第92話

「……はあ」

 

 じゃがいもの皮を剥く手を止め、どんよりとため息をついた。

 

 ――あかん。ぼく、落ち込んじゃってる……

 

 スーパーでの光景が、頭にこびりついて離れへん。蓑崎さんと、楽しそうにしていた陽平を思うと、胸がずきずき痛んだ。

 

「べつに、わかりきってることやん……陽平が、ぼくを振ったんやから」

 

 陽平は、蓑崎さんを選んだ。

 ぼくに未練なんか、あるはずがないんやって。――わかってたのに、こんなにしんどい。

 陽平が、少しは気にしてくれてるんじゃないかって……ぼく、どこかで思ってたのかもしれへん。

 

「……ほんま、アホみたいや」

 

 瞼がじわ、と熱くなる。

 自分のおめでたさが恥ずかしくて、穴があるなら埋めて欲しい。あんなにこっぴどく振られておいて、未練がましすぎるったらないよ……!

 

「ううっ」

 

 すん、と鼻を啜る。

 胸が苦しかった。重い石を飲まされたみたいに、深くに気持ちが落ち込んでいく。

 

 ――陽平。ぼくって、そんなにどうでもよかった……? 


 四年も一緒に居て、楽しかったのはぼくだけやったの? そう、胸の内で問いかけた時、

 

 ――『陽平ちゃんは、ずっと我慢してたのよ!』

 

 お義母さんの言葉がよみがえってきた。

 ぼくは、あっと息を飲む。

 

「さっき、あんなに楽しそうやったのは……ぼくがいなくなったから……?」

 

 陽平は――ぼくと居るときはぶっきら棒で、いつも不機嫌そうに眉を寄せて。

 ぼくは、陽平が照れ屋やから。ぼくに気を許してくれてるからやって、思って来たけど……違ったんやろうか。

 本当に、一緒に居るのが楽しくなかったのかな。

 だって、思い返せば――蓑崎さんがいるときの陽平は、いつもご機嫌やったもん。

 

「じゃあ……ぼくが、陽平の不機嫌の元やったのかな……」

 

 ぽつりと呟いた声は、台所に良く響いた。自分の言葉にぞっとして、肩が震える。

 



 ――あかん。このまま作ったら失敗しそう。

 

 包丁と剥きかけのお芋をまな板に置いて、手を洗った。居間のテーブルに、ぐったりと突っ伏してみる。

 でも、ぐちゃぐちゃの脳裏には……ふたりの姿が甦ってきてしまう。

 華やかに笑う声や、白皙の美貌も。

 

 ――蓑崎さんも、元気そうやったな。相変わらず、綺麗で……

 

 結局、婚約者さんとは……どうなったのかはわからへんけど。

 陽平と一緒にいたってことは、とっくに関係を綺麗にしていて。――二人が、つき合うことになったのかもしれへん。

 

「……っ」

 

 胃がむかむかしてきて、ぎゅっと目を瞑る。

 ……別に、不幸になって欲しいとは思わへん。でも、「お幸せに」なんて、到底言えそうになかった。

 顔を突っ伏した腕を、きつく握りしめる。

 

「元気に、笑ってるやんか……」

 

――蓑崎さんは、壊れそうなんと違うん? 陽平……

 

 それとも、陽平の側にいるから元気になったって言うんやろうか。

 もやもやとした感情で、胸の中が汚染されていく。

 

「ずるいよ……!」

 

 こみ上げる嗚咽を噛み締める。

 悔しくて、苦しくて、どうにかなりそう。二人は……蓑崎さんは、幸せになるんや。

 ぼくの、大切な人と一緒に。

 

 ――ぼくの住んでいたお家で眠って。ぼくがごはんを作ったキッチンで、陽平にごはんを作ってあげるんやっ……!

 

 そう思ったら――胸の中で、物凄い熱がスパークした。

 ぼくはその熱量に衝き動かされ、椅子から立ち上がる。

 

「……えいっ!」

 

 濡れた頬を拭い、包丁をぎゅっと握る。

 剥きかけのじゃがいもをさっと水で流し、向き直った。

 

「ぼくは……ぼくだって、もう振り返らへんのやからっ。ぜったい、幸せになる……!」

 

 そして、綺麗さっぱり忘れてやるんだ。

 蓑崎さんのことも――陽平のことだって。「そんなこともあったね」って、いつか笑って話してやる。

 

 ――ぼくは、宏兄と……絶対に幸せになる……今度こそ、間違えない。

 

 目を瞠って、溢れる涙をこらえる。

 ぼくに何ができるか、わからない。でも……今度こそ、頑張る。宏兄に、ずっと一緒にいて貰えるように。

 

「……よしっ。気持ちを込めて、お料理や」

 

 ぼくは、気合を込めてお芋の皮むきに取り組んだ。


 

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