて、がっくりする。

 

「……もう少し、大人っぽかったらなあ」

 

 男性体のオメガは……すらりと背が高くて、凛とした美貌の人が好まれる。――ちょうど、蓑崎さんみたいな感じの。

 ぼくみたいな子どもっぽいオメガは、あまり魅力的ではないみたい。

 

 ――『ガキっぽすぎて、大した需要がない』

 

 陽平に投げつけられた言葉を思い出し、悲しくなる。

 自分の体から目を逸らし、急いで下着をつけ、パジャマを着た。そして、目を丸くする。

 

「わあ、サイズぴったり……!」

 

 しかも、やわらかくて着心地が良い。

 実は今日、宏兄が仕事の帰りにぼくの衣服を見繕ってきてくれてん。パジャマもその中にあって、さっそく着させてもらったんやけど。

 

「宏兄ってば……なんでサイズ知ってんのやろ? ていうか下着も……」

 

 宏兄って、試着AIと同じ特技やったん? ちょっと気恥ずかしい気持ちで、パジャマの裾を摘まむ。でも、こういうの……家族みたいでいいよね。

 ぼくも、宏兄の服を買ってこられるくらいにならなくちゃ。


 

 髪を乾かして、脱衣所を出たぼくは、宏兄の仕事部屋――書斎をノックした。「おう」と応えが返る。

 

「宏兄ー、お先でした」

 

 声をかけると、部屋の中で足音がした。すぐにドアが開いて、宏兄が出てきた。ホカホカのぼくを見て、穏やかにほほ笑む。

 

「温まったみたいだな」

「うん。良いお湯やったよ」

「そうか。じゃ、俺も行ってくるか」

「えっ」

 

 ぼくは、目を丸くする。

 

「ん? どした」

「ううん。まだ起きてるんやったら、湯冷めしちゃわへん?」

 

 心配になって訊くと、宏兄はドアに凭れたまま、笑った。

 

「はは。今日は、もう寝るよ」

「あ、そうなん?」

 

 ホッとして、胸をなでおろす。宏兄は柔らかく目を細めて、言う。

 

「成こそ、湯冷めしないうちにベッドに入るんだぞ。本が読みたかったら、持ってけばいいし」

「わあ、いいの……!? ありがとう!」

 

 ぼくは、嬉しい提案に、ぴょんと飛び上がる。

 実は、気になっててん。開きっぱなしのドアから見える、宏兄の書斎! 今にも中へ飛び込みそうなぼくに、宏兄はお砂糖が溶けるような笑みを浮かべた。

 

「俺も、すぐに行くからな。いい子で待ってるんだぞ」

「え」

 

 身を屈めた宏兄が、ぼくの耳元に囁く。――低くて、つやのある声。どきん、と心臓が大きく鼓動する。

 ポカンと口を開けるぼくの頭を、ぽんと一つ撫でて、宏兄は去って行く。

 

 ――そ、そういえば……ぼくの部屋……ベッドなかった。

 

 ずっとベッド一つで生活してたから、すっかり頭から抜けてたんですけど。

 

「じゃあ、今夜から……宏兄と、一緒に寝るの?」

 

 口にした途端、ぼんと耳が爆発しそうに熱くなった。

 

 

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