第93話

「美味い!」

 

 夕飯の肉じゃがを口に運び、宏兄は顔を輝かせる。

 ぼくらは、朝と同じように向かい合って、食卓を囲んでいた。ぼくは、宏兄の賛辞に身を乗り出す。

 

「ほ、ほんと?」

「うん」

   

 宏兄は嬉しそうに、大きな口でぱくぱくごはんを食べている。作り手が、気持ちよくなるほどの食べっぷりやった。瞬く間に、空になっていくお皿に、胸の奥がじんと痛むほど安堵する。

 

 ――よかったぁ……ちゃんと美味しく出来たみたい……!

 

 いっぱい時間かけて、丁寧に作って良かった。知らず、入っていた肩の力が抜けて――ほう、と息を吐く。

 すると、宏兄が不思議そうに目を瞬かせる。

 

「どした、成?」

「あ……なんにもっ」

 

 ぼくは、慌ててお箸を握ると、肉じゃがに箸をつけた。お芋がほこほこで、甘めの味付けに煮上がっている。――何度も味見したときと、おんなじ味。「うん、大丈夫」と確認するように味わっていると……宏兄のお茶碗が空なことに気づく。

 

「宏兄、おかわりどうですか?」

「ありがとう。貰うよ」

 

 にこやかに差し出されたお茶碗に、ごはんをたくさん盛って返す。

 

「……」

 

 ぼくは、美味しそうに食べてくれる宏兄を、沁みる様な気持ちで見つめた。

 ただ、食べることを喜んでいるような――旺盛な食欲が嬉しい。見ていて、心が凪いでいくような気がする。

 

 ――宏兄は、優しい。陽平とは違う……

 

 無意識に、そう思ってハッとした。

 陽平のことなんて、今は関係ないのに。

 

 

「ああ、美味かった。ごちそうさま」

 

 すっかり食べ終わって、宏兄が満足そうに手を合わせた。ぼくは、ほっと息を吐く。

 

「おそまつ様です」

「片づけは俺に任せろ」

 

 宏兄が、片づけを買って出てくれる。素早く器をまとめて、シンクに運んでいく姿に、「優しいな」って胸が疼いた。

 ぼくも席を立って、スポンジに洗剤をふきかけている宏兄に、そっと近づく。

 

「宏兄、ぼくもお手伝いするっ」

 

 袖をまくって言うと、宏兄はきょと、と目を丸くする。

 

「ん。休んでていいんだぞ?」

「ううん。一緒に居たいから」

「!」

 

 一人で座ってると、なんだか不安になっちゃうから。それなら、宏兄の役に立つことをして、喜んで欲しいもん。

 

 ――そう。末永く家族であるためにも……!

 

 宏兄のエプロンのリボン結びを摘まんで、じっと見上げる。すると――宏兄は、ちょっとあっけにとられて、「あはは」と明るい笑い声を上げた。

 

「何だよ。甘えたさんだなー」

「む。だめ?」


 子供っぽいかな。しゅんと眉根を寄せると、宏兄は喉の奥で笑う。


「いや? かわいい」

「ひゃっ」


 大きな手に肩を引き寄せられて、胸に頬が当たる。――芳しい木々の香りに混ざって、洗剤の冷たい甘い香りの抱擁。

 頬が熱くなって、胸を押した。


「ひ、宏兄っ。手が泡泡なんですけどっ」

「おっと、悪い」


 宏兄は、ぱっと身を離す。見守るような目線がくすぐったい。


「そうだなあ。じゃあ、皿拭いてってくれるか?」

「うんっ」


 ぼく達は、隣り合って作業をした。

 手際よく洗い上がるお皿を、せっせと拭う。穏やかな時間が流れるなか――ぼくは、おずおずと切り出した。


「あの……宏兄。ぼくのごはん、美味しかった?」

「うん、美味かった」


 即答で頷かれ、ぱっと心に花が咲く。


「じゃあ、これからも作ってもいい? 晩ごはんとか、お弁当とかっ」

「え……! いいのか?」

「うんっ。良かったらやけど……」

 

 ぼくが頷くと、宏兄は、少し照れたような笑顔を浮かべた。


「嬉しいよ。ありがとうな」

「……!」


 洗剤の匂いを押しのけるほど、芳醇にフェロモンが香る。ぼくは、くらくらしそうになって、慌ててお皿をぎゅっと握りしめた。


――良かった……!


 ぼくは、ちらっと宏兄を窺う。宏兄は、上機嫌にお皿を洗っていて、思わず頬が緩んだ。

 嬉しそうにしてくれることが、とても嬉しい。


――もっと頑張ろう。宏兄に喜んで貰えるように……!


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